#8 諸刃の剣

「カエルレウム様、じゃあ、俺の体も誰かが魔術で?」


 たまらなくなって聞いてしまった後で、その魔術を使った誰かが、目の前に居るカエルレウム様かもしれないという選択肢が頭に浮かぶ。

 もう遅いけど。


 カエルレウム様は、俺の背後に居るので、表情は見えない。

 この刹那の沈黙がやけに怖い。


「実は」


 実は?


「君のように寿命の渦が不自然な類の魔術特異症は、昔からごく偶に報告があるのだ。なので、この世界の理として発生しているのか、それともその理自体が誰かの魔法による干渉の結果なのか、そこまでは容易にはわからない」


 少なくともカエルレウム様ではない……それは信用しても良いよね?

 ホッとして力が抜けかけ、弾力のある背もたれに支えられ、慌てて背筋を伸ばし直す。


「す、すみません」


「気にするな。それよりも、誰かに、何かに、触れられているくらいで魔法代償を集められないようでは、君は実戦で苦労することになる。自分の中の寿命の渦を常に感じ、どんな状況でも最小単位分の魔法代償を集中することは、魔術師の基礎と言ってよい。それに、戦闘に巻き込まれた場合、相手方の魔術師の無力化は最もよく選択される作戦の一つだ。どんな機会も魔術師としての向上へ向かうための糧とするのだ」


「はい。ありがとうございます!」


 俺は、気がついたら異世界に居た。

 この人に、カエルレウム様に出会えなかったら、この世界に対する違和感や疎外感を感じながら、ずっとしんどい気持ちのまま生きていかなければなかったかもしれない。

 俺はきっと恵まれている。


「リテルは好奇心が旺盛だ。それは魔術師にとって素晴らしい素質の一つだ。しかしそれゆえに自らを思考の中へ閉じ込めがちとなる恐れがある。開けない扉の向こうを知る術としては、知識よりも有効なものがたくさんあるということも忘れるな」


「はい」


 考えるな。感じろ。

 不意に浮かんだ、元の世界で聞いたことのあるフレーズ。

 そうだ。

 この世界じゃない世界の知識があるのはアドバンテージだけど、この世界でするべき思考を、元の世界の価値基準の中に閉じ込めたらいけないってことだよな。


 目を閉じて、体の内側のエネルギーを感じる。

 さっき一瞬だけ感じたあのエネルギーを……寿命の流れを……ああ、光が渦巻いているのを感じる。

 星雲みたい。

 暗闇の中に浮かぶ光の渦が、俺には銀河に見えたんだ。

 「∞」の形に回る、ちょっと不思議な銀河。

 その銀河から最小単位の光を手のひらに集める……銀河から、星を一つ集める……流れ星みたいに?


 流れ星のイメージを持った途端、俺の銀河から一筋の光が別れて手のひらへと流れる。


「そこで止める!」


 カエルレウム様の声が聞こえて、俺の流れ星は、手のひらで燃え尽きずに止まった。

 手のひらが熱くなる。

 でも優しい熱さ……この感覚、覚えがある。

 あれだ! 小さい頃にじーちゃん家で産みたての鶏の卵を手のひらに乗せてもらったときの!

 この卵は有精卵だから、ちゃんと孵せばひよこが生まれてくるよって言われたあのときの手のひらの熱さ!


「素晴らしいぞ、リテル。君には魔術師の才能がある」


 ほめられたことが素直に嬉しい。

 学校で教師にほめられたことなんてなかったからなぁ。

 父親が卒業生ってことで、うちは姉弟三人ともそこに通わさせられていた。

 幼稚園からのエスカレーター式私立。

 出来の良い姉と弟。

 教師はいつも上か下を引き合いに出しては俺をイジっていた。

 俺の人生の役割は、上と下の引き立て役なんだろうなっていつの間にか考えるようになっていた。

 自分から何かをするなんて、元の世界の俺からはちょっと想像がつかない。


 そんな俺が変われたのは、リテルの記憶の中で頑張っているリテルを見たからかもしれない。

 俺は一人ではきっとこんな風に魔術師の第一歩なんて踏み出せなかった。

 だからさ、リテル。

 俺が今、ここで褒められているのは、リテルと半分こだ。


「しかも……これが君の一ディエスか。君の魂が二つ近いせいか、君の集めた一ディエスは、一ディエスでありながら通常の一ディエスの倍近いエネルギーを秘めているように感じる。非常に興味深い」


 倍近い……それって異世界モノでは憧れのチートってやつですか?


「ただ魔法代償に勢いがあるというのは手放しでは喜べない。しっかり制御できなければ魔法使用時、君の中の寿命の勢いに流されて必要以上の寿命を消費してしまう恐れがあるからな」


 追加魔法代償が発生するってことか……うっわ。

 誰だよチートなんていって喜んだヤツは。


「ど、どど、どうしたらいいんですかっ?」


「これからは暇があればこの『魔力感知』を繰り返すことだ。常に意識することで、いずれは呼吸を絞るように自然に寿命の流れに寄り添えるようになるはずだ。そうなれば制御も容易い。いったん今集めた魔法代償は寿命の渦へ戻し、再び新たな魔法代償を集中するのだ」


「はい!」


 流れ星を銀河へ戻すイメージ……よし、できた。

 次は、またそこから流れ星を一つ。


「右手に慣れたら全身でそれを行うとよい。魔法は基本、接触によって発現させるものだ。魔法を使いたい身体部位に寿命を集める訓練をしないと、決まった部位でしか魔法を使えなくなる。右手でしか魔法を使えないと知られれば、右手を無力化されたときに魔法を使えなくなる」


「はい!」


「では行くぞ」


「はい! ……はい?」


 どこに?

 まさか今からラビツを追いかける?


「ルブルム、鹿の王を呼んでくれ」


「はい、カエルレウム様」


 カエルレウム様は奥の部屋へと入り、ルブルムもその後に続くが、ルブルムだけ、すぐにこちらの部屋へと戻ってくる。

 手には細長い金属製の笛のようなものを持っていて、そのまま家の外へ出てしまう。


 どこに行くのかは知らされないまま、俺とゴブリンはこの部屋に待機して……何をぼんやりしているんだ、俺は。

 今言われたばっかりじゃないか。

 暇さえあれば『魔力感知』を繰り返せ、と。


 今度は左手でやってみる。

 右手ほどスムーズにいかないのは、俺が右利きだからなのかな。

 同様に両足のつま先と、頭の上と、それぞれに流れ星を……魔法代償を集中させてみる。

 まだ魔法を使ったわけじゃないけれど、その準備段階だけでこれけっこう楽しいな。


「リテル、待たせたな」


 部屋に戻ってきたカエルレウム様は着替えていた。

 髪の色と同じ鮮やかなフード付きマント、上着に長靴下、ブーツやベルトまで全て青く染められている。

 さっきのユルい格好と違って、ピシッとしてカッコいい。

 あ、でも、一緒ってことは……。


「カエルレウム様がご一緒ということは、ラビツを追いかけるんじゃないんですね?」


「ああ。ゴド村に向かう」


「ゴド村?」


 ゴド村は、ストウ村から一番近い隣村。

 ストウ村と違い、農業よりも牧畜に従事する人の方が多い。


「ゴブリンの行動範囲と、犬種アヌビスッということを考えると、取り換え子の被害者はゴド村の住人である可能性が高い。あそこならこの森からそう遠くない。行って戻って三、四時間ホーラで済むだろう。まずはこのゴブリンの中の魂に、本当の体を取り戻させるのだ」


 それを聞いたゴブリンは、俺の脚にしがみつきながらピョンピョン跳ねている。


「悪いがリテル、弓矢と斧を外してくれ。鹿の王は武器を嫌うのだ」


 俺は言われた通り、弓と矢筒とを壁に立て掛け、幅広の革ベルトは手斧が入ったまま外し、さっきまで座っていた椅子の上へと置いた。


「アルブム、その間に何かあったら報告するように」


「はい」


 奥の部屋から声が戻ってきて、ちょっと驚く。

 まだ人が居たのか。

 開けっ放しの扉の向こうから、可愛らしい兎耳の少女が顔を出す。

 もしゃもしゃの白い髪はくせっ毛で、瞳は銀色。

 肌はカエルレウム様と同じように白い。

 兎種ハクトッの……年齢は俺よりも二、三歳くらい若い感じかな。

 しかも目が合うと、恥ずかしそうに扉の陰に隠れたりして、可愛い。

 女の子として、というより、生き物として、可愛い。


「カエルレウム様、鹿の王がいらしてくださいました」


 外から戻ってきたルブルムから笛を受け取ったアルブムは、扉をパタンと閉める。

 俺は慌てて『魔力感知』を再開するが、カエルレウム様は俺の頭をポンと軽く叩く。


「いくぞ」


 うながされるまま外へ出ると、一頭の大きな鹿が堂々と佇んでいた。

 鹿の王という名前に相応しい存在感が、オレンジ色が混ざり始めた空に向かって立派な角を伸ばしている。

 手を合わせて拝みたくなるような圧倒的な荘厳さ。

 身動きすることもできず呆然と見とれている俺の前で、鹿の王……様は静かにしゃがんだ。

 鞍も何もついていない美しいその背中に、カエルレウム様は無造作にまたがった。


「ゴブリンは私の前に。リテルは後ろからしがみつくのだ」


 ゴブリンはすぐにぴょんと飛び跳ね、カエルレウム様の前にちょこんと座る。

 俺はと言えば、鹿の王様の存在感に怖気づき、カエルレウム様の背中にしがみつくことにも何か妙な罪悪感を覚えて、足が前に出ていかない。


「どうして乗らないのか?」


 ルブルムが俺の背中を小突く。

 そうだ。無駄にできる時間なんてないんだ。

 俺は深呼吸のあと、唇を軽く噛みながら、カエルレウム様の後ろにまたがった。


「し、失礼します」


「マントの内側でつかまるとよい」


「はい」


 カエルレウム様の上着にギュッとしがみつくと、ほのかに甘い香りが香る。

 ケティとは違う、透き通った甘さ……に浸っていると、背中を再び押された。


「もっと前。私が座れない」


 見るとルブルムが俺のすぐ後ろに座っている。

 慌ててカエルレウム様との距離を詰め、さっきよりも深くしがみつく。

 香りが濃くなって……このままではいけないと思った俺は必死に『魔力感知』の修行を始めるが、直後、背中に押し付けられたルブルムの柔らかさに思考を全部持っていかれてしまう。

 こ、これは修行なんだ……うーあー。

 思春期の童貞男子にはキッツいハードル。






● 主な登場者


利照トシテル/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。猿種マンッ

 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾ってしまい、そのままうっかり魔法講義を聞き始めてしまう。

 一つの体の中に二つ近い魂がある魔術特異症。


・ゴブリン

 イタズラ者の妖精。

 赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭った。中の魂は犬種アヌビスッらしい。

 繁殖しすぎないようカエルレウムにより呪詛をかけられたゴブリン一族の魔術師。

 魔術特異症のため、ゴブリンにしか伝染しないはずのカエルレウムの呪詛を、人間にも伝染するように変異させてしまった。


・カエルレウム様

 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種マンッ

 肉体の成長を止めているため見た目は若い美人で、おまけに無防備な格好をしている。

 リテルに魔法を教え始めた。

 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。


・ルブルム

 魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種マンッ

 かつて魔女への生活物資を受け取りに来たこの少女に、リテルは見とれていたことがあった。

 質問好きらしい。


・アルブム

 魔女の家に住む、兎種ハクトッの可愛い少女。

 もしゃもしゃの白い髪はくせっ毛で、瞳は銀色。肌はカエルレウム様と同じように白い。

 リテルよりも二、三歳くらい若い感じ。照れ屋さん?


・鹿の王

 森に棲む神々しい鹿。

 カエルレウムたちを乗せてくれる。


・ラビツ一行

 兎種ハクトッのラビツをリーダーに、猿種マンッが二人と先祖返りの猫種バステトッ一人の四人組の傭兵。

 そのラビツが、リテルのファーストキスよりも前にケティの唇を奪った。

 北の国境付近を目指す途中、ストウ村に立ち寄った。

 村長の依頼で村の近くに出た魔物を退治したあと、昨晩はお楽しみで、今朝、既に旅立っている。

 カエルレウムがゴブリンにかけた呪詛に伝染し、ストウ村へ持ち込んだ。

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