第十五輪 『厭臥〈アカネ〉』

「ああっ、そのお美しい光を、もっと、もっとぉ……」


 神経を伝って身体に痛みが響き渡っているだろうに、厭臥はそれすらも快楽としてその身で咀嚼しているらしい。

 輝優は彼女の歪んだ性癖に引き攣った笑みを見せつつ、白光を巨大化させて一直線の突進コースから逸れる。


「笑っちゃうよ、その歪みっぷり……。でも、同じことをきっと咲螺はウチに思ってた……」

 

 白光に悶え、厭臥自身が酔いしれる快楽と連動して暴れる巨大な花赦の横を通り過ぎ、再び白光を放つ。


「かくれんぼですか、輝優様っ」厭臥はこちらを向き、愛欲に狂う顔をさらに歪める。


「鬼は私ですねっ」巨大な花赦の群れが、輝優を襲う。


「いいや、ウチだ」

 

 それらを輝優ははと共に一斉に断ち切り、「ああっ!」強く叫ぶと、切断面を晒す花赦に思い切りストレリチアを突き刺し、白光を放ちながら刺突の進軍を開始する。


「あ、ああっ、輝優様が私の中に……私の身体を穿っていらっしゃる!」


 恍惚とした声は一段と熱を帯び、喘ぎ声さえ混じって聞こえた。


「だったら穿ってやるよ。そのまま、気が済むまで……」

 

 足に力を込め、左腕から手へと最大限の力を柄に伝え、腹の底から雄叫びを上げて花赦の群れで出来た塊を一閃していく。

 やがてその短い進軍に終わりが見え、輝優は一度止まって腕に力を入れ直すと、今度はストレリチアを水平から上へと上げ、さらに塊をぶちぶちと切断していく。


「ああ、あはっ」

 

 厭臥の興奮が絶頂に達したかと思った時、ストレリチアは上を向き、灼熱を伴う白光が花赦の塊を、天を目掛けて貫いた。

 轟轟と何かが爆ぜる音が続き、辺りが眩い光に包まれて燃えていく。

 輝優は絶え絶えに荒く息を吐きながら、崩れていく花赦の残骸を切り刻みつつ外へ出る。


「が、はぁ……っ」

 

 床に槍を刺し、持ち手に体重を委ねて亀裂が生じている床と向き合う。そしてすぐに呼吸を整えて上を向く。部屋の天井に穴が空き、薄暗い外の空間が見えていた。


「咲螺……っ」

 

 槍を抜いて構え、巨大な花赦の残骸に向かって駆け、彼女の姿を探す。

 咲螺の姿はすぐに見つかった。

 花赦の残がある向こう側に、依然眠ったまま投げられていたのだ。


「咲螺っ」

 

 すぐさま駆け付け、左腕で彼女の身体を寄せる。急に涙が出そうになるのを堪え、唇を固く結んで目を瞑り、そっと開く。


「待ってて」 

 

 そう言い残すと、そっと咲螺の身体を床に置いて立ち上がり、後ろを振り向いてストレリチアを構える。


「運命の糸、結びましょ?」

 

 額から血を流し、所々ドレスが焼け、白い肌に焦げ跡や擦過傷が目立つ愛狂者。しかし、淫靡に光る瞳は、見た目の凄惨さを無きものにする程、彼女の生命力に満ち溢れていた。


「決着を、つけよう。無責任にキミに、皆に傾けた歪んだ愛に」


 厭臥を真正面から射抜き、静かに言った。


「お互いに結び合って、いろんな形を作りましょ?」


 厭臥はまともに答えず、唇の歪みを消さない。


「終わらそう。この戦いも、ここでの時間も、間違った愛も」


 輝優は相手を真っ直ぐ相手を射抜いたまま、槍の先をゆっくりと目線の向こうへ重ねていく。


「きっと、素敵な形がたくさん出来ますから」


 目を細めた厭臥は問いの答えを促すように、顔を傾けて言った。


「……今ここで、この場所と過去の過ちを断ち切る」

 

 槍を構え、大きく強く踏み出し、煌めく穂先を厭臥の喉へと迫らせる。

 厭臥は両手を広げ、すぐに抱き締める動作をした。それだけで、輝優の身体が壊れた人形のように停止し、ぎこちなく身体を軋ませる。


「操り人形の、完成ですっ」


 満面の笑みで嬉しそうに言った厭臥。しかし、その声は酷く掠れていた。彼女の喉もまた、白光に包まれて焼かれていたのだ。

 彼女はその事実に気が付くと、ゆっくりと微笑んで仰向けに倒れた。


「もう、小細工なんていいんだよ」

 

 輝優は静かにそう言うと、ストレリチアの槍先を捻じらせ、白光で彼女を拘束する糸を焼いていく。 

 身体は次第に自由を取り戻し、槍を水平に振るとチューリップの花弁が連なる糸は完全に切断された。


「輝優さん、どこに行くのですか?」


 片手が、背後から輝優の腹を貫いた。


「置いていかないで下さいよ」


 片手が、背後から輝優の胸を貫いた。


「愛してるって、言ってくれたじゃないですか」


 片手が、背後から輝優の右肩を貫いた。


「いつもみたいに愛を下さい。優しさを下さい」


 片手が、背後から輝優の左腕を貫いた。


「楽しくやりましょう。皆で楽しく」


 片手が、背後から輝優の首を貫いた。

 無機質な彼女達の声と、手と、心を感じ、輝優の心はぼろぼろに砕け散った。


 正直に言って、鳥花と対峙した時から輝優の心は限界に近付いていた。あの時は咲螺が見ていてくれたから、信じてくれていたから、何とか耐えられた。


 夢の中で見た彼女の幻想は、輝優の背中を押してくれた授かったこの力は、輝優に大切な人を守り、彼女が歩む道を照らすための術を与えてくれた。だから、この力の蕾が息吹く時に感じた予感が、間違いなんかではないと、そう思って。


 愚直に、根拠も無くそう思いながら、戦った。戦って、そして自らが無責任に振り撒いた歪んだ愛の虚影に、結局は報いを受けて終わった。


 あっという間に視界は暗転し、体温すら感じられず、ただ死に近付く恐怖に怯えながら、終わりの時を待つ。


 唯一感じ取れるのは、終わりを下しに来たのだろう、死神の足音と、心の破片が散乱する音だけ。

 

 最後に彼女の名前を呼ぶことすら叶わなかった。

 終わりの刻限が、今鳴ろうとしている。

 絶対に消えない罪の報いと共に、死神がその鎌を振り下ろそうとしている。

 役目を終えた筈の感覚が叫んだ。

 後悔と悔恨の念を、ただ、叫んだ。


「————じゃあ、その罪を、わたしと一緒に償えばいいじゃないですか」

 

 終わった筈の耳が、その声を聴いた。


「今度は一人じゃなくて、わたしと一緒に悩めばいいじゃないですか」

 

 終わった筈の手が、その温もりを感じ取った。


「これ以上、無責任なことをするのは、わたしが許しませんよ」

 

 ————終わった筈の身体が、彼女の腕に抱かれていた。

 煌々と煌めく桃色の花弁飛び交う光の世界。

 そこで、大切な人は————咲螺は、困ったような笑みを湛えて輝優を優しく抱いていた。


「さく、ら……?」

 

 まさに茫然自失の状態で、愛する名を呟いた。


「はい、貴女が愛してくれた、咲螺です」


 彼女は目を優しく目を細めると、輝優の頭をそっと撫でてくれた。

 名を呼んで、答えてくれた。微笑んで、頭を撫でてくれた。

 途端に沸いた激情は、涙と共に溢れ出す。


「さく、ら……咲螺ぁ……っ」

 

 滂沱の涙は輝優の胸中を渦巻いてた数多の負感情と共に流れていく。


「もう、そんなに泣かないで下さいよ。先輩でしょう……っ」

 

 宥める彼女も次第に涙声になり、やがて同じように泣き始める。

 互いに固く抱き締め合い、体温を通わせて。

 身体に負った傷もすっかり癒えており、心は言葉にならない程の暖かさで満ちていた。

 

 そんな彼女達の束の間の————しかしどこまでも大きな壁を越えての再会劇を、光の世界を形作る、無数のコスモスの花が祝福していたのだった。


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