#14 惨劇の跡で

「マドハト……君がゴブリンだった頃の集落は、どうなったか覚えているか?」


 急ぎ足になりながら、カエルレウム師匠が小声でマドハトに尋ねる。


「僕は、切られて、殴られて、蹴飛ばされて、死んだフリして、あいつらいなくなって、逃げて、痛くて、休んで、治療の魔法、使って、逃げて、休んで、逃げて、休んで、逃げて、逃げて、リテルさまに会ったです」


 マドハトは、俺にしがみついたまま、小さな声で答えた。

 尻尾が股の下に丸まって小刻みに震えている。

 ここだけはハッタと違うとこだな。

 コーギーは生後間もないうちに断尾されることが多いらしく、ハッタも尻尾はほとんどなかったから。


「大変だったんだな」


「でも、リテルさま、助けてくれたです!」


 だめだ……こいつマドハトを見ているとハッタと重なって、ついつい過保護になりかける。

 先祖返りは見た目がご先祖の動物に近いけれど、中身は普通の獣種だからな……ペットじゃなく。


「何か、いる」


 ルブルムの声で皆、立ち止まる。

 俺はマドハトを離れさせ、手斧の鞘の留め具を外す。

 ルブルムの掲げる灯り箱ランテルナの灯りが届く範囲に、無造作に転がる小さないくつもの屍……頭ではゴブリンだとわかっていても、子どもが大量に殺されているように見えて、気分が悪くなる。

 こみ上げてくるものをぐっと抑えて『魔力感知』の方の意識を強くする。

 一瞬、立ちくらみのような状態になる……辺りが眩しすぎて。

 ああ、さっきもやっちゃったってのに。


 『魔力感知』をすると寿命の渦は光って見える。

 そちらに意識を合わせ過ぎると、通常の視界が光で遮られてしまうのだ。

 この森にはあまりにも多くの生命が溢れていて、大きな樹々から小さな草花、その隙間に隠れる小動物や昆虫に至るまで、あまりにも多くの光が、渦が、さんざめいて煌めき、まるで宇宙の中に放り出されたかのような錯覚を覚える。

 生命の一つ一つが銀河や遠い星々に見えるんだ。

 さすがに夜道で足下がよく見えない状況でってのはヤバくて、意識をあまり『魔力感知』には合わせないようしていたんだけど。


 立ち止まった俺に気付いたカエルレウム師匠が声をかけてくれた。


「リテル、『魔力感知』は使うか使わないかの二択ではない。視界が光で塞がれない程度に絞るのだ」


「やってみます」


 できの悪いドライビングゲームはハンドルを軽く切っただけですぐに左右の壁へ激突する。

 そういうときはまず真ん中を探して、そこからミリで調整してゆく。

 大げさに動かし過ぎないように……こ、こんなくらいかな?


「あれ? カエルレウム師匠とルブルムの寿命の渦が……」


 見えない。

 ど、どういうこと? え、俺、いつの間にか幽霊みたいな何かに騙されて?

 傍らのマドハトを見ると、ちゃんと寿命の渦が見える。


「リテル、君はなぜだと思う?」


「……相手が……寿命の渦を見ることができる相手だったとき、こちらからの接近がバレないように、ですか?」


「そうだ。よく自分でたどり着いたな。偉いぞ。いいかリテル、マドハト。魔術師は、自分で考えることを諦めてはいけない。常いかなる時も、思考を手放したりせぬようにな」


「はい」


「はいです」


 ということはさ、俺もできるってことだよな。

 寿命の渦から一筋だけ取り出して魔法代償として集中してるんだ。

 それなら、そのおおもとの寿命の渦にも何らかの干渉ができて当然なんだ。


 とはいえ、どうやるんだろう。

 寿命の渦を小さく……いや……こうじゃないな。


 自分の寿命の渦を見えなくする実験はそこで中断した。

 暗闇に包まれた、目ではよく見えない辺りに、寿命の渦が見えたから。

 高さ的にはゴブリンではなく、ゴブリンに覆いかぶさっている?


 ルブルムは静かににじり寄るように、そちらの方向へ歩を進めてゆく。

 俺たちも静かにそちらへ移動する。

 やがてぼんやりと、灯りの縁がそいつへと触れる。

 その何かは……地面に伏せて……ゴブリンの死体に頭を近づけている。

 距離が近づいたからか、音も聞こえる……うわ、すすっている?


 鳥肌が立つ。

 死体から何をすするっているのか。


「攻撃するな。あれはモルモリュケーだ」


 モルモリュケー……あの犬種アヌビスッの先祖返りに似た、ゴブリンの死体に口をつけて何かをすすっているあいつが、モルモリュケー。

 じゃあ、すすっているのは、死体の血だ。


 リテルも見たことはなかったが、知識としては知っていた。

 マクミラ師匠が、モルモリュケーは見かけても攻撃するなと言っていたから。

 モルモリュケーは、狼と共生しているが全くの別種族。

 獣種の言葉もわかるくらいの知性はあるし、性格は穏やか。

 ただし、主食は生き物の血で、狼の狩った獲物の血をすすって生きている。

 さらに「モルモリュケーの乳」には、子どもを丈夫にする力があるらしく、血を飲ませている間は搾乳もさせてもらえるので、わざわ

ざモルモリュケーを探して狼の群れを追う狩人もいるといないとか。

 ただ、死体からも血をすするというのは初めて見た……でもよく考えりゃおかしくはないんだよな。

 仲間の狼が倒した獲物から血をすすっているのなら、死体からの吸血はいつものことなのかも。


「見るのは初めてですが、狩人の師匠から聞いてはいました」


「ルブルムやアルブムも、モルモリュケーの乳を頂いて飲ませたのだぞ」


「カエルレウム様、それは初めて聞きました」


 こちらからルブルムの表情は見えないが、きっとこんな話を聞かされても無表情なんだろうな。

 俺だったら、こんな死体から血をすすっている現場を見ちゃったら、うへぇって気持ちになっちゃうけどさ。

 ドイツでは血をソーセージに使うくらいだし、子どもが丈夫に育つ乳の材料としてモルモリュケーが血をすするってところくらいまでなら大丈夫なんだけど……この光景は……。

 俺はまだまだ紳士には程遠い。


「モルモリュケーは魔物だが、あの個体は瘴気をまとっていない。こちらの世界に居着いて長いということだ。付近には他に魔物が居るはずだ……気をつけろ」


「カエルレウム師匠、瘴気って、目視や『魔力感知』でわかるものですか?」


 リテルは瘴気について、魔物がまとっているもの、くらいの認識しかない。


「明るい所ならばな。黒っぽい靄のようなものがまとわり付いているのが見えるのだが、夜だと魔法を使わければ厳しいな」


 本当にまとっているんだな。


「そうですか」


「戻ったら『瘴気感知』を教えよう。今はこちらを片付ける。まずは周囲に注意しながら大きな穴を掘るのだ。死体が一つ二つなら森に任せるところだがな、いかんせん数が多い。特にゴブリンは元々は異世界から着て居着いた種族だ。それで余計に魔物を呼び寄せるのかもしれぬ。全て埋めて土に還すのだ」


 カエルレウム師匠が周囲を警戒し、俺たち三人で大きな穴を掘ることになった。

 ルブルムもマドハトも、手頃な長さの太い枝を見つけてきて、それで地面を刺し始める。

 確かに、ここいらで手に入るもので穴を掘るとしたら木の枝が一番か。

 せめてスコップ……リテルの記憶だと踏みすきか……そういう道具をパパッと作れないものかな。


「ルブルム、この枝の先端に取り付けられる踏み鋤の先端部分を魔法で作るってのは、とても難しいことだったりする?」


 カエルレウム師匠は見張りをしているので、なんとなく話しかけづらくて、ルブルムに話を振ってみる。


「創造する魔法は難しい。作れる材質は単一で、その構造をよく理解していないといけない。その創造を行えた所で、これだけの量の死体を埋めるまでの時間、継続して維持する魔法代償を考慮すると、枝で掘るよりもはるかに効率が悪い」


 ほぼ想像通りの回答をいただいた。

 なんでわかってて聞いたのかってとこなんだけど、こうでもして気を紛らわせないと、臭いがヤバいんだ。

 ゴブリンだからというものではなく、どんな生き物でも死ねばこういう腐臭を放つ。

 利照おれはともかく、リテルは狩人として動物の死体には腐臭を含めて、それなりに慣れている。

 それでも、しんどい臭い。


 三人がそれぞれ離れた所に穴を掘り、最後に三つをつなげる作戦だったけれど、俺が最初に掘った穴には、ゴブリンの死体よりも先に俺の嘔吐が注ぎ込まれた。

 しかも俺の穴が一番小さい……情けない。

 だからというわけじゃないんだけど、ちょっとムキになって掘り進めた。




「あらかた入れたか?」


「はい、カエルレウム様」


 ルブルムが灯りを掲げて周囲を照らす。

 手前の樹が奥の樹々へと映す影が、ルブルムの手の動きに合わせて静かに踊る。

 さきほどまで死屍累々と横たわっていたゴブリンの死体は全て穴の中へ入れた。

 俺たちが穴へゴブリンを放り込み始めたら、モルモリュケーも平和に去っていったし。


 死体を穴へ放り込み続ける作業も、続けていると、恐ろしいもので次第に慣れてくるんだな。

 胃から出せるものがなくなったから、というのもあるかもしれない。

 ただ、慣れてしまうことへの抵抗は、まだ俺の中に残っている。


 穴に無造作に投げ入れられたゴブリンたちの死体を見て、元の世界の学校で見せられた戦時中の写真を思い出した。

 慣れたくないことに慣れさせられる気持ち。

 あの時代に生きた人達も、たくさんの死体を一箇所に集めたときにはこんな想いだったのかな。


「また、来るです」


 マドハトの声で集中力を取り戻す。


 見回した暗闇の中に、寿命の渦が近づいてくるのがわかった。

 そちらに意識を向け、手斧を構える。

 さっき覚えた魔法を組み合わせ、魔術の用意をする……まだ使いはしない。


 下生えをかき分けて近づいてくる音。


 ルブルムは左手で灯り箱ランテルナを掲げたまま、右手で小剣を抜き、数歩前へと出る。


 灯りと暗闇の際で、音はいったん停止する。

 様子を伺っているのだろうか……いや、動き出した。


 さらに近づいてきたそれは、四つん這いの人のように見えた。

 白いボロ布みたいなのを着ているそいつは、有名なホラー映画を彷彿とさせるビジュアルに感じられる。

 そいつが、突然、跳んだ。

 驚くほどの跳躍力で、ルブルムめがけて。

 一瞬のことだった。

 あまりの素早さとジャンプ力とに俺は呆気にとられてしまって、ヤバいと思ったのと同時、何かが肉を切り裂く音が聞こえた。






● 主な登場者


利照トシテル/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。猿種マンッ

 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。

 でも呪詛による不能と、カエルレウムの治療のおかげで生き延びた。

 カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。


・マドハト

 赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。犬種アヌビスッの先祖返り。

 今は本来の体を取り戻している。

 ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。

 リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。


・カエルレウム師匠

 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種マンッ

 肉体の成長を止めているため見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。

 お出かけ用の服は鮮やかな青い青で揃えている。

 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。

 リテルの魔法の師匠。


・ルブルム

 魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種マンッのホムンクルス。

 痴女だと思われるほど知的好奇心が大きい。


・モルモリュケー

 見た目は犬種アヌビスッの先祖返りに近い魔物。

 とはいってもこの世界に馴染んでいて、性格も温厚。狼と共生している。

 生き物や死体の血をすするが、その出す乳は赤ん坊を丈夫に育てる薬として珍重される。



● この世界の単位

・ディエス

 魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。

 魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集めるのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。


・ホーラ

 一日を二十四に区切った時間の単位。

 元の世界のほぼ一時間に相当する。


・ディヴ

 一時間ホーラの十二分の一となる時間の単位。

 元の世界のほぼ五分に相当する。


・アブス

 長さの単位。

 元の世界における三メートルくらいに相当する。

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