第3話 休日、画材屋にて
「ヤバい……絵の具無くなっちゃった……」
叶がそう零したのは日向が美術室に通い始めてから一週間くらい経った頃だった。
絵の方は順調に進み昨日からやっと色を付け始めた矢先にこれである。
美術室なのだから授業に使われる絵の具がある事にはあるのだが、叶にはこだわりがあるらしく、パレットから絵の具まで全て自前の物を用意してある。
「よし、仕方ないから今日はここで終わり!絵の具は明日買いに行こう!」
そう言うと叶はさっさと後片付けを始めた。
パレットを流しで洗いながら「あ、そうだ。」と何かを思いついたように呟いた。
「折角だから君も一緒に行かない?」
「え、何で僕が一緒に……」
「画材屋さんって結構楽しいよ、それに君明日休日だけどどうせ暇でしょ?」
暇だと勝手に決めつけられているところなど色々と異議を唱えたいところはあったがこういう時の叶は何を言っても引かないことを日向はこの一週間で嫌というほど知っている。
という訳で二人は翌日、画材を買いに行く為に駅に集合した。
「お待たせー、ごめん待たせちゃった?」
その日、待ち合わせ時刻ピッタリに来た彼女は学校で見る制服姿とは異なりロングスカートにシャツと相当にラフな格好に身を包んでやってきた。
「別に、さっき来たばっかだけど。」
「良かった、じゃあ行こっか。」
二人は乗った駅から五つほど離れたベットタウンで電車を降りた。
「ここからちょっと歩くよ。」
そう言った叶の後ろを日向は付いていく。
その日は気温が三十を超えるほどの夏日で普段出不精の日向にはとても堪える暑さだった。さっきからうるさい蝉の声が更に歩く気を削ぐ。
「ほら着いたよ、もう男の子なんだから私より先にバテないでよ。」
歩くこと二十分、ようやく叶は足を止めた。
日向は叶の目にもわかる程にくたくただ。
小さなビルの三階に目当ての画材屋はあった。
中は決して広くは無かったが木製の棚の上に様々な色の絵の具が陳列されている様は日向にとっては斬新でさっきまで殺風景な廊下だったという事も相まってどこか別の世界に来たような感覚を起こさせた。
「ね、案外楽しいでしょ?」
「まぁ悪くはないかも。」
「もう素直じゃないなぁ。」と言いながら叶は目的の物を探しに別の棚へと向かった。
日向がしばらく見慣れない色や名前に夢中になっていると、買い物かごをぶら下げた叶がスッと隣に並んだ。中身を見るに目当ての物は一通り揃ったらしい。
「なんか好きな色あった?」
「君に言う必要ある?それともいつも通り気になっただけ?」
「いや今回は違うよ、実は今書いてる絵、背景をどんな感じにするかいいアイデアが思い浮かばなくてさぁ。せっかくなら君の好きな色からアイデアをもらおうかなって。」
珍しく興味本位で無い叶に内心驚きつつも日向はスッと棚の一点を指さした。
「あの色?へー君らしいね。じゃあこれも買っておくよ。」
棚から指さした色を叶はスッと取り上げてそれも買い物かごに入れた。
そのまま流れるように会計も済まし、二人は画材屋を後にした。
外はもう日が傾き始めていたがまだ暑く、来た時と同じように歩くたびに汗が垂れる。
「今日は付き合ってくれてありがとね。」
信号待ちの時、叶は小さく呟いた。
「そんな、お礼なんて良いよ。僕だって楽しかったし。」
「あ、やっぱり楽しかったんだ、良かった。」
叶は安堵したような表情で日向を見つめる。
そんな叶と顔を合わすのが少し気恥ずかしくて顔を背けた日向だったがその時、隣で同じように信号待ちをしていた同年代の少女が一人、こちらをじろじろと見つめてくることに気が付いた。
「菊池君……だよね……?」
気付いた日向と目が合うと、その少女は恐る恐る話しかけてきた。
「ねぇ、知り合い?」
叶にそう聞かれたが、日向も思い出せない。しかし少女は日向の名前を知っているのだ。
「前にどこかで会いましたか……?」
「そっか、覚えてなくて当然だよね……あんな事をしたんだから。」
その少女は俯きがちにこう言った。
「一ノ
日向はその時ようやく一ノ瀬と名乗るその少女の事を思い出した。
「一ノ瀬さん……何でこんな所に?」
「思い出してくれた?あの頃は本当にごめんなさい。私貴方にずっと謝りたかったの。許されないことをしたのも、この謝罪が自分勝手なこともわかってる。でも本当にごめんなさい……」
そう言って一ノ瀬は泣き出してしまった。
「ごめんなさい、私こんな道端で……じゃあね菊池君、また今度会えたら。」
それだけ言い残して一ノ瀬は足早に先へと行ってしまった。
「ねぇ結局あの子は誰なの?ずいぶん泣いてたみたいだけど。」
叶が言葉を切り出す。
「……一ノ瀬さんは中学の時の同級生だよ。」
「ほんとに?昔ひどい別れ方をした元カノとかじゃなくて?」
「そんなんじゃない……僕は彼女の所為で……」
そこまで言って、日向は一つ息をのんだ。
「僕は彼女の所為でいじめられたんだ……」
「そんな……見た感じ良い感じの子だったけどな。」
叶は信じられない、といったような顔をしている。
しばらく二人の間を沈黙が流れた。
結局その日、別れるまで二人が言葉を交わすことは無かった。
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