#11 当てられ耐性

「い、嫌だよ……なんで……俺だけ見られなきゃいけないんだよ……」


 まだケティにだって見せてもいないのに。


「私は獣種の男性の生殖器をちゃんと見るのは初めてだから……そうか、私も見せればよいのか」


 ルブルムは自分の腰紐を解こうとする。

 俺は慌てて起き上がり、ルブルムの手をつかんでその行為を止めさせた。


「どうして止めるのか?」


「ちょ、ちょっと待てよ……自分の股間は、そんな簡単に他人に見せていいものじゃないんだ」


「そうなのか。わかった」


 ルブルムは腰紐を解くのをやめる。

 俺はルブルムの手を離すと、ずり落ちかけた自分の短パンを慌てて持ち上げ、事なきを得る。


「リテル、ルブルムを許してあげてほしい。魔術師たるもの知識を増やすことに貪欲たれと教えたのは私なのだ。知識がなければ、魔法代償をいくら用意できても、魔法をいくら学んでも、適切な時に適切な魔法を使うことはできないのだ。パイアを倒した際、君の延命を最優先させたため、結果的に紛失した腰紐は探してもいない。パイアは憐れな交尾相手に対し、媚薬効果のある毒を塗り込んでゆく。経口でも皮膚からでも効果を発揮する毒で、筋肉を弛緩させる効果がある。交尾に失敗した場合は喰われはしないが、この毒のせいで結局は死んでしまう」


 俺は本当に生命の危機だったのか。


「リテルさま! 生きてる! 嬉しいです!」


 マドハトがまた俺の顔を舐めようとするのを、頭を軽く叩いてやめさせる。

 しゅんとしたマドハトは、俺からちょっとだけ離れてうなだれる。

 この怒られたときの顔もまた本当にハッタに似ていて困る。

 たださ、パイアの話を聞いた直後だと、舐められるということそれ自体でもう鳥肌が立つ。


「リテル、君は自分で治療を試みたか?」


「はい……魔法は三回使おうとしました。一回目はパイアが……俺の口から毒を入れてこようとした時です。唇に魔法代償を三ディエス分集めて、触れられた瞬間に『ぶん殴る』イメージで魔法代償を消費しました。二回目は魔法代償を集めた状態で投げ飛ばされて魔法は使えずに魔法代償だけ、三ディエス分も失いました。三回目は体が動かなくなってきたので治療のイメージで……これは失敗の直後で不安になって二ディエス分だけ魔法をかけてみました……でも、体は全く動くようにはならなくて……あ、鼓動は遅くなりかけてたのが早くなったような……」


「治療で追加魔法代償が発生せずに済んだのは、治療範囲を明確にしないことが幸いしたかもしれない。本来、治療の魔法を使用する際は、対象の構造と、現状の認識との両方が必要なのだ。治療は最も難しい魔法の一つでね、漠然とした概念では追加魔法代償を大量に奪われるか、もしくはごく限定的な効果のみで終了してしまうか、だ」


「じゃあ俺……運が良かったのですね」


「意識の制御下ではなく、本能的に心臓の危機を感じていたのかもしれないな」


 おお、グッジョブだったのかも?


「リテル、例えばだ。君は家が壊れそうになったとき、どう対処する?」


「壊れそう……なら、補強します」


「一概に補強と言っても、木材での補強、カエメンでの補強、石積みでの補強など種類は多くあるし、補修する箇所によっては複数の補強素材が必要になる。しかも、家を壊している理由が火事だった場合、補強よりも先に消火の方が必要だろう」


 カエメンは、カエメン石を砕いた材料から作る、元の世界で言うコンクリートみたいなもの。

 ストウ村では、家の補修は村人たちが協力し合って行うから、リテルもカエメン作りは手伝ったことがある。

 確かに家の部分ごとに必要な材料は違う。家によっては藁葺き屋根のところもあるし。

 人の体だって、普通の切り傷と火傷では治療の方法が違うのは当然だよな。

 毒だって、毒の種類によって血清は違うらしいし。


「……つまり、パイアの毒の場合も、パイアが毒を使うかどうか、毒がどう作用するかを知った上で、俺の状態に合わせて魔法を正しく使わないと解毒はできないということですね?」


「その通り。体の構造を知ることは、魔術師になるために必要なことなのだ……まあ、書物としての知識ならば私の家に置いてあるのだがね」


「あの、さっきの解毒? 何回かに分けて魔法を使っていたように感じたんですけれど、順番に治さないと治らないような複雑な毒なんですか?」


 カエルレウム様が笑顔を浮かべる。


「君は本当によくモノを考えるな。素晴らしいぞ」


 またほめられた。

 嬉しいな。誰かに認めてもらえるってのは、本当に嬉しいんだな。


「解毒だけに特化すれば一回で治すのは容易い。しかし治療というものは表面的な考えで行ってはいけないものだと私は考えている。今回は、最初の魔術でパイアの毒を弱毒化させた。二回目の魔術で君の体が抗体を作る補助を行い、そして三回目の魔術で毒を消し去った。君が次にパイアに襲われる日が来るかどうかはわからぬが、もしその時が来ても、パイア毒に対する抵抗力が君の力になるはずだ」


 そんな深いとこまで考えているなんて。

 俺は改めて、このカエルレウム様に魔法を習いたいと思い直す。

 見た目じゃなく、この考え方、教え方、知識の量も含めて、すごい魔術師だと感じる。


「あの……カエルレウム様。俺を、正式に弟子にしてもらえないでしょうか。俺は、カエルレウム様から魔法を習いたいです」


「何を言っているんだ、君は」


 この、腹を決めたあとであっさりと挫かれる感じは……元の世界での幾つもの嫌な思い出がフラッシュバックしかけた、その時。


「リテルはもう、私の弟子だぞ?」


 絶望の縁からの覆し。

 すげー、泣きそうだ、俺。


「ということで朝まで時間がない。早速、勉強を再開する。魔法代償を一ディエス用意するのだ」


「はい……用意はしました……けど、できれば腰紐を一本いただけないでしょうか」


 右手の指先に一ディエス分の魔法代償を絞り出しながらもなお、俺は左手で短パンを押さえ続けている。

 ルブルムが家の中へ紐を取りに行ってくれている間、俺とマドハトは魔法代償を一ディエス分、集中しては解放することを何度も繰り返す。

 早さと正確さを研ぎ澄ませてゆくのは、なんかガンマンの早撃ちみたいだな。


 やがてルブルムからやけに上等な絹の紐をもらうと、ようやく腰回りが落ち着いた。


「リテルは腰紐を締めている間、魔法代償の生成を控えたな。魔法代償を絞り出した部分が物理的に何かに触れた時、魔法代償を喪失してしまうようではいけない。何かに触れられていても、武器を使用している最中でも、常に魔法を使えるよう、魔法代償の集中と解放を繰り返しながら紐を結んだり解いたりする訓練をするのだ」


「マドハトは魔法代償の集中は早いが、最小単位への絞り込みが緩過ぎる。そんな雑な集め方では寿命がいくらあっても足りなくなる。もう少し絞り込むのだ」


「リテル、魔法代償の集中を、いつも息を吸うときに合わせているな。いついかなるときでも魔法を使えるよう、体のクセと同期させないようにするのだ」


「マドハト、このくらいの大きさを心がけるのだ」


「リテル、集中が雑になりかけている。君はただでさえ魔術変異症なのだ。意図せぬ寿命の消費を避けるべく、疲弊したときこそ意識をより強く保つよう努力するのだ」


 魔法代償の生成を繰り返していると、脳がやたらと疲れてくる。

 特におでこの内側あたり。

 甘いものとか食べたくなるし……けど、この世界では甘いものは貴重なんだよな。


「二人とも集中力が途切れたようだな。では、肩の力も抜けたようだし魔法を教える。その状態で魔法を使うと疲労ゆえに魔法代償を思うように集中できず、制御しきれていない寿命を大量に失う恐れがある。なのであえて今、実施する。覚悟するのだ」


 カエルレウム師匠はスパルタだ。

 でもいざとなったら何とかしてもらえるという安心感がある。

 だから限界まで頑張ってみようと思うことができる。

 元の世界では体育会系のノリとか苦手だし帰宅部だったけど、これは……悪くない。


 俺は大地を踏みしめ、背中に力を入れて「気をつけ」の姿勢を保つ。

 横ではマドハトが俺の真似をして立っている。


「一人ずつだ……まずはリテル」


 カエルレウム師匠が俺の背後に回り、俺の右手に師匠の右手を添えるこのスタイル。

 二百年も生きていると胸があたるとか全然気にならないんだろうな……俺も今日一日で相当の当てられ経験値を貯めたし、何より不快な当てられ体験もしたおかげか、もはや惑わされずに魔法代償を集中できる。


「魔法を覚えるのには三つの方法がある。まずは自分で作った魔法を反復して定着させる方法……君がパイアを攻撃したときに使った魔法があるだろう。あの魔法に名前を付けて、何度も反復すれば、やがて君の魔法として確立する。二つ目はこれから実施するが、人が魔法を使うときに魔法代償を同期させて一緒に使用し覚える方法……リテル、私が魔法代償を君に触れている部分へ集中するから、君もそれに触れるよう集中するのだ。一ディエス分でよい」


「はい」


「これから使う魔法は『発火』だ。指先にロウソクほどの小さな炎を作り出す魔法だが、二人で同時に使うため、炎の大きさは二倍以上となる。気をつけろ」


 カエルレウム師匠は俺の右手に重ねた右手で、人差し指だけを残してあとは握り込む。

 俺は師匠が触れている「手に」……その指先へ、意識を、魔法代償を集中する。

 そして火のイメージ。

 師匠はどんなイメージで火を作るんだろう。精霊の力を借りるとかかな、それとももっと科学的に静電気か何かで空気中の酸素を燃焼させるとか……師匠の魔法代償を感じる。

 指先の、師匠の魔法代償へ、自分の魔法代償を添えて……ああ、感じる。

 師匠が使う『発火』を使う時の諸々のイメージが、俺の中にも響いてくる。

 言葉じゃない、感覚だ。


 その直後、指先にかなり大きな火球が現れて、消えた。


「君の魔術特異症を考慮したつもりだが、君の一ディエスの濃さは想定以上であるようだ……分析はともかく、まずは治療が先か」


 師匠の言葉で、指先に痛みがあることに初めて初めて気付く。

 俺だけじゃなく、師匠の指先も軽く焦げていた。






● 主な登場者


利照トシテル/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。猿種マンッ

 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。

 でも呪詛による不能と、カエルレウムの治療のおかげで生き延びた。

 カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。


・マドハト

 赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。犬種アヌビスッの先祖返り。

 今は本来の体を取り戻している。

 ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。

 リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。


・カエルレウム様

 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種マンッ

 肉体の成長を止めているため見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。

 お出かけ用の服は鮮やかな青で揃えている。

 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。

 リテルの魔法の師匠となった。


・ルブルム

 魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種マンッ

 痴女だと思われるほど知的好奇心が大きい。


・パイア

 猪の皮を被った魔物。中身は獣種の女性に似ていて、繁殖のために獣種の男を誑かして交尾する。

 交尾が済むと、子の栄養のため、攫った男も周囲の生命も喰らい尽くす。

 可哀想な被害者は交尾を免れたとしても、パイアの毒で死んでしまう。


・ハッタ

 元の世界で、弟の英志が拾ってきた仔犬(コーギー)。

 利照が世話をしていたためによく懐いていたが、利照が高校へ入学する前に天へと召された。

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