第6話 雑炊と番茶

「あれ、芽生の会社の社長のラストオーダーは?」


 厨房で待っていた有紀が、芽生の怒り顔を見て驚いた。有紀の中で芽生は、めったなことでは怒らない温厚な子だった。


「……芽生、怒ってる?」


「有紀君、あの人最低な男だった! クビにでもなんでもできるもんならしてみろって感じ!」


「ちょっとちょっと、どうしたの? っていうか、ばれたの?」


「社長にぎゃふんと言わせるんで、彼のラストオーダー私が作ります! 有紀君はお会計お願い!」


 芽生のあまりの剣幕に気おされて、「う、うん」と有紀はカウンターへと向かって行く。


「見ていなさいよっ!」


 ふんと鼻を鳴らして、芽生はキッチンで腕組みする。そして、先日の休憩時にまかないで食べたリゾットを思い出して、これだとひらめいた。




 ***




「はい、おまちどおさま」


 カウンター席でウーロン茶を飲んでいた涼音に、鍋敷きを手渡すと、小さい一人用の土鍋をどん、と置く。


「熱いんで、気をつけてください。やけどされて文句言われても困るんで」


「お前、一言多いな。これは何?」


 芽生はふふんとご機嫌に、土鍋のふたを開けた。途端、出汁の良い香りが鼻孔をくすぐる。


「お雑炊です」


「雑炊?」


「そうです。さ、あっついうちに食べてください。はい、これれんげ、こっちお椀」


 渡されて、涼音はぽかんとそれを見ていた。


「食べ方分からないんですか?」


「あ、いや……食べきれるかなと思って」


「大丈夫ですよ、見た目よりもかなり量少ないんで」


 涼音は、ホクホクと湯気を立てる雑炊に、れんげを差し入れた。ふわふわの溶き卵に、刻まれた小ネギがたまらない絶妙な色合い。柔らかくてとろみのある白いご飯を椀によそって、アツアツを冷ましながら口へと運んだ。


 口の中から、魚介と出汁の良い香りが突き抜けて行く。だし汁によってすでにふわふわになった熱いご飯は、舌の上に乗せるだけでとろける。あとから卵の風味、最後に程よい小ネギの食感が残り、あっという間に椀が空になる。


「どうですか? 庶民のお味は?」


「うん、美味い」


 カウンターに肘をつきながら、涼音の食べる姿を見ていた芽生は、素直なその反応に意外と驚いた。


(この人、嫌みは言うけど、嘘はつかないんだ)


 あまりにもおいしそうに食べるので、芽生はついついにこにこしてしまった。


「そんなに食べている人の顔を見るのが楽しいか?」


「楽しいですよ。だって、美味しいって言ってくれたら嬉しいじゃないですか。それに、どんなに嫌なことがあっても、ご飯がおいしいと幸せな気持ちになれるんです。これ、母の格言」


「はははっ、なんだそれは」


 あまりにも素直に笑った姿が印象的で、芽生は笑っても美形なんだなとついつい見とれてしまってから、食べ具合を見計らって、一杯の番茶を用意して持って行った。


「はい、これ番茶」


「番茶?」


「そうですよ、これ一杯飲んでから帰ってください。そして、すぐに寝ることですね。顔、疲れすぎて老け込んでますよ」


「大きなお世話だ」


「美形に対する嫌みの一つくらい言わせてください」


 ふん、と最後の一口をかきこんで、涼音は出された番茶をゆっくりと飲むと、美しく手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


 その所作の美しさに、芽生は満足だった。言い方も口も悪いし腹が立つ人だったが、食べ物への感謝を忘れないところや、美味しく食べる姿は好感を持てた。

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