#18 家族じゃないか

「アルブムが人前に出られるようになるまで、私は笑ってはいけない。アルブムを傷つけたから」


 目の前のルブルムは、涙を必死にこらえている。

 ルブルムは無表情な子というわけじゃなかったんだな。

 気持ちをずっと押し殺していただけだったんだ。


 そんなルブルムを、俺はとても他人には思えなかった。


 笑ってはいけない。

 その気持を俺は知っているから。

 小さな頃の利照おれの実体験で。


 才能がないからとピアノやバイオリンをやめさせられたとき、まだ丈侍と知り合う前だった俺は、学校から帰ってから一人で暇を持て余していた。

 姉さんや英志はお稽古ごと、父さんは仕事で、母さんは公演やら取材やら練習やらでなんだかんだ家に居ない。

 家族がまだ誰も帰っていない自宅で一人、テレビをつけてぼんやり観ていた。

 そのテレビが突然消されて、振り返ったら姉さんが軽蔑の眼差しで俺を見下ろしていた。


「お母さまの期待を裏切っておいて、どうして笑っていられるの?」


 それからずいぶん長いこと、俺は家族の前で笑わないように努めていた。

 最初は当てつけのつもりで無表情のフリだけだったはずなのに、いつの間にか仮面みたいなその我慢が、顔に貼り付いて取れなくなるんだよね。

 そればかりか自分の中に、申し訳ない気持ちがどんどん膨らんできて、気がついたら毎日、自分の才能のなさを責めるようになっていた。

 苦しい、本当にしんどい日々だった。

 丈侍に出会えなかったら、俺は今でも笑わない、笑うことができないヤツのままだったと思う。

 そんな笑えなかった頃の俺に、ルブルムは似ているんだ。


「ルブルム……もう、いいんだよ。笑っても」


 俺がそんな言葉をかけたのは、幼い頃の自分を助けたかったのか、それとも丈侍みたいになりたかったのか。

 どちらにせよ、ルブルムを放っておけなくて。


「どうして、いいの?」


「アルブムは、俺に姿を見せたよ」


「……ああ、そうだった」


「俺にはさ、ルブルムが傷つけているのは、過去のアルブムじゃなく、現在のルブルム自身なように感じるよ。アルブムが俺の前に姿を現したのは、過去にあったことを乗り越えて前に進もうとしているんじゃないかな。でも、そこでルブルムが笑うことをずっと封印し続けていたら、今度は逆にアルブムが、ルブルムを笑えなくしてしまったって自分を責めるようになっちゃうかもしれない」


「……逆に……」


「そう。だからね、アルブムが一歩前に進んで俺に姿を見せたように、ルブルムも一歩前に進んで俺に笑った顔を見せてよ。少しずつでいいから」


 少しずつでいいから。

 この言葉は、丈侍が利照おれに言ってくれた言葉。

 丈侍の家にいるときは、そういうの忘れちゃいなよ、とも言ってくれたっけ。


「いいのかな。本当に、私……」


 ルブルムの瞳から涙がこぼれる。


「俺はそう思うよ。だって、家族だろ。家族が傷ついたままなんて嫌だろ?」


 そう言う利照おれの家族はボロボロだけど。

 でも、丈侍の家は温かい。

 それにリテルの家族も。


「うん」


「大丈夫。家族じゃないか」


 この言葉は、丈侍の家じゃなく、リテルの家の中にあった言葉。

 ドッヂとソンが生まれたとき、リテルの父さんが俺たちに言ってくれた言葉。


「ドッヂはいずれ自分が先祖返りだということを気にする日が来るかもしれない。家族と自分だけ見た目が違うことを。だから今日、たった今から、私たち家族は、お互いがお互いを愛していることを、常に伝える努力をしよう。いざとなったときに、とってもつけたような言葉で慰めてもそれは助けにはなりにくい。常に愛され続けてきたという実感があればこそ、危機的状況の中でも真っ直ぐに信じてもらえる言葉もあると私は思うのだ……だから、母さん、こんなに元気な双子を産んでくれてありがとう。愛しているよ」


 思い出しただけで、俺まで涙が出そうになる。

 先祖返りに対しての偏見が少なくないことを、リテルは知っている。

 あんなに仲が良いストウ村においても、実際にそういう人は居た。

 だからドッヂのことは何度も抱きしめた。

 大丈夫だよ、家族だよ、大好きだよ、って伝えながら。


「ルブルム。帰ったら、ルブルムがアルブムをどのくらい大切に思っているかを、たくさん伝えるといい。想いは伝えなければ、すれ違ってしまったときに気づけないこともある。二人で、気持ちを伝えあいながら、一緒に笑顔になってほしい」


「わかった」


 ルブルムの頬が少し緩んだ。


「リテル、ありがとう。リテルはとっても頼りになる……これからも、頼りにするから」


「うん」


 照れ隠しに仰向けになって……そして真っ先に思い出したのはケティのこと。

 どうして、今の半分の優しさでもケティへ向けられなかったんだろう。

 そんなことを考えているうちに、眠ってしまっていた。




「楽しいです!」


 マドハトの嬉しそうな声で目が覚める。

 声は御者台の付近から……でも姿は見えない……あれ? おいおい、マドハト?


 慌てて御者台へと駆けつけると、マドハトはテニール兄貴の膝の上にちょこんと座っている。


「マドハト、おいっ……お前!」


 確かにマドハトは呪詛に伝染したゴブリンの体ではなくなった。

 でも、そのあと呪詛に伝染している俺にさんざんしがみついたり舐めたりしたから、しっかり再伝染している。

 カエルレウム師匠に確認したから間違いない。


「大丈夫だよ、リテル。俺も伝染してるからさ」


 テニール兄貴がラビツの仲間と腕相撲をしていた話は聞いている。

 でも、そうじゃない。そうじゃないんだ、兄貴。

 ゴブリン魔術師の魔術特異症で獣種に伝染するよう変異した呪詛は、俺の魔術特異症で更に変異した。

 今、俺と、俺から伝染したマドハトの呪詛は、新種なんだ。

 カエルレウム師匠に確認してもらって内容もわかっている。

 俺の呪詛は、伝染条件となる時間が元々の呪詛の半分で、さらに男にしか伝染しないように変異している。


「御者、楽しいです!」


 今ここでマドハトを引き剥がしても手遅れだし、第一、テニール兄貴を余計に心配させちゃうのもなんだし。

 それにカエルレウム師匠は、マドハト型とリテル型と両方の呪詛解除魔術を用意するって聞いているから、最終的には大丈夫なんだろうけど……。




 フォーリーで市が立つ前後でないからか、街道ではほとんど誰に遭うこともなく馬車は順調に進んだ。

 ようやく街外れに到着したのは、ストウ村を出てから一日も経たない夕闇迫る頃。

 普段なら一日半はかかるようだから、ちょっと無理してくれたのかも。

 テイラさんとテニール兄貴、それから休憩少なめで頑張ってくれた馬たちにお礼を言って馬車を降りた。


 領監のザンダさんから渡された手形を門番に見せ、俺たちは街の中へと入る。


「リテルたちは今日の宿、どうするんだ?」


「まずは私の先輩を訪れるよう言われている」


 ルブルムの先輩……ってことは、俺にとっても大先輩ってことか。

 ちょっと緊張するな。


「そうか。俺たちはこのまま魔術師組合まで行って、荷台のカリ……カンジャなんたらをさっさと引き渡す」


「テニール、カンジャロスだよ」


「そうそう。カリ……カンジャロス」


 テニール兄貴。なんでそこで区切る。


「じゃあ、リテル、ラビツたちが早く見つかるといいな」


「はい! 頑張ります!」


 馬車を見送ったあと、改めてフォーリーの町並みを眺める。

 ここは街道へとつながる目抜き通り。

 賑やかにもほどがある。

 そもそも店が立ち並ぶ光景自体が珍しい……フォーリー二回目訪問のリテルでさえも。

 加えて行き交う人々の数もとても多く、三人揃ってお上りさん状態。


 俺の左手をマドハトがぎゅっと握られ、右手をルブルムがぎゅっと握られて、ようやく俺は気付く。

 これ、俺が先導しないといけないやつなんじゃないかって。


「ルブルム、先輩の家って手がかりはあるの?」


 手を握られていることでドキドキしちゃっているのがバレないように、平静を装う俺。


「カエルレウム様に、住所を教えてもらった」


 往来の真ん中で背負っている荷物を広げようとするルブルムを止め、慌てて路地裏へと入る。

 ここも人通りがないわけじゃないが、さっきの大通りよりはいくらかマシだ。


「ルブルム、混雑している場所では、お互い譲り合って行動するものだよ。荷物を広げるなら、周囲に誰も居ない場所を選んだほうがいいと思う」


「わかった。大きな街は、広いのに狭いのだな」


「なんだい? 困っているのかい? 案内したげようかい?」


 背後からかけられた優しそうな声。

 振り返るとそこには笑顔を浮かべた三人組。

 羊種クヌムッ猿種マンッ鼠種ラタトスクッ……笑顔だよ。

 笑顔なんだけど……胡散臭く感じてしまうのは、考え過ぎだろうか。


「案内してくれるのか?」


 ルブルム、疑わない子だな。

 リテルが以前、フォーリーの市場に連れてきてもらったときは、知らない顔にはついて行くなと教えられている。


「せっかくのご厚意ですが、間に合っていますので、失礼いたします」


 二人の手を引いてその場を立ち去ろうとすると、マドハトはおとなしく着いてくるが、ルブルムは立ち止まる。


「リテル、案内してくれると言っているぞ」


「おやおや、乗り気なのは一人だけかぁ、残念、残念。なんならお嬢さんお一人だけ案内してあげてもいいんだよ?」


 馴れ馴れしいのは羊種クヌムッ

 他の二人はニヤニヤしながら、さりげなく囲い込むように位置を移動する。

 このフォーメーションはアウトじゃないの?


「私はルブルムだ」


 あー、個人情報を次々と……。


「へぇ、ルブルムちゃんかぁ。いいお名前だねぇ。こっちはリテル君。そちらの犬種アヌビスッさんは?」


 俺はルブルムの手を強く引っ張る。


「どうしたんだリテル? 案内してくれると言っているぞ?」


「リテル君、ルブルムちゃん、嫌がっているじゃないか」


 羊種クヌムッは笑顔を浮かべたまま、俺がつないでいるルブルムの手を外そうとした。






● 主な登場者


利照トシテル/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。

 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。

 不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種マンッ

 ケティへひどいことを言ってしまっている自覚はある。


・ケティ

 リテルの幼馴染の女子。猿種マンッ

 旅の傭兵に唇を奪われ呪詛に伝染。

 リテルがずっと抱えていた想いを伝えた際に、呪詛をリテルへ伝染させた。

 二人の関係は今ちょっとギクシャクしている。

 カエルレウムが呪詛解除のために村人へ協力要請した際、志願した。


・テニール兄貴

 村の門番。傭兵経験があり、リテルにとって武器としての斧の師匠。

 御者もできる。


・テイラ

 村長の息子。カリカンジャロスの死体をフォーリーの魔術師組合へ売りに行く馬車に、リテルたちを乗せてくれた。


・マドハト

 赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。犬種アヌビスッの先祖返り。

 今は本来の体を取り戻している。

 ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。

 リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。


・カエルレウム師匠

 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種マンッ

 肉体の成長を止めているため、見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。

 お出かけ用の服や装備は鮮やかな青で揃えている。

 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。

 リテルの魔法の師匠。


・ルブルム

 魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種マンッのホムンクルス。

 かつて好奇心から尋ねたことで、アルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。


・アルブム

 魔女の家に住む可愛い少女。リテルよりも二、三歳くらい若い感じ。兎種ハクトッのホムンクルス。

 もしゃもしゃの白い髪はくせっ毛で、瞳は銀色。肌はカエルレウムと同じように白い。


・ルブルムの先輩

 フォーリーに済んでるっぽい。


・ラビツ一行

 兎種ハクトッのラビツをリーダーに、猿種マンッが二人と先祖返りの猫種バステトッが一人の四人組の傭兵。

 そのラビツが、リテルのファーストキスよりも前にケティの唇を奪った。

 北の国境付近を目指す途中、ストウ村に立ち寄った。

 村長の依頼で村の近くに出た魔物を退治したあと、昨晩はお楽しみで、今朝、既に旅立っている。

 ゴブリン魔術師によって変異してしまったカエルレウムの呪詛をストウ村の人々に伝染させた。


・姉さん

 元の世界における利照の実姉。

 才能に恵まれた完璧主義者だが、才能がない者の気持ちはわからない。


・カリカンジャロス

 ゴブリンの近親種の魔物。毛むくじゃらで、悪戯好き。三つ以上は数えられない。


・親切そうな三人組

 フォーリーの街で話しかけてきた羊種クヌムッ猿種マンッ鼠種ラタトスクッの三人組。

 ずっと笑顔を浮かべているが、胡散臭い。




● この世界の単位

・ディエス

 魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。

 魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。


・ホーラ

 一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。

 元の世界のほぼ一時間に相当する。


・ディヴ

 一時間ホーラの十二分の一となる時間の単位(十二進数的には「十に区切って」いる)。

 元の世界のほぼ五分に相当する。


・アブス

 長さの単位。

 元の世界における三メートルくらいに相当する。


・プロクル

 長さの単位

 一プロクル=百アブス。

 この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。

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