第10話 叶の心情

「あの日、私も死のうと思ってたんだ。」

彼女は突然そう告げた。


「もう余命が長くないってその前日に言われてね。もう先のない命だし死んでもいいかなって。」

淡々と昔を懐かしむように微笑みながら彼女は語る。


「そりゃ親とか友達には感謝してるし、申し訳ないなって気持ちもあったんだよ。でもそれ以上にもうしんどいな、死にたいなって気持ちの方が強かったんだよ。」

そこに至った経歴こそ違えど叶のその気持ちは日向には痛いほど理解できた。

彼女も自分と同じ感情を抱いていた。日向はその時初めて人と通じ合えたような気がした。


「それで屋上に上がったらさ、君が居たんだよ。思わず笑っちゃった、何でもう一人居るんだー!って。」

叶は口に手を当ててクスクスと笑った。その姿は余命宣告された少女とは思えないほど無邪気であった。


「でね、思わず声を掛けちゃった。ほんとは無視しても良かったんだけどね、その後に死んじゃったら後追いみたいで嫌じゃん?」

更に彼女は言葉を続ける。


「どうやって話しかけるとか考えるより先に気づいたら体が動いちゃってた。だからさ、君の絵を描きたいとか、あれ実は咄嗟に言ったことだったんだよ。その割には君が乗り気だから良かったんだけどさ。」

明かされていく叶の心情に日向は何も言葉を発せないままでいた。


「私ね、君に会えて本当に良かったって思ってる。」

叶は視線を日向から逸らして言った。


「君と、君の絵を描いてる時は病気の事も余命の事も忘れられた。その時だけ心の底から楽しかった。」


「でも、もうそれも出来ないみたい。」

それを最後に病室に残ったのは叶の静かにすすり泣く声だけだった。


日向はしばらく言葉を切り出せないでいた。

何か慰めの言葉でもかけてやればよかったのかもしれないがそれがまた彼女の心を傷つけてしまうかもしれないと考えると怖くてその一歩を踏み出すことが出来なかった。


所詮自分は彼女と会って一か月も経ってない人間だ。

今まで彼女が受けてきた痛みも何も測り知る事が出来ない。

その事をただひたすらに突き付けられているような気分だった。


「あ、もうこんな時間。もうそろそろ面会時刻も終わりだから帰りなよ。」

彼女がそう言った。時計の針は五時半を指している。確か面会終了時刻は六時だったと記憶している。

傍に置いていた鞄を抱えて立ち上がる。


「あのさ……」

「何?」

帰る間際に日向が口を開いた。


「いややっぱり何でもない。じゃ、また今度来るから。」

そう言って結局何も言わないままで日向は病室を出て行った。


日向が出て行った病室で一人、叶はずっと窓の外を見つめていた。

(ほんと、君に会えて良かったよ。)

窓の外には綺麗な夕日が浮かんでいて夏が終わってしまったことをしみじみと感じさせる。


突然胸がキリキリと痛み始める。いつもの発作だ。しばらく安静にしていれば収まるだろう。

(ほんと、何で私がこんな事に。)

今更ながら自分の置かれた運命に腹が立つ。


(まだ死にたくないよ、まだ……)

長く生きる事なんてとうに諦めていたはずなのに死が間近になったからか最近は生きたいという気持ちがより一層と強くなってきた。

しかしそんな願いもむなしく病魔は今も刻一刻と叶の体を蝕んでいる。

その証拠に入院してから処方される薬の数がいつもより二つ増えた。


(せめて菊池君にちゃんと絵を見せてあげたかったな。)

病室に入ってきたとき彼が言った言葉。その時は怒りの方が先に来てしまったが絵をちゃんと仕上げたいという気持ちは叶だって同じであった。

今からでは遅いのは百も承知だがなぜあの時怒ってしまったのかと後悔の念が叶の中で渦巻く。


(結局何か言いかけて帰っちゃったしな……)

日向が病室を出る直前に言いかけた事、その内容を叶が知るのはもう少し後になってからだった。

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