#17 面倒くさい数字
「カエルレウム様、どんな理由ですか?」
誰よりも早くルブルムが質問する。
「カリカンジャロスがゴブリンの集落から生まれるという迷信だ。実際には関係ないのだがな……瘴気を抜く術を学んでいる割には、瘴気を纏わないゴブリンの集落から、瘴気を纏ったカリカンジャロスが出現することが不自然だとは考えないとはな」
村の人たちは口々に「そうだよな」「おかしいと思った」と相槌を打つ。
俺もこのくらいいい加減でいられたら、もう少し人生が楽になるのかもな、なんて思ったりもする。
「それで魔女様……呪詛のことは……」
カリカンジャロスの死体を運んできた数名の村人たちが、カエルレウム師匠に尋ねる。
村長が「後で教えるから」と小さく囁いたのをカエルレウム師匠は手で制し、声のボリュームを上げた。
「先程の説明を聞いてなかった者も居るので今一度説明する。呪詛は、ゆっくり二十まで数える間、皮膚同士がずっと触れ続けていると伝染する。それ以外の方法では伝染しない……ただし、呪詛の伝染者が生きている場合、伝染者の血液や切り落とされた身体部位に触れていても伝染効果は発揮される」
ゆっくり二十まで……カエルレウム師匠がこのような言い方をするのは、この世界で時間を表す最小単位はディヴだから。
秒とか分って概念がないから、特に分数とかわからない村の人たちには「ゆっくり数える」みたいな伝え方をしているんだと思う。
俺が師匠から説明を受けたときは、十分の一ディヴって言っていたから……一ディヴが五分だから、実際には二十五秒くらい。
三十秒じゃなく二十五秒なのは、面倒なことにこの世界が十二進数だから。
自分で一から十まで数えると、元の世界の九と十の間に、数が二つも入っている。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、クエイン、ミンクー、十。
あれ、リテルの十五歳って実は十七歳ってことか?
ケティは十八歳で……うわ、頭がこんがらがってきた。
「伝染と効果発動は別だ。伝染後、一プロクル範囲内に伝染者が十人集まると呪詛が発動する。一度発動した呪詛効果は六年経過すると沈静化する。ただし発動は男性のみだ」
畳みかけるように解説は続いている。
えっと、プロクルは長さの単位。
一プロクルは、百アブス……ってことは……あー、十二進数どんだけ面倒なんだ。
一アブスがほぼ三メートルで、三×十二×十二で……ざっくり半径五百メートルないくらい。
なんでこんな細かい話になったかっていうと、俺が発症したのは、ラビツたちが村を出た後で……ということは、ラビツたちは発症していない可能性が高くて、となると女遊び大好きっぽいあいつらは、呪詛に全く気付かずに、行く先々の夜の街で伝染させまくる恐れがあるってこと。
「六年だとー! そんなに溜めこんだら爆発するぞおいっ!」
ひときわ大きな声で叫んだのは、村一番の絶倫と評判の、粉挽き小屋のハグリーズさん。
今更驚いているのはカリカンジャロスの死体を運ぶ要員だったからかな。
「現在、呪詛を無効化する呪詛の準備を進めている。ただ、伝染者のより細かな状況を知りたいので、既に伝染しているどなたか、私の家までいらして協力していただきたい。ご協力があれば、一週間ほどで魔術は完成できるだろう」
想像以上に早く解決しそうということで、喜びのどよめきが、夜の空に吸い込まれてゆく。
一週間……改めて考えてみると、こちらの一週間は六日間……なんだこの長かったり短かったりは。
単語や概念は、こちらの世界と元の世界と言葉が違うだけで中身は一緒だからなんとかなるけど、十が十二ってのとか、この一週間とか、自分の中の「このくらい」って感覚がズレてるのがものすごく気持ち悪い。
俺がこの世界の数字の常識にキレていたとき、村の人たちの間から一本の手が上がった。
正確には、鼻の下伸ばしたハグリーズさんがいち早く上げた手を叩き落とすように上がった……その手の持ち主はケティ。
「私が行きます」
「感謝する」
カエルレウム師匠は、村長や監理官たちとちょっと話した後、狼の王の背にケティと一緒にまたがり、行ってしまった。
その間、ケティは俺の方を全く見なかった。
あれ?
カエルレウム師匠?
俺もルブルムもここに残っているんですけど?
「リテル! それから、ルブルムさんとマドハトさんも、こちらへどうぞ」
テニール兄貴が手を振っている。
街の市場へ荷物を運ぶ時の幌つき馬車が、その横にはあった。
さっき俺がマクミラ師匠と話している間に、話が進んでいたらしく、俺とルブルムとマドハトの三人で、ラビツたちを追いかけることになっていたらしい。
とりあえずフォーリーまでは、馬車に乗せていってもらえることに。
フォーリーは、ストウ村やゴド村を含むクスフォード領の首都。
ストウ村から一番近い、そしてここいら一帯では一番大きな街。
リテルは小さい頃、フォーリーで月に三回だけ開かれる市場へ連れて行ってもらったことがある。
混雑にも建物の多さにも、圧倒されたのを覚えている。
そのフォーリーの魔術師組合へ売りに行くというカリカンジャロスの死体と共に、俺たち三人は荷台に乗せられた。
幸い、死体は革の袋にしまわれていて、臭いもなんとか我慢できるレベル。
「何もないよりゃマシかと思って麦わらを敷いといた。夜の間は俺たちが起きてるからさ、リテル達は少しでも寝て休んどきな」
優しいことを言ってくれたのは村長の息子のテイラさん。この馬車は村長の持ち物だ。
麦わらの香りは、言われた通り死臭を少しだけ紛らわせてくれる。
「今夜は満月だからな、夜でも馬車を走らせることができるんだ。ツイてるよな」
御者台のテニール兄貴が笑っている。
テイラさんも御者台のすぐ後ろに座って居るのは、見張りというよりも死臭を避けているのかも。
風通しのために、後部の幌を少しだけ開ける。
そこから見える二つの月は両方とも満月だ。
リテルは見慣れた二つ月……
丈侍のお父さんが古いSF映画を俺たちに観せてから解説してくれたっけ。
夕陽を二つ描くことで、舞台が地球ではないことを言葉を使わずに説明しているんだよ、って。
ああ、やっぱりここは異世界なんだな。
そんなことを考えながら、麦わらのベッドに横たわった。
とっても疲れていたのに、なぜか寝付けない。
うん。わかってる。なぜか、じゃないってことは。
臭い以上の障害があったんだ……それはマドハトのいびき。
おいおい。ハッタはこんなにいびきかかなかったぞ。
寝返りを打つと、ルブルムと目が合った。
……もしかして目を開けて寝るタイプ?
「ルブルムも、いびきに起こされたの?」
試しに小声で話しかけてみる。
「私は、寝ていない」
ルブルムも小声で返してくれる。
「寝ないで平気なの?」
「わからない」
「もう寝ようよ。ちょっとうるさいけどさ」
「寝ようと思うが、目が覚める」
「なにか不安なことでもあるの?」
「不安……不安なのかな、私は」
暗いのに目が慣れてきて、ルブルムの顔がぼんやりと見える。
その表情の暗さは、決して夜と幌のせいだけじゃないように思えて仕方ない。
ルブルムの浮かない顔の理由は何だろう。
「ごめんね、ルブルム」
謝ってしまった後で、何で謝ったんだ俺、と。
さっきケティに酷いこと言っちゃったから、謝りたいスイッチでも入ってるのかな。
「どうしてリテルが謝るのか?」
「えっと……俺が……あんまり頼りにならないから」
反射的に答えた割には、不自然さがない答え。
「リテルが……頼りに?」
ですよねー。
あー、はいはい。なりませんよ、ええ。
自嘲気味に言いはしたけどさ、真正面から否定されるとちょっとヘコむ。
「そうか、頼りにしていいのか」
んんん?
「私は森の外へ出るのが初めてで、初めてのことに対しては、あらかじめたくさんの予測をしておくべきで、でも、予測の元にするための情報が少なすぎて、何から、どうしたら、いいのか……考えても考えても、対策が何も立てられずにいたんだ……そうか、リテルに聞けばいいのか」
「あ、ああ、そうだね。うん、俺にできる限りのことは答えるよ」
俺が、じゃなくリテルの記憶が、だけど。
「不思議だな。眠くなってきた」
あれ? 笑ってる?
俺は、その時初めて、ルブルムが微笑んだ顔を見た。
その顔が可愛くて、ちょっと見とれてしまった……俺のそんな表情を見て、ルブルムがまた無表情に戻る。
「リテルは、一番最初に会ったときも、いまみたいな表情をした」
うっわ。しっかりバレてますよ、リテルさん……と、俺。
「リテルは、その表情のとき、どんなことを考えているのか?」
うーむ。これ、答えにくい。
なんて答えていいものやら……見とれてた、なんて言えないよな?
「もしかして、答えたくないことを聞いたか?」
「え?」
答えたくない、というほどじゃないけど、答えるのがちょっと恥ずかしくはある。
「前に、アルブムに聞いたことがある。どうして、カエルレウム様と私は同じ獣種なのに、アルブムは違うのか、って。答えはそれを聞いていたカエルレウム様がすぐに教えてくれた。私たちホムンクルスを造るときに使用した精液の主の獣種を引き継ぐからだって。私は謎が解けて喜んだが、アルブムは泣いてしまった。アルブムは、自分だけ獣種が違うことをずっと気にしていて、私の言葉が、不用意にアルブムの心を傷つけたのだと、カエルレウム様が教えてくれた。アルブムが人前に出たくないと言い出したのは、それから。私が、アルブムを傷つけたから」
予想外の方向に話が転がってしまった。
そのうえ重いよね。
しかもさ、今はルブルムが泣きそうな顔になっちゃってる。
「あ、えーと、ルブルム……大丈夫だよ。ルブルムは俺を傷つけてなんかないから」
「本当に?」
これはもう恥ずかしいとか言ってらんないよな……。
「本当だよ。ルブルムが笑ったときの顔が綺麗だなって思ったんだ。傷どころか、逆に得した気分っていうか」
あー。どさくさに紛れて言っちゃった。
泣かれそうな顔を見たから、動揺したのかな俺。
「私が、笑った?」
「笑った、というよりは、少しだけ微笑んだ感じかな」
「私は、笑ってはいけなかったのに」
え?
そこが地雷?
● 主な登場者
・
利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。
リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。
ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。
不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。
ケティへひどいことを言ってしまっている自覚はある。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。
旅の傭兵に唇を奪われ呪詛に伝染。
リテルがずっと抱えていた想いを伝えた際に、呪詛をリテルへ伝染させた。
二人の関係は今ちょっとギクシャクしている。
カエルレウムが呪詛解除のために村人へ協力要請した際、志願した。
・マクミラ師匠
リテルに紳士たれと教える狩人の師匠。
狩りができない日は門番をしていたりも。
・ハグリーズ
粉挽き小屋で働いている。村一番の絶倫と評判。
・テニール兄貴
村の門番。傭兵経験があり、リテルにとって武器としての斧の師匠。
御者もできる。
・テイラ
村長の息子。カリカンジャロスの死体をフォーリーの魔術師組合へ売りに行く馬車に、リテルたちを乗せてくれた。
・マドハト
赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。
今は本来の体を取り戻している。
ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。
リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。
・カエルレウム師匠
寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。
肉体の成長を止めているため、見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。
お出かけ用の服や装備は鮮やかな青で揃えている。
寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。
リテルの魔法の師匠。
・ルブルム
魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。
かつて好奇心から尋ねたことで、アルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。
・アルブム
魔女の家に住む可愛い少女。リテルよりも二、三歳くらい若い感じ。
もしゃもしゃの白い髪はくせっ毛で、瞳は銀色。肌はカエルレウムと同じように白い。
・ラビツ一行
そのラビツが、リテルのファーストキスよりも前にケティの唇を奪った。
北の国境付近を目指す途中、ストウ村に立ち寄った。
村長の依頼で村の近くに出た魔物を退治したあと、昨晩はお楽しみで、今朝、既に旅立っている。
ゴブリン魔術師によって変異してしまったカエルレウムの呪詛をストウ村の人々に伝染させた。
・丈侍の父さん
息子と息子の友達が遊んでいる所に乱入して名作SFやら何やらを観せたりする人。
・カリカンジャロス
ゴブリンの近親種。毛むくじゃらで、悪戯好き。三つ以上は数えられない。
● この世界の単位
・ディエス
魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。
魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。
・ホーラ
一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ一時間に相当する。
・ディヴ
一
元の世界のほぼ五分に相当する。
・アブス
長さの単位。
元の世界における三メートルくらいに相当する。
・プロクル
長さの単位
一プロクル=百アブス。
この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。
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