第十一輪 『輝くような優しさを持ってしまって』

「どうしてあなたを咲かせてしまったの。どうしてあなたは咲いてしまったの」

 

 輝くような優しさを持って。


「あなたは要らない。あなたは──お前など、必要無い」

  

 目が眩んでしまうほどの輝きと優しさを持ってしまって。


「殺しはしない……だから、勝手に枯れ果てなさい。もう、あなたの家族なんてどこにもいないのだから」

 

 輝きが強過ぎたから、優しさが深過ぎたから、きっとこの紅母ひとは大事な白母ひとを失ってしまったのだろう。


「でも、どうして……あなたなんかに……あの人は……っ」

 

 去り際に悲痛な貌でそう言った紅母は、十歳の輝優と血に塗れた白母の死体を残して去っていった。

 

 輝優は自分の唇に触れ、直前までの白母の柔らかな唇の感触を思い出す。

 

 大人の美貌、魅力、匂い。

 

 まだ若さと魔性を残した白母の身体は、滑らかで心地よく、それでいて身を貫かれるような快楽を伴っていた。

 

 実の白母に愛されてセックスし、嫉妬に駆られた紅母は実の結人を殺して実の娘を捨て去っていった。

 

 この日から、輝優の人生は没落の一途を辿っていくことになる。


****


「暴力と優しさはやがて大きな愛を作り出すと思うの。貴女のその優しさと組み合わせたら……ふふっ、最高ね」

 

 その名家での暮らしの大半は、雑務──ではなく、玩具として暴力と凌辱を受ける時間に費やされていた。

 誰もが羨むような美貌や地位、権力を持つ貴族の令嬢。許嫁も決まっており、自身も学生の身でありながら幾つかの仕事を手掛けていた。


「力に屈する貴女のその表情、喘ぎ、傷……全てが素敵よ。私もそろそろ濡れてきてしまったわ」

 

 玩具箱と呼ばれたその部屋には、無数の拷問器具と固まった血痕、紫色の小さな花弁が群れるリモニウムで作られた箱の中には、多くの少女達の遺体があった。

 変わらぬ状態のまま保存できるリモニウムのこんな使い方は、当然ながら初めて目にした。


「さらに深い悲鳴を聞かせて頂戴」

 

 傍らにある机に置かれたユーカリが詰まった瓶。一般的には、その再生という特性を活かして医療に使われるが、この女の目的は当然、そのようなものではなく。


「それでは今日も、まずは親指さんから」

 

 女は特に、骨を折ることが好きだった。

 

 切り傷や痣も目に見えるので素敵だが、それ以上に骨を折って砕くと目に見えない部分で生まれた破壊によって、これ以上に無い絶叫が聞こえる──それが最もそそるのだと。

 

 折られる部位以外は、基本的に縛られたまま座らされていた。

 その座る椅子も、電気を発する黄色く細かいヒペリカムの花が組み込まれた電気椅子だ。

 

 時にはそのヒペリカムを膣内に捻じ込み、椅子と共に電気を流して何度も絶頂させられたりもした。その間も指や腕の骨を折られ、膝の骨を砕かれた。


「三桁は……流石に無理だったか。まあ、でも貴女の目が覚めたら、ようやくメインディッシュよぉ……」

 

 度重なる絶頂と破壊によって高頻度で起こる失神。女はその度にユーカリで破損箇所を再生し、電気椅子で起こし、水分補給と称してグロキシニアを水に混入させた飲ませた。そのせいで常に身体は欲に疼き、思考は情欲に侵されていった。

 

 しかし、これらの半ば拷問のような行為も、女にとってはあくまで前戯に過ぎない。女にとってのそれは、たった一つの目的の為に過ぎなかった。


「今日も挿れる、わよっ!」

 

 極上のセックス──蹂躙を楽しむためだ。

 

 女は殴り続けながら自分のヴァギナを無理やり舐めさせ、あるいは輝優のそれと擦り合わせて何度か絶頂すると、腰から出した花赦を硬くしならせ、彼女の頭を鷲掴んで喉の奥までねじ込んだり、覆いかぶさって強引にそれを輝優の膣奥へと挿し込んだ。

 

 花赦を挿し、溢れ出る『種蜜』を吸い込み、互いのそれを繋ぎ合わせて一つの種を生んで咲かせる──『咲生の儀』に必要なその行為は、女にとっては歪な欲求を満たす慰め行為でしか無かった。

 

 毎日のように繰り返された暴行。

 いつしか輝優の愛情の定義には必ず『暴力による屈服』が組み込まれ、歪な愛情表現が染みついていった。

 

 その名家は悪事にも手を染めており、それが柊皇直属の近衛騎士団『カーネーション』に暴かれたことで、令嬢諸共逮捕された。

 

 開放された輝優は、孤児を受け入れる同階層の施設にて暮らし始めた。

 だが、心の傷が癒えるどころか歪な愛情表現が基礎となっている輝優は、異常者と恐れられて誰も近付くことは無かった。

 

 退屈──たったそれだけの理由で、輝優は施設の子供や教職員全員に歪な求愛行為をして奴隷に陥れると、まるで散歩に出向くような気楽さでその場所を出ていった。

 

 数々の店や溜まり場に顔を出しては、力と優しさを振りまいて奴隷を生んでいった。

 

 ただ、『カーネーション』──その中でも『守護者』が護衛する『柱茎塔』に挑んだのは、浅はかで愚かな試みだった。

 

 柊皇・凛瞳に見初められた証である花護を持つ者。当然、その守護者に敵う筈も無く、反逆行為でありながらも未成年であったため、罪状は下層への降下のみで済んだ。

 

 第七階層には退屈していたし、貴族の顔を見るだけで吐き気を催してしまうため、これはちょうど良い機会だと思った。


「ねぇ、貴女。よければ是非、私の店で働いてみない?」

  

 ラベンダーの眼鏡をかけ、黒装に身を纏った銀髪の美女。

 鳥花から『スパティフィラム』の勧誘をされたのは、灰の第八階層で遊び回って少し経ってからだった。


 由緒正しき上の階層は、当然ながら水商売なんて店は無い。ところが、ある程度の権力を持つ貴族は上下問わず行き来が出来るため、この廃れた場所に己を慰めたり奴隷を買ったりするために訪れる者も少なくない。


「貴女には他の子とは違う、特別なものがあるわ」

 

 胡散臭い勧誘文句。しかし、水商売はまだしたことが無かったし、違法年齢である十二は越えていたので、二言返事で了承した。

 そうして、これまた気楽に新たな世界へと踏み出し、慰みと情欲の渦に身を投じていった。

 

 仕事はすぐに慣れた。暴力を使わずとも、持ち前の魅力があったから。

 

 ただ──


「輝優、その……よければ是非、私とお付き合いを──」

「輝優ちゃん、これからは貴女だけを目当てにこの店に来るわ」

「輝優、今度の休日なんだけど……」

「輝優さん、誕生日はいつ? 貴族の客をはべらしているわたくしであれば、どんな高価な物も──」

「輝優様、欲求不満なら私が貴女のメスになります……」

「輝優」「輝優さん」「輝優様」「輝優ちゃん」「おめでとう」「店内人気一位」「私と早くエッチを」「可愛い」「わたしだけ見て」「抱いて」「お金あげるから」「独り占めしたいわぁ」「匂い嗅がせて」

 

 ──吐き気がした。

 

 どいつもこいつも愛と性に飢えた人の皮を被った獣。金や物で釣る者も居れば、後先考えずに衝動的に襲ってきた者も居た。

 愛を掲げる者が信用出来ない。愛が全て、愛は金では買えない、愛は人を幸せにする──そんなものは無責任な綺麗事の羅列に過ぎない。

 

 ──力、か。

 邪な世界。悪辣な情欲。

 であれば、もう抑え込んで愛を跳ね除けるのはやめよう。

  

 ──やっぱり、力だ。

 相手の有無を言わさずに屈服させる。

 持ってしまった、授けられてしまった己の性質を使って、籠絡しよう。


 あの女が自分にしたことは、決して間違いではなかった。しかし、そうするためにはさらなる力が要る。暴力と持ち前の技術だけでは届かない、圧倒的な力が。

 

 花護。

 それさえあれば、自分に都合の良い愛を手に入れることが出来る。


 だとすれば、一番手っ取り早いのはあの柊皇を籠絡することか。

 不可能だ。あの王様こそ、力の権化だ。勝てる訳が無い。


「私も『カーネーション』の一員。花護を持つ守護者よ」

 

 その告白を聞いたのは、輝優が十五になる頃だった。

 

 その日の夜、凛瞳とその側近による密かな襲撃が、水の第五階層にある辺鄙な村であったらしい。そして、村の生き残りの一人が花護を使って一人の少女をどこかへ追いやった、と。

 

 団員全員に渡されたその知らせを鳥花も聞きつけていて、運良く見つかったらしい。

 輝優としては、団員でもない村の住人がなぜ花護を持っていたかが気になったが、その答えと少女の正体が、輝優の関心を釘付けにした。


「凛瞳様がご執心されていた『館葵村』……虹華楼創造と何か深い繋がりがあるらしいけれど、そこに居たとされるのが『原初の巫女』。そして、かのお方が持っていたとされる『花扱』と呼ばれる性質を、この少女も持っている」

 

 その時は凄まじく驚いた。

 鳥花の正体もそうだが、何より驚いたのは、鳥花の部屋で寝息を立てている少女──咲螺が、凛瞳と同じ性質を持つということ。

 使わない手は無いと思った。


「力を他の誰よりも渇望している貴女だから話したの。このことは内密に、ね。私は凛瞳様から咲螺ちゃんを見つけ次第、運べと命じられている……その前に、貴女にチャンスをあげましょう」

 

 腹の底に何か企みを抱える胡散臭い笑顔。

 しかし、輝優は鳥花の提案に乗った。


「ええ。同い年で、しかも同じ快楽を共有出来るのなら……それもいいかもしれません」

 

 大人しそうな顔をして、この職場の中では一番乱れている、欲に忠実な犬。

 厭臥──あきたらかせておけ。そんな不名誉な名前を付けた親の顔を見てみたい。もっとも、名付けたのが親では無い可能性の方が高いが。

 

 何にせよ、餌として協力してくれるのなら、良いに越したことは無い。

 その夜は、彼女が立てなくなるぐらい、存分に夢見心地にさせてあげた。


 わざと咲螺に見えるように厭臥を倉庫に引き入れると、予想通り彼女は覗きに来た。鳥花も来たのが予想外だったが、あまりデメリットは無かった。


「──な、ずな……」

  

 混乱と、絶望と、苦痛と、喪失と。

 咲螺が味わっている感情の全てが手に取るように分かっていた。


「先輩の愛は、吐き気がします」

 

 拒絶されることは分かっていた。そしてそれは、やがて従順な奴隷になり果てる者が見せる精一杯の抵抗なのだということも。


「確かに、愛の定義は人それぞれです……だけど、あなたのそれには真意がひとかけらも存在しない」

 

 知ったような口を聞く。

 昨夜まで泣き腫らして死んだように眠っていた奴が。苦しみと言っても、自分が味わったそれには到底及ばない癖に。

 何も知らず、大事に育てられて、本当の愛を知っているからそんなことが言えるのだ。


「逃げないでくださいよ。ちゃんと向き合ってくださいよ。そうしたら、わたしも先輩を受け入れますから……」

 

 憐れまれて、叱咤されて、同情された。こんなことは初めてだった。


 輝優を睨み上げる目は恐怖で揺らぎ、その奥にある怒りは揺るぎないものだった。だが、輝優にはその感情が不可解でならなかった。どうして、他人の愛にそこまで介入しようとするのか。それも、自分を執拗に痛めつけた相手なんかに。

 

 どくん、と胸が高鳴った気がした。その感覚も初めてのものだった。歩き慣れた道を逸れて獣道を進んだら、秘境を発見したような、そんな心躍る感覚があった。


 そして、恐らく、この時からだろうか。咲螺を見る目が、彼女を象る自分の中の認識全体ががらりと変わったような気がした。しかし、その未知なる感覚を咀嚼するには、十分な時間は無かった。だから、あの女によって困惑に拍車がかかったのかもしれない。


「これだけは言っておくわ。貴女が咲螺に赦されるには、貴女が自分に正直になることね。……見せかけの、道具としての愛は、人を不幸にする」


 右眼に宿るネリネの紋章。

 淡い光を放つそれは、鳥花が言っていた通り、『原初の巫女』と同じ性質を持つことを証明していた。


 咲螺と同じ姿形をした、別人。彼女が放った言葉は輝優を苛立たせ、そして酷く動揺させた。まるで今の今までに至る彼女の足跡と心情を見てきたような物言いだった。


 輝優は、揺れていた。咲螺に向けるこの感情が、何なのか未だに分からない。分からないが、これだけははっきりと言えた。

 足踏みしている時間は無い、と。


「これはただの風邪ではないわ。輝優ちゃんが言っていた何者かの顕現……その直後に訪れたのなら、答えは一つしかない。『赦侵病』と呼ばれるものよ」

 

 ラベンダーの花護で咲螺の中身を覗いた鳥花は、無表情でそう言った。

 

 『赦侵病』。花赦から入り込んだ病原菌や毒素が原因でごく稀に発生する病だ。その内容は都市伝説レベルでしか浸透しておらず、中には性病の一種ではないかと根拠も無く言う者もいる。

 確かに、この『虹華楼世界』のどこを見渡しても、それを発症している者はそうそう居ない。どんなに一流の医者でもお目にかかる機会はまずないだろう。しかし、柊皇・凛瞳や彼女に仕える『柱頭宮』や『カーネーション』の極一部の者達は、その奇病の実例を知っているらしい。

 

 『原初の巫女』が唯一発症した病。なるほど、これなら確かに都市伝説化するだろうなと輝優も合点がいった。同時に、何故そんなものに咲螺がかかってしまったのか。自分がこれまで彼女にしてきた仕打ちが直接の原因ではないと知って安堵した卑しい自分も居たが、やはり原因を知っていち早く彼女を助けたい自分も居たのだった。


「凛瞳様が仰っていた通り、この子は特別らしいわ。咲螺ちゃんは私たちにとっての小さな女神なのかもしれないわね」

 

 女神、と聞いて、輝優の脳裏には三つの感情がよぎった。咲螺のことをよく知らない鳥花が、彼女のことを女神と称えることへの不快感。そして、どうしてそんな不快感を自分が覚えてしまうのかということへの疑問。そして、恐らくその答えも、輝優が咲螺に向ける無名の感情への答えに行き着くのではないかという展望————。

 

 しかし、咲螺と触れ合う時間も、彼女に自分の愛をふんだんに向ける機会も、全て与えられたものでしかない。咲螺の内に眠る何者かの顕現。これは鳥花も分からないと言っていたが、赦侵病が発症したこともあって彼女が少し焦っていることは分かった。


「決意することね。終止符を打つには、それしか無いわ」

 

 輝優の嘆きに返ってきた答えは、無機質で滔々と放たれたのだった。

 まだ、咲螺に赦されていない。赦されなければ、輝優は彼女から花護を与えてもらうことは出来ない。


 これは鳥花との契約に反し、彼女が咲螺を凛瞳に届けるという役目にも支障をきたすこととなる。

 

 ならば、やはり無理やり自分の愛を認めてもらい、受け入れさせる方法しか無いのか。しかし、どちらにせよ咲螺は輝優の下を離れ、凛瞳の下で傀儡となり果ててしまうだろう。

 

 選ぶしか、ない。ここで、決意するしかない。

   

 頭が火を吹きそうなほどに、高速で考えを巡らせる。その過程で、自らが掲げた愛というものに疑問を感じた。愛とは何か。輝優にとっての愛とは何なのか。輝優が咲螺に向ける無形の感情は何なのか。

 その疑問は、鳥花が去ってからも消えなかった。

 

 ──咲螺。

 

 布団の中で寝息を立てる彼女。

 アゲラタムの布を額に乗せて暫くすると、幾分か安らかな表情になった。彼女の顔を見て、名前を紡いだ。

 

 ──さくら。さく、ら。

 

 顔を見て、頬に触れて、名前を呼んだ。そして手をとって優しく繋ぎ、体温を通わせる。

 たったそれだけのことなのに、何故か酷く心が疼き、頬が火照り、どうしようもない感覚になった。

 

 彼女が寝息に混じって微かな声を上げると、動悸が急激に早まった。

 

 ──咲螺ちゃん。咲螺、さん。さくっち。

 

 どうしようもない感覚を振り払う為に、彼女の呼び方を手当たり次第に口に出してみたら、さらにどうしようもない感覚が増したので、少し後悔した。

 

 ただ、そのひと時が、輝優にとって穏やかで暖かく感じた。

 

 懐に忍ばせたグラジオラスに手を這わす。花赦を繋げば短剣へと化ける違法武器。これを今すぐ咲螺の白く細い喉元に突き刺すのは簡単だ。

 

 鳥花からは、出来る限りの情報を引き出した後に動けなくしろと言われているので、まだ猶予はあった。


 しかし、もう輝優が咲螺に赦されて花護を手にするチャンスは無い。ただ、そんなことはもはやどうでもよかった。選択をし、決断をしなければならない。

 

 そこで唐突に目を覚ました咲螺に気付かれるのが不味いと思ったので、手を繋いだまま寝たふりをした。


 その間、輝優は密かに定めた決意を胸に秘め、やがて彼女と向かい合ったのだった。

 

 ——決めたよ、ウチは。


 嘘は、もういい。

 

 ──証明してみせるよ。ウチの気持ちを。

 

 そう言った時、輝優の中にもう迷いは無かった。

 

 偽りの太陽は、本心から正解だと思える道を選んだのだった。

 

 

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