#15 瘴気と異世界

 甲高い悲鳴が聞こえた。


 ほぼ同じタイミングで灯り箱ランテルナの中のオイルランプが割れた音。

 漏れたオイルに引火して、周囲がひときわ明るく照らされる。


 最初に視界に入ったのは、数アブス離れた場所に這いつくばっている獣種のような姿。

 半裸に申し訳程度に白い布をまとった髪の長い姿。顔は見えない。

 ただ何か違和感がある。

 這いつくばるというよりは、トカゲのようにお腹を浮かせている。

 その左肩辺りに太刀傷。


「リテルさま、後ろ、いるです!」


 マドハトの声に応えて後ろを振り返ったのと同時、何かが飛びかかってきた……そこへ、手斧を振り下ろす。


 耳の奥にねじ込んでくるような甲高い悲鳴。


 今度の悲鳴の主は、地面に飛び退ったあと、獣種離れした動きで後退する。

 見た目は獣種のようだが、動きは四つ足動物としか思えない。


 右方向からまた一つ、甲高い悲鳴が聞こえのを合図に、俺が手斧で傷を負わせたやつは気持ち悪い動きのまま闇の中へ後退していった。

 寿命の渦も遠ざかっている。

 本当に撤退したのか?

 右方向を見ると、寿命の渦が弱々しくなっているのが一つ。


「マドハト、灯り箱ランテルナをルブルムに渡すのだ」


 そうだ、ルブルムは……無事か。

 割れた灯り箱ランテルナは、オイルランプを囲っている木枠に燃え移り、小さな焚き火のよう。

 その明るさの中で、ルブルムは剣についた血糊を払い、草木で拭いていた。


「リテル、マドハト、君らは初めてだな。これはアルティバティラエだ。まだ瘴気をまとっているので近づき過ぎるなよ」


 カエルレウム師匠の指示する距離を守りながら、アルティバティラエと呼ばれた魔物へと近づいてゆく。

 かなり近づくまで、それはうつ伏せになった獣種にしか見えなかった。


「アルティバティラエは、二足歩行の生物に擬態する魔物だ。この世界では主に獣種に擬態するが、ゴブリンに擬態していた報告もある。一見ボロ布をまとっているように見えるこの白いモノも、頭部に生やしたのと同様にアルティバティラエの体毛だ。半裸に近い者が這いずり近づいて来たら、まず様子を見ようと近づくだろう。そこを奇襲で飛びつき、喉笛を噛み千切って獲物を無力化しようとする。アルティバティラエの俊敏性や跳躍力は、そこいらの獣よりも優れているので注意が必要だ」


 なんだその初見殺し。

 たちが悪い魔物だな。


「二体ほど逃げましたけど、追わないんですか?」


「あの瘴気量ならば把握できる。追撃するなら昼間の方が良い」


 そうは言っても擬態する魔物は恐怖だ。

 アルティバティラエという名前はリテルも知らなかったし、マクミラ師匠は知っているのだろうか。


「そうですか……しかしパイアといい、アルティバティラエといい、擬態する魔物は少なくないのですね。見破るのはやっぱり経験と知識なのですか」


「それもあるが、寿命の渦をよく観察することで、細かい不自然さに気付くことができるようになる。モルモリュケーは犬種アヌビスッの女性によく似ているが、寿命の渦を観察すると異なる者だと見抜くことができるのだ」


「そう言われてみれば、森の樹や草も、同じ種類のものは寿命の渦の形や色や速度が同じように感じます……あっ、寿命の渦を擬態する者も居る前提で観察しないといけないですね? カエルレウム師匠やルブルムみたいに」


 さっきは寿命の渦を変化させようとばかり考えていたからか、入り切らない容れ物に大きなモノをぎゅうぎゅう押し込んで失敗するような感触だった。

 でも擬態って考えると……なんか……ああ、俺の寿命の渦、猿種マンッから犬種アヌビスッぽくなったかな?


「リテルは入り口に立てたようだな。あとでマドハトにも教えてあげなさい。それと注意点を二つ。自分より小さな生命の寿命の渦へ擬態した場合、激しい運動をするとその擬態を保てなくなることが多い。また、どんなに寿命の渦を擬態しようと、集中した魔法代償までは隠せない。奇襲や撤退を試みる場合はこの二点について注意を怠らないよう気をつけるのだ」


「ありがとうございます」


「隠す訓練と見破る訓練はどちらも果てがない。決して慢心せぬように」


「はい! ……あの、質問ついでに、瘴気のことも教えていただいてよろしいですか?」


「ああ。瘴気というのは、簡単に言うと、異世界の大気に溶け込んでいる成分だ。こちらの世界の者にとっては毒のような働きをする。しかし異世界からこちらの世界へ来た魔物も、こちらの世界の大気について同様の効果を受ける。どちらの場合も、時間をかければ耐性ができていずれ気にならなくなる。毒とは言っても実際には意識の混濁や嘔吐感、肉体や感覚の鈍化……いわゆる酩酊状態になるだけだがな」


 お酒……は、さすがに飲んだことがない。

 うちの両親はワインが好きでよく飲んでいるのを見かけるけれど、そこまでの酔っぱらいになったとこは見たことがないな。


「魔物はその身に瘴気をまとっている。それは魔物の生死を問わず、通常は一定期間経たないと抜けたりはしない。なので瘴気を観測すれば、異世界から魔物が迷い込んできたかどうかがわかる。この森には瘴気を感知できる魔法品を幾つも設置しているのだ。君らが魔物避けの道と呼んでいるあの道も、瘴気を感知したらこちらの大気を圧縮して撒き散らすという単純な魔法品を配置して維持している。現在支給される魔法代償の補充量と効率及び効果を考えたとき、この方法が最良だと判断しているのだ」


 うわ、想像以上に油断できない道だった。

 この森で様々な魔物と遭遇経験を経た今となっては、カエルレウム師匠の家へ向かうとき、ちょいちょいボーッとしていた自分がよく無事だったな、と……今更ながら反省。


「カエルレウム師匠、そういえばラビツたちは、退治した魔物から瘴気を抜く方法を知っていました」


「傭兵を生業としているのなら、洞窟潜りエクスプローラーとの付き合いもあるだろう。おそらく連中のやり方だ。時々異世界と繋がることのある洞窟の天井にはよく骨なしフリテニンが棲みついていて、そいつらの好物が瘴気なのだ。おそらくその骨なしフリテニンを捕獲して瓶にでも閉じ込めておき、倒した魔物の死体に這わせでもしているのだろう」


 骨なしフリテニン……天井に棲みついて、瓶に閉じ込められるってことは、スライム系なのか。

 それよりも、時々異世界と繋がるってさらっと言ったけど、ちょっと聞き捨てならないですよ、それ。


「異世界って、そんな簡単に繋がったりするんですか?」


「簡単ではない。だが繋がりやすい場所、というのは存在する。いまだに法則性は算出できていないがな……ああそうか、異世界について説明をしておかねばなるまいか。君ら非魔術師は一緒くたに異世界と呼んでいる世界だが、実際には二つある。『地界クリープタ』と『天界カエルム』だ。名前は異なるが、どちらも瘴気に満ちているという点では似たような世界だ」


 天界カエルムという響き……カエルレウム師匠の名前と似ている気がするけれど、何か関係があるのだろうか。

 何にせよ、一般に「異世界」と呼ぶ場所は、利照おれが元いた世界とは違うということは分かった。


 色々と話を聞いているうちにゴブリンの死体は全て埋め終えた。


「さあ、戻るぞ」




 カエルレウム師匠の家へと戻ると、アルブムが湯を沸かしてくれていた。


 ルブルムは家の中で、俺とマドハトは外……キノコの陰、小さな焚き火の横で、服を脱いで体の汚れを拭く。

 別に見ようと思っているわけじゃないんだけど、やたらと振られている尻尾が目に入ってしまうついでに目についたマドハトの裸。

 先祖返りのマドハトは、頭と尾はほぼコーギー。

 それらをつながる背骨にそったラインには犬っぽい毛が生えている。

 でもそれ以外は普通の人間の姿にしか見えない。

 足なんかも普通の……いや、犬種アヌビスッは、足の指は四本だけど。

 こちらの世界の獣種は様々な動物から進化したというけれど、マドハトや弟のドッヂなんかの先祖返りを見ていると、元の世界の進化とは根本的に違う何かがあるような気がしてならない。

 その何かがどういうものかはうまく言えないんだけれど。


「僕、石鹸使う、初めて、です。マドハトはある、けれど」


 マドハトがたらいで嬉しそうに下着を濯ぐ。

 半分液体のそれが石鹸だということを、リテルは知っていたが利照おれはすぐにはわからなかった。

 自分の知らない記憶や常識の中で生きているという部分では、マドハトは俺に似ているのかもしれない。


 利照おれが元の世界との違いを経験することで、この世界に少しずつ馴染んでゆく……本当に馴染めているんだろうか。

 いつか、ちゃんと馴染めるのだろうか。


 くしゃみをして、夜の冷気を甘く見ていたことを反省する。

 そういや俺、病み上がりなんだよな。

 深夜過ぎだし、本当ならばもういい加減眠りたいくらいには疲れている。

 だけど何故か頭は冴えてきている。

 徹夜で眠たいのを通り越したあとみたいな。


 やけに集中できるナチュラルハイのまま、『瘴気感知』の魔法を教えてもらう。

 教えてもらった魔法はこれで六つ。魔法代償を消費しない『魔力感知』を含めると七つ。

 それも、たった一日で!


「へぇ、その程度で喜ぶんだ。私ならもっとできるまで喜べないけどね」


 聞き覚えのある声が、俺を突然、憂鬱の中へと突き落とす。

 なんなんだよ……いつもそうだ。

 俺が自分のささやかな成果を喜ぼうとするときは、いつも。






● 主な登場者


利照トシテル/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。猿種マンッ

 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。

 でも呪詛による不能と、カエルレウムの治療のおかげで生き延びた。

 カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。

 ケティへひどいことを言ってしまっている自覚はある。


・マドハト

 赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。犬種アヌビスッの先祖返り。

 今は本来の体を取り戻している。

 ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。

 リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。


・カエルレウム師匠

 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種マンッ

 肉体の成長を止めているため見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。

 お出かけ用の服は鮮やかな青い青で揃えている。

 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。

 リテルの魔法の師匠。


・ルブルム

 魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種マンッのホムンクルス。

 痴女だと思われるほど知的好奇心が大きい。


・アルブム

 魔女の家に住むの可愛い少女。リテルよりも二、三歳くらい若い感じ。兎種ハクトッのホムンクルス。

 もしゃもしゃの白い髪はくせっ毛で、瞳は銀色。肌はカエルレウムと同じように白い。


・モルモリュケー

 見た目は犬種アヌビスッの先祖返りに近い魔物。

 とはいってもこの世界に馴染んでいて、性格も温厚。狼と共生している。

 生き物や死体の血をすするが、その出す乳は赤ん坊を丈夫に育てる薬として珍重される。


・アルティバティラエ

 這いつくばる獣種のように擬態し、近寄ってきた者を奇襲して殺して喰らう獣。


骨なしフリテニン

 異世界につながることがある洞窟の天井に潜み、瘴気が好物。

 瓶に閉じ込めることができる。




● この世界の単位

・ディエス

 魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。

 魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集めるのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。


・ホーラ

 一日を二十四に区切った時間の単位。

 元の世界のほぼ一時間に相当する。


・ディヴ

 一時間ホーラの十二分の一となる時間の単位。

 元の世界のほぼ五分に相当する。


・アブス

 長さの単位。

 元の世界における三メートルくらいに相当する。

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