第2話 放課後、美術室
放課後、言われたままに日向が美術室に向かうと叶もまた約束通り美術室の前で立っていた。
「遅かったね、もしかしたら帰って死んだんじゃないかなと思ってヒヤヒヤしたよ。」
「美術室の場所が分からなくてさ。」
「あー確かに結構分かりにくいもんね、ここ。それに授業受けなかったら来ないか。」
美術室は三階の一番隅、授業を受けていないどころか滅多に学校に来ない日向には分かりにくいことこの上なかった。
隣の部屋は司書室、図書室と連なっており、廊下に活気がないのも分かりにくい要因の一つだろう。
「せっかくなら案内してくれればよ良かったのに。」
「ごめん、確かにそうだね。でも鍵取ってきたから許してよ。」
叶は誇らしげに鍵を取り出してそのまま美術室の戸を開けた。
「荷物は机の上に適当に置いといてー、椅子とかも勝手に使っていいからねー。」
「え、勝手に使うのはまずいんじゃ……」
「大丈夫だって、美術部なんて私以外まともに活動してないし。」
叶はそう言ってそのまま美術準備室の奥へと消えていった。
初めて入る美術室は舞った埃が日差しに照らされてどこか神秘的だった。
油絵具の匂いだろうか、シンナーのような匂いが日向の鼻を衝く。
叶に言われた通りに荷物を置いて椅子に座っていると電気が付き、やがてイーゼルを脇に抱えた叶が準備室から出てきた。
「いやー待たせてごめんね、この学校何故か美術室の電気のスイッチが準備室の奥にあってさ、いちいち向こうまで行かなきゃいけないんだよね。」
ほんとどうにかしてほしいよ、とぶつくさ言いながら淡々と叶は準備を進める。
「よし……じゃあ早速始めようか!」
画材の準備も一通り終わったらしく叶は高らかにそう宣言した。
「僕はどうすれば良い?」
「君は別に何もしなくても良いよ、強いて言うならじっと動かないでほしいかな。」
言われた通りに動かないよう体をじっと固くした。
自分をモデルに絵を描かれているというのはとても奇妙な心地がするもので、むず痒くて何度も動きそうになったがそれも十分も経てば慣れた。
叶も初めはイーゼルの向こう側でうーんと唸っていたが、方向性が固まったからなのかさっきからスイスイと鉛筆を躍らせている。
「そういえば君、学校に来るなんて珍しいね。朝からちょっとした話題になってたよ。」
鉛筆の走る音だけ流れる空間を先に破ったのは叶だった。
「天気が良かったからね。それに予定なら僕は今頃もう死んでるし。」
「そもそも君は何で死にたかったのさ。」
「別に君には関係のないことだろ。」
それもそうだね、と叶はへらっと笑った。
「じゃあさ、死ぬ直前ってどんな気持ちだったの?」
「それも君には関係ないだろ。」
「いーじゃん、それにモデルの感情を知るのはデッサンで一番重要なことだってこの前先生が言ってたしね!」
「……別に何も感じなかったよ、死にたいと思ったのも別に今日決意したことじゃないし。」
「へー、思ったよりさっぱりしてるんだね。これまで色々あったなぁ、とかもっと感傷に浸るもんだと思ってた。」
感傷に浸る。普通ならそうするのかもしれない。けれど日向があの時感じていたのは握りしめた生ぬるい鉄柵の感触だけだった。感傷だなんてそんなものはどうでも良かったのだ。
叶からの質問はそれだけで終わらず、明らかに絵に関係のないことまで聞いてきた。
「好きな食べ物は?」
「特に今は無い……子供の頃はカレーが好きだった気がする。」
「じゃあ、次。最近買ったもの。」
「最近そもそも外に出てないから何も。」
「好きな教科は?」
「数学。」
「へぇー、ちなみに私たちが屋上に居る時は数学の時間だったらしいよ。」
好きなアーティストを聞かれたとき、日向は質問攻めに耐え切れずついに声を上げた。
「この質問意味ある?」
「あるよー、ちゃんと君の表情を柔らかくするって意味が。書かれる側が良い顔じゃないと良い絵は生まれないんだよ。」
「それはこっちでも善処するから何か別の方法にしてくれない?」
「なんでー?別に減るもんじゃないしいいじゃん。それに私は君の事がもっと知りたいな。」
そう言ってまた叶はフフッと笑った。
「そんなに嫌なら次は君から私に質問しても良いよ。」
その言葉を待っていたと言わんばかりに会ってから一番気になっていたことを真っ先に聞いた。
「何で僕を選んだ?別にデッサンくらいなら友達に頼めば誰でも書かせてくれるでしょ。」
「うーん、それは秘密ってことで。」
「何でだよ、僕は色々答えただろ?」
「秘密なものは秘密なんだよ。もしこれを描き終えるまで君が死ななかったら教えてあげても良いけど。」
「死ななかったらって、今日だけで終わりじゃないのかよ。」
「芸術は一日にしてならずだよ、菊池君。」
文句を垂れる日向を横目にそう言って彼女はイーゼルから画用紙を外し淡々と片づけを始めた。
「とりあえずイメージは付いてきたかな……あ、片づけは私がやっとくから君は帰っても良いよー。遅くまでありがとね。」
「片づけくらい手伝うよ。」
「大丈夫だよ、画材って結構繊細なものが多いから自分で直さないと心配なんだよね。」
その後も食い下がったが結局彼女に丸め込まれ日向は美術室を後にした。
夕方の廊下は電気すらついていなくて昼間以上に活気が無かった。差し込む夕日が時々眩しい。
(辻崎さん、思いのほか不思議な人だったな。)
激動の一日を過ごしたが、何よりも明日も彼女の為に学校に行かなければいけないことを憂鬱に思いながら日向は家へと帰った。
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