第6話 双子――魔女の祝福と保湿クリーム

 がやがやと賑やかに人の声がハナを取り囲んでいる。この喧噪は久しぶりで、ハナのなかに喜びや憧れの情をもたらす一方、わずかながら恐怖や悲しみを記憶の底から拾い上げ、感情の泉に投じて心を揺るがしもする。

「ハナ様お久しぶりです」

「ハナさん、また来てくれたの。ありがとうね」

「ハナちゃん、痛み止めのおまじないかけてー」

 黒いワンピースと黒いマント、それと対比するように白い二つ括りの長髪を靡かせる少女の後ろから、人々が連なって付いて来る。

 それはまるでパレード……と呼びたいところだが、あいにくとこの村の住人では長大なパレードの列を作るには足りない。集う人数はせいぜい十人足らずだ。

 ハナは傍らで裾を引きながら痛み止めのまじないを請う子供ににこりと微笑みかけ、彼のために呪文を唱え、伸ばした人差し指をくるくると回す。

「ネイヤも自分で繰り返してごらん。痛みが体を離れて、空に飛んでいくところを想像してみるの。ほら、やってみて」

 ネイヤと呼ばれた子供は、左肘の赤らんだ部分に右手の人差し指を向け、ぐるぐると回してから右腕ごと指を空に向かって振り上げた。

「とんでけー、とんでけー」

 子供は自分が魔法使いになったような気持ちなのだろうか、痛みを取り除きたいというよりは、その仕草そのものを楽しむように同じ動きを繰り返す。痛みに半泣きになっていたその顔には、今はもう笑みが見えていた。

 ハナは目的地へ向かうあいだも、やって来る人たちの話を聞いたり、逆に北辺の森について話をした。皆、たまにしか村へやって来ないハナを、まるで郷里へ帰って来た我が子のように温かく迎えてくれる。

「あれがエリンの家ですよ」

 村人の一人が道の先を示して言った。

「双子なんて何年ぶりでしょうか。エリンのためにも、村のみんなで頑張って育てていくつもりです。だからどうか、健やかに育つようお力をお貸しください」

 心底から願う様子でハナに手を合わせつつ言ったのは、村一番の働き手である若い男だった。名前は確か、ギベル。その熱心な様子から、エリンを気にかけているのが見え見えで微笑ましい。

「元よりそのつもりよ」

 北辺の森に接するこぢんまりとした村では、子供の誕生や節目の祝いのたびに、森の魔女であるハナが呼ばれ、子供たちに言祝ぎのまじないをすることが慣例となっている。

 森が平穏に豊かさを保ち続けることは、森の恩恵を受ける村の平穏と豊かさを維持することと同じ意味を持つ。そのことを知っているから、村では何世代にも渡って森の魔女を敬う心が受け継がれている。

 ハナは付き従う人々を振り返って言った。

「それじゃあ皆さん、ご相談はこのあと、村長のお屋敷でお窺いするわね。ご老人や病人への訪問が必要だったら、そのあとに」

 村人たちは一様に頷き、エリンの家へ入っていくハナを見送った。


「エリン、魔女のハナが来たわよ。出産おめでとう」

 エリンの家では、彼女以外に、母子の世話のために二人の女性が立ち働いていた。どちらも、自分の子供の世話をひと段落させた中年期の女性で、ハナとも顔見知りだ。彼女らに寝室へ案内して貰うと、ベッドの上で上半身を起こし、おくるみに包んだ我が子を抱くエリンがいた。

 エリンはハナの姿を見るや、子供に向けていた慈愛に満ちた視線から一転、目と口を大きく開けて驚愕する。

「歳を取らないって本当なのね」

 子供に配慮して大声は上げず、それでも充分に驚嘆の伝わる声音だった。

 ハナも言い返す。

「わたしも驚いたわ。わたしの帽子にウシガエルを仕込んだり悪戯にご執心だったワルガキが、一人前に母親になったっていうんだから」

 ハナがエリンに最後に会ったのは、彼女はまだ七歳かそこらの頃だったと思う。それから彼女は家族共々村を出て、いずこかの地で結婚したのだと聞いていた。それが、最近になって大きなお腹を抱えながら出戻って来たのだ。

「双子なんだってね。幸せの兆しだわ。おめでとう」

「ちっともおめでたくなんてないよ」

 ハナの祝福を打ち消すように、エリンが自嘲するような声を被せてきた。

「あら、どうして?」

「村を出たあとのわたしたち家族は散々だったんだよ。わたしは結婚したけれど、結局はわたしもこの子たちも捨てられて、居場所がなくなってこの村へ戻ってきた。村を出るときにあなたがわたしたち家族へかけたおまじない……あれ、まったく効かなかったじゃない」

 ハナはエリンの顔を見る。歳はまだ二十かそこらのはずだが、産後で体力を消耗しているという以上に、その顔には小さな皺や傷が目立って見えた。子供を抱く指は細く、荒れている。

「ねえ、あなたってなんなの?」

 エリンはハナを責めるように言った。

「森の魔女ってなに? 歳を取らないってどういうこと? 村の大人たちはあなたをとても敬っているけれど、わたし、あなたのこと胡散臭いまじない屋みたいに思ってる。大きな町にはそういう人がたくさんいたわ。人を騙してお金や、大切なものをことごとく奪っていく人。あなた本当は……」

 エリンがそこまで言い募ったところで、彼女の腕のなかで赤ん坊がぐずり始めた。二人とも。エリンは慌てふためいて両手に抱く双子に「泣かないで」と声をかける。

 火がついたように泣き出す赤ん坊は、声帯ではなく全身で泣くかのように大きな声を上げる。あまりにも小さな体で、精一杯、自分の存在を主張するように。

 すぐさま、二人の女性が寝室へやって来た。

「あらあら、元気に泣いちゃってぇ」

「お腹が空いたのね。ハナ様、しばらくこちらで待ってていただけますか?」

 朗らかな態度の女性たちに、エリンは憔悴した顔にほっとしたように笑みを見せる。子供を産んだからといって、すぐに母親の仕事をこなせるようになるわけではない。一つひとつ、子供と一緒に学んでいくしかないのだ。

 女性の一人に案内されて、ハナは居間のテーブルについた。居間と寝室の二間しかない小さな家では、居間にいても寝室の声は漏れ聞こえてくる。逆もそうだろう。

「ハナさますみません。エリンはつい最近まで村を離れていたものですから、あんな失礼な物の言い方をしてしまうんです」

「気にしてないわ。誰だって少なからず疑問に思うことだもの。自分でも思う。なんでわたし、歳を取らないんだろうって。普通の人間みたいに歳を取れたらいいのになぁ、って」

 ハナが北辺の森の調停者に就任してからというもの、村の人々はハナを歓迎し、いつでも温かく接してくれる。そのなかで村人が死に、産まれ、その顔触れが変わるのをどれくらい見てきただろうか。ハナは親しい者たちが成長していくなかを取り残され、彼らの死を一方的に見送ってきた。それは、何年経っても、何度繰り返しても慣れるものではない。

 ハナの暗い気持ちを読み取ったのか、女性は明るい調子で言った。

「わたしは、ハナ様がいつも変わらず見守って下さることを、心強く思っていますよ。いつだってわたしたちにはハナ様がいる、それがこの村にとってどれほど大きなことか」

 女性はそう言って微笑んだ。実際はハナのほうが遙かに年上なのに、こうして諭されている様は、まるで女性が母でハナが娘のようだ。

「ありがとう」

「はい」

 ハナの言葉に、女性は鷹揚に頷いた。

 そうして話をしているうちに、寝室からもう一人の女性が出てきて手招きをする。

 ハナは再び寝室に向かった。

 双子はエリンのベッドの傍らの揺り籠で寝息を立て、エリンは落ち着きを取り戻しているようだ。

 ハナは眠る双子をじっと見た。

「両方とも女の子ね」

「ええ」

「成長すれば、母親を助ける良い娘たちになるでしょう」

「…………」

「エリン、あなたは溌剌として、夏の太陽のような子供だった。きっとあなたの子たちも、あなたに良く似るでしょう。寒さや暗闇を払う、太陽のような子になる」

「…………」

「アルバとアウロラと名付けなさい。二人の道行きが光溢れるものになるように、そしてエリンや、村の人々にとっての光となるように。わたしは祈りましょう」

 そう言ってハナは、眠る子らの上に手の平を翳した。

「はい、終わり」

「え?」

 エリンは頓狂な声を上げた。

「もっとなにかないの? 変な道具を使ってお香を焚いたりとか、長ったらしく呪文を唱えるとか」

「あー、わたしそういうのはしない系の魔女なんだぁ」

「『しない系』ってなに? ゆるくない?」

「いいじゃないの。だってどうせ信じてないんでしょう? わたしのおまじない」

「そりゃそうだけど……」

 呆れるように言って、それからエリンは「ふっ」と小さく噴き出した。

「なんだ、その程度なんだ」

「そんなものだよ、わたしにできることは。あ、でも薬草とか体に良い食べ物のことは結構ちゃんと知ってるからね。そのあたりは頼って貰ってもいいよ」

 言いながらハナはフードのポケットから小瓶を取り出す。

「植物から取り出した油とかをいろいろ混ぜて、薄くゼラニウムの香り付をした保湿用の軟膏。よく肌荒れする場所に塗っておけばてきめんに効くよ。赤ちゃんの肌にも使えるわ」

 ハナが小瓶を差し出すと、エリンは手を伸ばして受け取る。

「確かに、こっちのほうがよく効きそう」

「言うわね、ワルガキ」

 そう言ってお互いに噴き出して笑って、ふにゃふにゃと眠る子供を眺める。

「そういえばわたしもね、双子だったのかもしれないんだ」

 ハナはふと思い出して言った。

「そうなの? その人も魔女?」

「わからない。一緒にいたのって、もう随分前だし。覚えてるのは、子供の頃に誰かと手を繋いでいて、『この子なら絶対に信じられる』ってわたしが固く信じていたってことだけなんだ。その子と姉妹だったのかもわからないんだけどね、なんとなく、小さい頃にそれだけ信頼できる相手って、血の繋がった相手だったんじゃないかなって」

「きっとそうだよ」

 エリンは間髪を入れずに肯定した。

「ハナが魔女なら、そのお姉ちゃんだか妹もきっと魔女なんだよ。そしたら案外、どこかで会えたりするかもね」

 エリンはきっと、ちょっとしんみりしたハナを元気づけたくて言ったのだろう。ハナはその好意を、純粋に嬉しく思う。

 ただ、その子はきっと魔女にはならなかった、或いは、なれなかったとハナは心のどこかで確信している。

「そうね。意外とどこかで見てたりするのかも」

 記憶のなかの彼女が一体何者なのか、ハナの記憶はとても曖昧だ。けれど、彼女がハナのかつての家族だったのだと、信じるだけならきっと許されるだろう。

 ハナが信じている限り、彼女の存在は星のように優しく確かな光で、ハナに希望を与えてくれるから。

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