第十四輪 『開花、輝照の光槍〈ストレリチア〉』

 気分は思いのほか穏やかなものだった。

 咲螺さくらは既に死んでいる。しかし、そう断言する気にはなれなかった。

 

 いや、それは違うのかもしれない。


「声が、聞こえたんだ」

  

 左手から眩い光が発せられ、沈黙していた身体が『心透の沈黙ラベンダー』の呪縛から解き放たれる。


「な、ぜ……どうして……」

 

 首と繋がった直後の呆然としている鳥花とりかの顔は、今までで見た一番の傑作だ。

 だが、今はそれより。


「咲螺……」

 

 首が黒紫色の沈黙に侵されたまま、ベッドに横たわっている少女。込み上げてくる数多の激情を抑え込み、輝優きゆりは彼女に優しく微笑みかける。


「大丈夫、だよね。待ってるから」


 静かにそう言うと、咲螺の光を失っている瞳を瞑らせ、立ち上がる。

 そして、尚も呆然とした顔を晒しながら、しかし輝優を見ながらゆっくりと立ち上がる鳥花に、軽い笑みを浮かべながら言う。


「欲しいものってさ。望む時には手に入らないけど、いざ望まなくなった途端に手に入るもんだよね」

 

 正確には、意志の問題だ。自分のためではなく、咲螺のための力。

 どんなに暗い未来も、彼女が歩む道の先を照らせる光。


「まさか……『散華』したというの……?」

 

 この花護は、そのために咲かせる。

 沈黙から解き放たれ、右手に持つ光と呼応し、咲螺に赦された役割──生きる意味を言の葉に乗せて紡ぐ。


「──息吹け、『輝照の光槍ストレリチア』」

 

 掌から発現するのは、夕焼けを模した羽根を揺らす、茜色の鋭いくちばしを持つ鳥のような槍──その先端が白い光を帯び、炸裂した。


「う、ぐぅ……っ」

 

 目が焼き切れる程の白光。それは徐々に柱となり、鳥花を飲み込んでいた。


「これが、お前が侮ったウチの輝きの光だっ!」

 

 白光はやがて火の如く強烈な熱を生み、辺りからはちりちりと煙が上がっている。

 柱の中は言うまでもなく、燃焼の渦に包まれているだろう。


「確かに目が眩んでしまうわぁ! 暑過ぎるくらいに!」

 

 だが、跳躍した鳥花は焦げた顔と腕を見せ、血走った眼で輝優を見下ろしながら両手に持つラベンダーの針を頭上に振り下ろす。

 

 両脚に青紫の瘴気と傷と流血があるということは、自分のそれを沈黙の針で貫いて燃焼から防いだということだろう。

 

 炎の中、針と槍が、火花を散らして交錯する。

 響く轟音と甲高い金属音。それを掻き消すぐらいに輝優は吠える。


「……そこまでして、この子を貶めたいのか!」

 

 横たわる咲螺を背に、耐える。


「違うわね! 寧ろ感謝しているわ! 伝説の再現を目の当たりに出来て! ……しかしねぇ、こうなると都合が変わってくるの」


 鳥花は妖艶に舌なめずりして言った。


「大人の都合ってやつかよ。クソ食らえだ!」

 

 ストレリチアの柄を一段と強く握り締め、再び白光を放つ。だが、寸前に鳥花は素早く着地し、輝優の背後に回る。針は咲螺に向かって振り下ろされていた。


「保存はしなきゃねぇ」

 

 瞬間、途端に湧き出た怒りを、握る得物に伝動させて背後に立つ略奪者を光で貫く。途端、鳥花が悲鳴を上げて後ずさった。

 捻れたストレリチアの槍先が生き物のように、ひとりでに後ろを向いて白光を放っていたのだ。


「奪おうとするのなら容赦しない」

 

 ゆっくりと振り返り、顔を白光に包まれて煙を上げる鳥花に歩み寄り、捻れた穂先を再び槍状にして構える。


「大好きな人を奪おうとするのなら、容赦しない!」

 

 光をさらに強く、刺突をさらに速く。

 

 光の中から突き出された二本のラベンダーの針。怒りと冷静さが共在する輝優の目には、それが驚くほどに緩慢に見えた。

 

 再び槍先を捻じらせ、二本の針を彼女の手と共に払い除ける。「ひっ」と短い悲鳴を上げた鳥花は仰向けでベッドに倒れ、槍先を戻した輝優は容赦無くその穂先を鳥花の腹へと突き刺した。


「ごぱ……っ」


 余裕のあった美顔が苦痛に歪み、紅い唇からは黒と赤が混ざった血が吐き出される。


「終わりだ」


 槍を握る柄に一段と力を込めた輝優が、冷徹に呟く。


「ふ、ふふ……っ、堕ちた、ものねえ。たった一人のために、こんなこと……」

 

 濁った血を吐き続けながら、鳥花は精一杯に頬を歪曲させて言う。


「過ちは……忘れた頃に襲ってくるわ」


「それが正しい道なら、待っているのは幸せだ」


「ああ、面白い……本当に面白いわあ、貴女。咲螺ちゃんは屍になれて幸せだったのかしらあ?」


「その答えは、少なくともあんたには分からない」

 

 直後、輝優は「決して」と付け加え、ストレリチアの光を炸裂させた。鳥花の嗤いは最後まで消えることは無く、そのまま白光に飲まれていった。

 

 ──刹那、凄まじい衝撃が輝優を襲った。


「だ──ッ!?」


 腕が欠けている右肩から伝った衝撃は、そのまま輝優を風呂場の方へと吹き飛ばす。そして、カラーのお湯が沸く湯船に身が叩き込まれ、洗浄のお湯が溢れて飛び散る。

 

 反射的に槍の柄に力を込めたので、何とか武器を手放さずには済んだ。しかし、ゆっくりと目を開けて目に入った光景は、輝優を大きく驚愕させた。


「なんだよ、こいつ……」

 

 巨大な花赦が、何本も蠢いていた。それの中心には何人かの人影があり、腹に大きく穴を空けて焦げた中身を見せている鳥花の死体が、蠢く花赦の内の一本によって攫われている。

 しかし、攫われたのは彼女だけではなかった。


「咲螺っ!」


 名前を強く叫んだ時、まさに彼女が眠ったまま花赦に攫われたのだった。それを腕に抱え、姿形を晒す、赤いポピーが飾られた黒いドレスに身を纏う少女。


「さ、い、たっ、さい、い、たっ、チューリップぅのはーなーがぁ」

 

 独特の韻を踏んで陽気に歌う、黒い影。しかし、その正体に輝優は愕然とした。だって、常の彼女からは想像出来ないような陽気と、狂気を孕んでいたから。


「どう、して……」

「なぁらんだっ、なぁらんだ、あぁか、しぃろ————」

 

 抱いた咲螺の顔を口元に寄せ、ふざけた笑みを見せる彼女に、


厭臥あかね……」

 

 茫然と名を呟き、


「輝優様ぁ!」


 淫靡な目で輝優を見たまま咲螺の唇を啄んだ彼女に、


「……キミも」

 

 強く踏み出し、槍を突き立てて迫っていく。


「ウチと咲螺を害するのかっ!」


「そういう命令ですの。ごめんあそばせ」

 

 化け物のように不気味に蠢く花赦の中心、その上で見下ろす新たな狂女。その名に憎悪を込めて叫びながら、ストレリチアの白い煌めきを瞬かせた。

 しかし、一瞬。一瞬だった。その間が、死角からの攻撃を許す原因となってしまった。


「なん、で……」

 

 光が放たれる寸前での停止。それをなしたのは数人の影だった。厭臥と、咲螺と同じ服装をした、見慣れた顔ぶれ。その彼女達が構えるグラジオラスの短剣が一斉に突き刺しているのは、輝優の胴だった。


「キミ達が……」


 抜けるような声で問い、しかし答えは空虚に消えていく。輝優を穿つ彼女達の瞳もまた生気を感じさせない虚ろなものだった。


「私の花護も、咲螺ちゃんも、店長も、その子達も、輝優様も……みんな本当に可愛いです。そして、可愛いと思えるものは近くに置いて愛でたくなるのが自然の摂理……故に、皆で皆を繋ぎ合わせて私がそれを纏めて手繰れば、万事が解決するのですよ」

 

 陽気と狂気を孕んだ笑みを浮かべたまま、厭臥は訳の分からない独りよがりなことを言った。鈍くも鋭くもある多方からの激痛に襲われてる中、その偏った持論に対する明確な批判が思いつかない。


「私を作って下さった凛瞳様は、その願いを叶えさせてくれた」

 

 蠢く花赦と共に、輝優の方へ歩み寄る。そして、無邪気な子供がはしゃぐようにして、両手を広げて言った。


「それがこの、『チューリップ』の花護なのですっ」

 

 色とりどりのチューリップの花弁が連なる沢山の糸が、輝優を囲む少女達の身とつながった状態で出現した。いや、もしかしたら最初から繋がれたままの状態だったのかもしれない。

 だから、彼女達は自我を忘れた状態で輝優を襲ったのか。糸で手繰って、まるで人形のように。


「運命の糸っていうのは見えないものです。でも、見えたら最高じゃないですか? そして、それを自分で手繰って編むことが出来たらもっと最高ではないでしょうか」

 

 花赦を蠢かせたまま輝優の眼前まで来ると、彼女の頭上に口元を寄せ、呟いた。


「貴女も私の糸で振り向かせてみせますよ」

 

 それを聞いて、輝優は思わず吹き出した。その時に刺された箇所から激痛の信号が送られたが、それを無理やり無視して厭臥の顔を見上げる。


「まったく、とんだ皮肉だよ。散々、あなたの愛は偽物だって否定されてたった今その答えに気付いたっていうのにさ。今度はそれを教える側になるなんて」


「はて、教える、と言いました? おかしいですねぇ。貴女から教わることは激しい夜の営み以外はもう何も無いと思うのですが」


 きょとんとした顔を傾けて言った。


「そうだよ、つい最近までウチもそんな感じだった。自分の行いが絶対に正しいと、頑なにそう思って疑わなかった」


 輝優は薄い笑みを浮かべて言った。


「ちょっと待ってください。何がどうして、私が貴女から何かを教えてもらう雰囲気になっているのですか?」


 眉根を寄せた彼女の表情には、子供のような癇癪が滲み出ている気がした。案外、大人しく見えて実は子供なのかもしれない。

 そんな彼女に、輝優は片目を瞑って答えた。


 「その通りだよ。今からウチが先輩として、キミに最後の教えを叩き込むんだよ」

 

 そう言った直後、ストレリチアの柄を強く握り込み、槍先に意思を伝わせた。


「納得がいかない答えが返ってきたので、私が納得のいく結末を用意しましょう。ええ、そうしましょう!」


 厭臥が吠えると同時に、花赦の群れも暴れ出す。思えば、この太い花赦の群れも妙だった。人体から出せる大きさを容易に超えているし、第一、花赦は一人につき最低三本までしか出せない筈なのだ。

 ふと沸いたその疑問を、頭を振って振り払う。今はこの場を打開して咲螺を取り返すのだ。その決意が胸の中で熱く滾ったと同時に、ストレリチアの槍先から放たれる白光が輝優を囲む少女たちを押し退け、槍はそのまま花赦の進軍を食い止める。


「悪いけどキミの納得はどうでもいい!」


 軋む左手にさらに力を入れ、膨大な力に対抗する。


「どうでもいいとは酷いじゃないですか! そして何より、最後とはどういうことですか! まさかここを辞めるおつもりなんですか⁉ たった一人でまたゴミ溜めを練り歩く日々に戻るというのですかぁ⁉」

 

 厭臥は斜め上から唾を飛ばして早口でまくし立てる。


「一人じゃないっ、咲螺と二人でだ! ゴミ溜めだったっていう毎日も、彼女と一緒なら薔薇色に変わる!」


「よくもまあ、そんな台詞を恥ずかしげも無く堂々と……でも、この子はもう死んでいます。終わったことにうじうじ時間を使うより、私と新しい未来を築きましょう!」

 

 拮抗のバランスが段々と崩れ、輝優が後ろへと追いやられていく。だが、ここで押し負けるわけにはいかない。

 大きく息を吸い、強く吐いた。


「お断りだぁっ!」 

 

 槍先が微かにうねり、白光がぐるりと旋回する。


「ああ、素敵です。文字通り焼けてしまうほど眩しいのですね!」

 

 蠢く花赦の群れは大きく後ずさる。その隙に、輝優は一度ストレリチアを床に刺して手放し、空いた左手で身体に刺さっている数本のグラジオラスの短剣を引き抜くと、出血と痛みを無視して右腕に巻いてあるアゲラタムの布を破り、傷口に押し当てる。

 荒治療だが、これで少しはマシになった。そして、槍をもう一度持つと、間髪入れずに走り出し、槍先を厭臥に向けて白光を放ちながら突進していく。


「どんどん……どんどん来てください! その度に、私が全力で迎え入れますから! こんな子では無く、この私を選んでください!」

 

 巨大な花赦の群れを足のように動かして後退を続けながら、歪んだ求愛は止まらない。

 輝優は構わず、前進を続ける。


「迎え撃つの間違いでしょっ! 少なくともウチはキミを撃つ気だけどっ」

 

 一筋の白光が、蠢く花赦を焼いていく──。




 








 


 

 

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