第3話 来客

「おはようございまーす!」


 居酒屋は、ここ最近、川町でちょっと有名になりつつある、こじゃれた雰囲気が人気のお店だった。


「芽生おはよ! バイトさん一人休んじゃって……てんてこまい!」


 厨房から炒め物をする音と共に声がかけられて、芽生は慌ててエプロンをかけた。


「え、じゃあ|有紀(ゆうき)君一人!?」


「んーん、鍋ちゃん急遽呼んだら来てくれたから」


「急いで行くね!」


 エプロンをして中に入って手を洗うと、てんてこまいだと言いながらもにこにこと笑顔で出迎えたのは、この店のオーナーで芽生の幼馴染の|宗谷祐樹(そうやゆうき)だった。


 後ろでちょっと伸びているハイライトの入った髪の毛を一つ縛りにして、鍋を振るっている。有紀は優しそうで嫌みのないさわやかさと、居酒屋にしてはオシャレなお料理で、女性客を大量に寄せ付けているという噂が絶えない。


 芽生は元気よくオーダーを取りに行って、そこに座るお客さんを見て、そして心臓が一瞬にして止まった。


 なんと四人掛けの席の一番奥に、自身が勤める会社の若社長が座っていた。


(わ、やばいっ……!)


 芽生は慌てて下を向いた。その慌てた様子には気づかれなかったようで、手前に座っていた二人が、次々にオーダーをして行く。それをメモを取りながら、気づかれないようにしゃがみこんでちらりともう一度奥の席を確認した。


(……見間違いじゃない)


 芽生の勤める市原商事の鬼社長、市原涼音いちはらすずねだった。


 芽生は下唇を噛んだ。市原商事はダブルワークを禁止している。もしも、ばれてしまったらどうしようと思うと、気が気ではなくて貧血を起こしそうになる。


「市原社長は、何か飲み物追加しますか?」


 そう声をかけられていて、見間違い他人の空似という線が完全に消えた。芽生はばれませんように、と神様に祈った。


「いや、私はいいです」


 見れば、あまり箸が進んでいない様子で、ビールもすっかり泡が無くなり、表面に水滴がこれでもかというほどについて、テーブルに水たまりを作っていた。


「では以上で」


「かしこまりました。注文繰り返しますね」


 下を向きながらも、確認をしっかりとってから芽生は慌ててひっ下がった。手前の男性二人が談笑する声さえ、芽生の耳には入らない。


「有紀君、大変大変!」


 厨房にオーダーを通してから、芽生は慌てた。


「なに、どうしたの?」


「社長が、うちの会社の社長だった! ばれたらヤバイ!」


「ええ、まじ!?」


 どうしよう、と狼狽える芽生に対して、さらにお客さんからオーダーの声がかかって、軽くパニックになる。


「ちょっと待って、芽生。落ち着いて。ばれるとは限らない。それに、ばれたら俺が責任取ってやるから。俺が無理やり言って、働かせていたってことにして、給料は出していないってことにするから。芽生は、ボランティアしてったって。これでいい?」


 それに芽生は頭をがくがくと縦に振った。


「大丈夫。数千人規模の社員の顔と名前、覚えてないと思うよ」


 有紀のさわやかな笑顔に優しく言われ、肩をしっかりと掴まれてやっと芽生は落ち着きを取り戻した。


「分かった、落ち着く。頑張るね」


「うん。芽生なら大丈夫」


 芽生は深呼吸をすると、頷いてすぐにオーダーを取りに行った。

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