第十六輪 『開花、調和の光子〈コスモス〉』

 コスモスの花弁が舞う桃光の空間。


 咲螺は万感の想いを胸に秘めながら、自分より年上の癖に子供のように泣きじゃくる先輩を抱いていた。

 歪んだ偽りの愛を傾け、押し付けた少女。しかし、心の底の真意に気付き、咲螺を真っ向から愛してくれた、愛する少女。


「もう、自分を否定しませんよね……?」


 咲螺は優しく語りかけた。


 輝優は彼女の胸に埋めた顔をゆるやかに上げると、その腫れた目と赤らんだ頬に笑みを湛え、頷いて言った。


「約束、守ってくれたからね」

 

 歪みも狂気も無い、心の底からの笑顔。それを見て、それを見ることが出来ただけでも戻って来た甲斐があったというものだ。


「本当に、戻って来れてよかった……」


 全てが唐突で、実感など無いに等しい。けれど、今ここで愛する先輩を抱き締め、心と体温を通わせているのは紛れも無い真実だ。


 そう、当たり前に抱き締めることが出来るのだ。彼岸花が咲き誇って生き返ったと同時に、失っていた手足やひび割れて閉ざしていた心も蘇っていたのだ。


「予感が、したんだ」


 輝優が咲螺のドレスの胸元に頬擦りしながら、静かに言った。


「キミが帰って来てくれる……今度は、ちゃんと愛し合うことが出来るっていうよ予感が……」


「それは、わたしもですよ。先輩」


 散華の果ての空間で出会った、無形の少女と交わした言葉が蘇る。許されない罪を犯し、好きな人の為に好きな人を踏み躙ってしまったと言っていた。


 一歩間違えば、咲螺も全てを失っていたかもしれない。しかし、返り咲くと決意し、無数の彼岸花と共に立ち上がった時、咲螺は決めたのだ。


 彼女が交わせなかった約束を、謳歌出来なかったその先の輝かしい日々を、自分が成し、内に眠る彼女に見せてあげようと。


「手足も、ちゃんとあるね」


 愛を育み、繋ぐ為の手。立ち上がる為の足。

 それは舞踊するコスモスと同じ色を灯し、手甲と足首にはそれぞれコスモスの花が咲いている。だが茎は無く、繋ぎ目はさも自然で、まるで手足が花と共に咲いているようだった。


「これからも必要ですから」と言い、「先輩、感動の再会すぐにすみませんなんですが……」


「うん、分かってるよ」と輝優は遮って微笑みながら言った。


 やがてゆっくりと抱擁が解け、互いに少し見つめ合うと、立ち上がって辺りを見渡す。


「これはわたしの花護で作った調和の光です」


 咲螺が手の甲を輝優に見せる。

 手の甲に咲くコスモスからは微かな光子のようなものが発せられており、それが桃光の空間を作っていた。「でも」と咲螺は続ける。


「これは、ただ、わたしの花護が咲き始めたから偶然起こっている現象……だと思います」


「開花の時だけ満開ってことか……。なんか、咲螺らしいね」


「まだ出会って二週間ぐらいなのに、もうわたしのことそんなに分かるんですか?」


「知らないことばかりだよ。だからこそ、これから知っていくんじゃんっ」


 声を弾ませた輝優は、片目を瞑って答えた。咲螺もふっ、と唇を緩め、掲げた両手でゆっくりと拳を握る。

 すると、二人を包む光の結界が徐々に消えていき、外界の風景が露わになる。

 即ち、輝優の心を強く穿つ、彼女達との相対。


「いや、待って。なに、あれ……」


 しかし、即座に訪れたのは同僚の彼女達との相対では無かった。

 眼前、地響きのような唸り声を上げる少女がもう一人。


「厭臥、さん……」


 咲螺が目を細めて見据えた先では、喉が焦げている状態で横たわっているおさげの少女──厭臥が、腹から大量の花赦を天へと放出していた。

 輝優はその悍しい光景を茫然と見ていた。つい先程、決着をつけた筈だ。それなのに、今、彼女は目の前で新たな変貌を遂げようとしている。

 生きているのか死しているのかは分からない。だが、確実に言えることがあった。


「化け物、ですね……。あれは花赦の化け物です」


 咲螺が冷静に言った。

 輝優の見解を代弁し、且つ予想外の単語を放った。


「花赦の、化け物……?」


 横に立つ咲螺に目だけ向けて問うた。


「ええ」と咲螺は顎を引き、厭臥の変貌を捉えながら続ける。

「わたしも詳しくは分かりません。でも、白ママから聞いたことがあるんです。この世界には、花赦で出来た化け物が居るって」


「……つまり、あれはもう、人間じゃないってこと?」


「多分……そう、なります」


 咲螺は自信無さげにそう言って俯く。

 やはり、人を、人だった存在を人では無いと断言するには抵抗があった。だから、厭臥が鳥花と同じく凛瞳に仕える敵だったとしても、彼女の人権だけは白紙に出来ない。

 だが、そんな悠長なことを言っている場合では無いらしい。


「……っ、あいつ、まさか外に……っ!」


 輝優の声に釣られ、咲螺も彼女が見上げる方を見遣る。

 大きくうねる花赦の束は生き物のように蠢き、天井から易々と顔を出すとそのまま外へ出ていく。

 それを目にし、咲螺はすぐさま決断を下した。


「輝優先輩、彼女達の説得と、店内に居る皆の避難をお願いします」


 輝優と向き合い、はきはきと言った。言われた彼女は目を見開き、その貌に憂いを浮かばせる。


「一人で、大丈夫なの?」


「大丈夫です。もう、勝手に死んだりはしません」


 言った直後、自分で放ったその文言に違和感を覚えたが、約束の旨は先程とは変わらない。

 違うのは、もう彼女を置いてはいかないことだ。


「そうだね。分かったよ」


 輝優はそっと目を瞑り、優しく微笑む。「ウチの予感は、外れないから」そして、子供のように、ニヤリと笑ったのだった。


「先輩……。お互い、信じてって言うのは野暮でしたね」


「そうだよっ、もうウチはキミに赦されて、キミも、自分を赦したんだから」


「はい……」


 咲螺はコスモスが咲く両手を胸に重ね、深く息を吐き、吸った。

 そして輝優に左手を掲げる。一瞬、驚いた顔をした彼女も、すぐに意図を汲み取ったようで、同じく左手を掲げる。

 やがて両者は互いに歩み寄り、手にも勢いをつけて、


「さっさと終わらせて、お風呂入りましょう!」


「のぼせるまでイチャつきながらねっ」


 思い切り、ばちんっ、とハイタッチを交わしたのだった。

 そうして二人は互いに背を向けて歩いていき、咲螺は両手を、輝優は左手に再び武器を持ち、各々の役目を果たそうと構える。


「息吹け、『調和の光子コスモス』」


 咲螺の手足に咲くコスモスが唸り、桃色の光を帯びる。

 そして、屋根に空いた穴から這い出る花赦を見上げ、両足に力を込めると、身体に羽が生えたような感覚と共に飛び立った。




 

 

 

 


 

 

 



 



 


 

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