第七輪 『凌辱』
悪夢を見た気がした。
大切なものを奪われ、心を踏み躙られる喪失感と恐怖。
しかし、それは夢では済まされず、目の前で嗤う死神はさらなる凌辱を見せるのだろう。
天井に吊るされたカタバミの灯りが弱々しく煌めく、薄闇の空間。
「そのベッドにある、アゲラタムで作られた毛布と布団、そして鎖。それがあれば、いくらキミの身が壊れようが心が潰れようが、傷は勝手に癒えていくんだ」
手脚を拘束している青紫色の花弁──円形状のそれが連なった鎖を輝優は撫で、震える咲螺の耳元でそっと呟いた。
しかし、それに答える権利は、咲螺には無い。猿轡として使われているユーカリの葉は、医療でよく再生治癒に使われる薬だ。それが今、どうして咲螺の口を封じているのか。
その答えが、拘束されてアゲラタムのベッドの上で震えていることへの答えが、輝優の傍にある器具にあった。
それらを目にして、より一層恐怖する。
「じゃっ、始めよっか!」
彼女が右手に持つ、花赦に繋がれた赤白い花弁──グロキシニアの花の茎から伸びる針が咲螺の腕に刺さっていたのだ。
一定時間の間、感度が上がって興奮状態に陥る薬だと、
「キミが今から味わうのは未知の感動だよ。焦らず、恐れず、その先に待つ世界に身と心を委ねればいい……」
「んーっ、んぅ……っ」
「そうして気が付けば、キミはウチの奴隷として悦びに浸るんだ」
迫った輝優はそのまま咲螺の唇に付けてあるユーカリの猿轡を外し、自分のそれを重ね、すぐに舌を口腔から捩じ込む。
漏れ出る喘ぎと吐息。しかし、先と違うのは感覚だ。口内を侵す輝優の舌、触れる息、彼女が肩や腕、手へと這わす指先。
その全てが身体へと鋭敏に感覚が染み渡り、背筋が粟立って頭の中で何かが弾けるような衝撃が走る。
やがて輝優は顔を離し、唇に人差し指を当てながら、互いの口から引く糸を見て妖艶に微笑む。
「そろそろ、出来上がってるかなぁ?」
先のように大腿へと指先を這わして脚を開かせる。
それだけの動作に感覚が悲鳴を上げ、そして輝優の瞳に中にある妖しい光を見て、咲螺の首は自然と左右に振られる。
「ここまではいつもの手順。出来上がったところをひと挿ししてもうおしまい。それだけで皆落ちちゃうからね。でも、キミはそうじゃない。きっと、あいつがウチにやったように徹底的にしないと、完全に手に入れることは出来ない気がする」
何を言っているのかが分からない。分からないが、何をされようとしているのは分かっている。分かってしまっているからこそ、認めたくなかった。
輝優が振り撒くのは『偽の愛』だ。
そんなもの、認めたくない。
しかしその拒絶思考も、輝優の腰から伸びた花赦の出現によって一度停止することとなる
「連鎖ってのは、こういうことを言うんだろうね」
「やめて。もう、やめてよ、こんなこと————」
「ウチにとっては悲劇のそれでも、キミにとっては悦びに感じる」
腰から股を通って硬くしなったものが口腔から侵入した。花赦だ。硬くしなったそれが、咲螺の喉奥まで届き、勢いよく打ち付けられる。
「おぶっ、お、ぶぅ……っ!?」
猛烈な吐き気。喉が痙攣し、胃の中身が喉を伝って這い出ようとしている。苦しさに顔を歪め、涙を滲ませる。しかし、強く打ち付けられる花赦はいっこうに抜かれる気配が無い。
淫靡と狂気に塗られた凌辱が、始まった。
****
「ん……」
不意に目が覚め、瞬く間に恐怖が押し寄せる。
熱に侵されるような痛みを下腹部に覚え、胃の奥底から吐き気が込み上げてくる。
「おっ、起きた起きた」
「……っ!」
気楽にそう声をかけた輝優は、ちょうど扉を開けて部屋に入ってくるところだった。手にはアゲラタムの拭き物が握られていた。
「たんと汗をかいたし、事後だからねえ。お風呂はきちんと入らないとっ」
そう言うと、輝優は咲螺に近付いて手足の拘束を解き、ベッドから身体を起こして出ることを手伝った。
息が荒くなり、尋常でない程の震えが咲螺の身を襲った。
手を振り払い、部屋の奥に逃げて強く身を振る。
「やめて、下さい! お願いします! もう痛いことをして犯さないでくださいっ! 言うことなら、何でも聞きますからぁ……っ」
不意に零れる滂沱の涙。これを言ったところで、また暴行されるかもしれない。しかし、恐怖のあまり黙することも出来ないでいた。
そして、彼女から与えられた歪な愛が、咲螺に猛烈な吐き気を与えていた。
「そう、だよね。ごめん……」
だから、輝優が謝ったことを認識するのに、数拍の間が空いた。
「え、あやま——」
「ウチ、境遇がちょっと特殊でさ、好きな人の前だとどうしてもこうなっちゃうんだ」
手に持つタオルを手で遊ばせながら、視線を落として続ける。
「過度な暴力を振るうってことがどんなに外道か。過度な凌辱ってのがどんなに極悪か……そんなことは分かってる……分かってるけど止められないんだ! ウチは愛を振り撒いて愛されたい! だから、どうか分かって!」
咄嗟に頭に押し付けられたタオルと輝優の力に、咲螺はまたしても抵抗出来なかった。急な窒息に抗い、激しく身を振る。しかし、輝優の言っていた願望が頭の中で反芻され、途中から抵抗するのを止めた。
「どうして、抵抗しないの……?」
面白くなかったからだろうか。ゆっくりと解かれたタオルの先にあったのは、眉を顰めた彼女の顔だった。
不意に、吐き気がした。
「お、えぇっ」
「ど、どうして急に吐くのさ!」
胃からせり上がり、搾り取られるようにして吐き出された吐瀉物。咲螺はそれを茫然と眺めたあと、ゆっくりと顔を上げて輝優を見た。
依然として涙に濡れたその桃色の瞳には、怒りと憎悪が宿っていた。
「先輩の愛は、吐き気がします」
「……は?」
間抜けたような顔で相対する輝優に、咲螺は今一度強く放った。
「先輩のその偽の愛を聞いて、吐いたって言ったんですよ」
輝優はそれを聞いて、暫し茫然としていた。やがて硬直が解けると、低い笑いを漏らして、
「——頭、おかしいんじゃないの?」
咲螺を殴り飛ばすと共にそう言った。
「ぐあっ」
「今、主導権を握っているのは誰? 愛を汲んでもらうのは誰? キミが屈する対象は誰? ウチでしょ⁉ それなのに、キミはウチが傾ける愛を否定するの⁉」
憤る輝優を睨み上げながら、咲螺は鈍痛が走る頬を押さえてゆらゆらと立ち上がる。
「確かに、愛の定義は人それぞれです……だけど、あなたのそれには真意がひとかけらも存在しない」
真っ向から吠える咲螺。それに対し、輝優は奥歯を噛み締め、そして薄く不気味に笑うと、
「すぐに壊れるかと思ったら、まだ吠える気力があったみたいだね。何も知らない癖にべらべらと説教垂れてくれちゃってさ……」
懐から出した白いポピーの花に花赦を繋ぎ、花弁の香りを咲螺に嗅がせた。
「ひと眠りして目を覚ましたら、そこは痛みと快楽の無間地獄さ。たんと味わいなよ」
「……っ」
段々と、段々と、思考と視界が朧になって霧の中へと霞んでいく。
やがて意識は暗転し、いつ来るか分からない目覚めに怯えながらも深い闇の海へと沈みゆく。どんな痛みが、どんな快感が身体を起こすのだろう。そんな微かな恐怖も、海の底へと沈んでいった。
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