第4話 日向の過去

画材屋に行ってから一日空いて月曜日、憂鬱で退屈な授業をこなした放課後、日向はいつも通り美術室へと向かった。

しかし、いつもなら美術室の前で待っている叶の姿が見当たらない。


少し待ってみよう、そう思って5分ほど待ってみたが叶は一向に来なかった。

一日くらい部活がオフでも何もおかしくない、だが叶ならその事実をちゃんと伝えてくれるはずだ。

そう思い待つこと更に五分、相変わらず叶が来る気配は無かった。


今日は無いもの、と日向は解釈して帰ろうと鞄を肩に掛けたとき、叶がカギをチャリチャリと打ち鳴らし静かな廊下をやかましく走り抜けてきた。


「っはぁ、ごめん、私今週掃除当番でさ、先に言っておけばよかったよね。」

ずいぶん急いで来たのだろうか、叶の呼吸は荒かった。

ガチャガチャと急いだ手つきで美術室の戸を開ける。


「一昨日は本当にごめんなさい。そんなにデリケートな問題だとは思わなくて。」

叶は美術室に入ってすぐ、そう言って頭を下げた。

「全然いいよ、むしろ、その件なんだけどさ……辻崎さんには知っててほしい。」

理由や経緯に関係なく日向の過去に叶を巻き込んでしまったのは事実だ。

それならば叶に一切合切を説明するのが日向なりの筋であった。


しかし、黙ったままの叶の様子を見て日向は慌てて付け足した。

「ごめん、そんな暗い話聞きたいわけないよな……」

「ううん、むしろ聞きたい。話して?」

その言葉に従って日向は静かに語り始めた。


「僕がいじめられたきっかけは些細なことだった。僕は彼女……一ノ瀬さんの事が好きだった。

初めは僕の一目惚れだったんだ。だから僕は勇気を出して彼女に告白した。でも結果はダメだった。大して明るくもなく、かっこよくも無い僕が彼女と付き合おうだなんておこがましいことだったのかもしれない。」

叶は静かに話を聞いている。


「いじめが始まったのは彼女に告白してから一週間くらい経ってからだった。朝学校に行くと僕の机の上に悪口が書き連ねられていたんだ。やったのは彼女の友人達だった。僕の机を囲んで笑っていたのをよく覚えている。

それからマシになるわけがなくて僕に対するいじめは日に日にエスカレートしていった。もともとクラスに友人が多い訳でもなかったから助けを求めることも出来なかった僕は多分恰好の獲物だったんだと思う。」

淡々と日向は言葉を続ける。


「担任の先生とかは助けてくれなかったの?」

「相談したけどダメだった。口先だけで何とかするって言って結局状況は何も変わらなかった。」


「耐えれば全部いつか終わると思ってた。でもそれは終わるどころかドンドン過激さを増していって僕は耐えれなくなった。耐えればだれか助けてくれるってずっとそう信じてきた。でもいじめられる前まではそこそこ仲の良かった奴でさえ僕の事を見て笑ってるのを知って僕は絶望した。学校に行かなくなったらそれこそあいつらの思うつぼだってことも分かっていたけど、それでも限界だった……」


「……これが僕が死にたかった理由と彼女との関係だよ。聞いてくれてありがとう。」

話し終えた日向は叶に向かって小さく頭を下げた。

「……本当につらかったんだね、何にも知らない私が言うのもおかしいけど君は本当に頑張ったと思うよ。」

叶はしばらくしてから口を開いてこう言った。


「でも僕は学校に行けなかった。死のうともした。結局のところ僕はあいつらに負けたんだ。」

「そんなこと無い!」

珍しく叶が声を大きくした。日向の肩が少し竦む。

「たとえ死のうとしたって、学校に行かなくたって、君は今こうしてちゃんと生きてる。綺麗ごとかもしれないけど、それだけで君はその子たちに勝ってるよ。大金星だよ!」


日向にとって自分をこんな風に慰めてくれたのは叶が初めてだった。

「もう、泣くこと無いじゃん。君は今から私のモデルさんになるんだから、泣かれちゃ困るよ。」

必死に堪えていた涙もいつの間にかこぼれていたらしい。

「そうだね、ごめん。」

日向は涙の筋を袖でグイっと拭って、いつもの席に着いた。


「憑き物が落ちた?」

準備をしながら叶はそう聞いた。

「そうかもね。」

そっけなく日向が答える。

「絶対そうだよ、だって君この前とはまるで別人みたいな顔してるよ。こちら側としては嬉しい限りだけどね。」


「それは……良かった。」

日向は笑ってそう言った。

(今日、辻崎さんに話せて本当に良かったな。)

日向の心内環境は叶の推測する通り今までにないほどに澄み渡っていた。

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