#7 魔術特異症

「リテル、こちらへ来て両手を前に突き出すのだ」


「はい」


 俺は立ち上がり、カエルレウム様の隣で「大きく前へならえ」のポーズを取ってみる。

 するとカエルレウム様は俺に背後から覆いかぶさるようにして、俺の両手の外側からその両手を添える。

 そして肩にも何かが添えられている感触……こんなとき、体の無反応がありがたい。


「リテル、まさか君……」


 カエルレウム様は俺の背後からすぐに離れた。

 え?

 そんな……粗相はしていないはず。

 自分の股間を見下ろし、なだらかなことを確認してホッとする。

 カエルレウム様はといえば、左手の親指で自分のあごをゆっくりこすっている。


「そういえば君がここへ来た理由を尋ねてないな」


 え、今頃? ……じゃないじゃない。

 そうだよ。そもそもはそのために来たんだから。

 俺は、村で起きたこと、ケティとの絡みは除いて自分の身に起きていること、全てカエルレウム様に報告した。


「把握した。私がゴブリンたちにかけた呪詛が、ゴブリンの魔術師という魔術特異症で変異し、本来ならば伝染しないはずのそのラビツとやら一行に伝染し、そこから村人へも伝染したのだな」


 さっき聞いた魔術特異症……かけられた魔法が変異する可能性がある症状のことだっけ。


「じゃ、じゃあ、カエルレウム様ならこれを治すことができるんですね?」


「できる。ただし……できればラビツ一行とやら、あとはこのゴブリンの体が必要だがな」


 カエルレウム様が邪気のない笑顔を浮かべると、ゴブリンは慌てて椅子から立ち上がり、俺の脚にしがみつく。


「魔術特異症は、本来かかるはずの魔術の一部である魔法が、一つもしくは複数、本来とは異なる別効果の魔法へと勝手に書き換わる現象を引き起こす。時間さえかければ書き換わった魔法を解析するのは可能だが、変異前と変異後と両方の情報さえあれば、解析を待たずとも対象魔術の打消自体は可能となる」


「じゃあ……」


「ああ。お前たちの村に蔓延している呪詛も解消されるはず。本来はゴブリンにのみ伝染するよう作った呪詛だがな、魔術特異症のせいで獣種にもかかるようになってしまったのだろう。しかも……」


 一定量増えない呪詛が引き起こした不能……なんて恐ろしい。

 ただ、治るって希望が見えたのは嬉しいところ。

 それに……。


「ラビツたちは今もずっと伝染させまくっているってことですよね?」


「そうだな」


 あの傭兵連中が村を経ったのは今朝早く……徒歩だと追いつくのは厳しいか。


「じゃあ、魔法でびゅーんって飛んでいって捕まえたりとか」


「飛行系の魔術など、今の君が使えば一ホーラも飛ばないうちに寿命が尽きかねないぞ」


 ホーラはこの世界の時間単位……一日を二十四に分けた単位だから、ほぼ一時間だ。

 その魔術の飛行速度は分からないけれど、きっと一時間ホーラ程度じゃ追いつけないんだろうな……ん?


「お、俺が行くんですか?」


「当然だ。私はここを離れるためには、まず代わりの魔術師を派遣してもらわねばならない……ということも知らないのだな。ここいら近隣諸国の魔術師においては二つに大別される。居付きと徘徊だ。居付きは魔物が発生しやすい場所に居を構え、周辺地域の監視と、魔物発生時にはその討伐とが任とされる。徘徊は自由な場所に住めはするが、地域の支配者からの出動要請は格段に多い。前者は研究好き、後者は戦闘好き、そう覚えておればよい。私はもちろん前者で、もうここに二百年ほど住んでいる」


 に、二百年っ?

 どうりでばーちゃんが小さい頃も住んでいるわけだ……けど……見た目は二十代くらいにしか見えない。

 やはり魔法で何かしているのだろうか。


「ああ、体のことか? 体を放置するとな、老化によって腰や背中や首は痛くなるし目は悪くなるし、魔術研究には何かと不都合だからな。乱暴に言うと、肉体が成長しないように止めているのだ。爪も髪も伸びないし垢も出ないから風呂に入る必要がないのは楽だがな、代わりに小さな傷とて自然治癒はしないし、他にも手がかかる部分はあるがね」


「でも、魔法を使うと寿命を消費しちゃうんですよね?」


 魔法は寿命を使う。

 寿命を使用して寿命を延ばすなんて可能なんだろうか。


「そうだ。だから私は恐らくあと二百年も生きられぬだろう。もっとも、普通の猿種マンッにしてみれば充分過ぎるほどの長命になるがな」


 その言い方だと、カエルレウム様は本来、四百年くらいの寿命があるってこと?

 リテルの知識では、ストウ村の人たちの寿命は……現代の日本人より少し短いくらい。

 指輪物語の魔法使いガンダルフは人じゃなく、イスタリという別種族だったけど……でも今、猿種マンッって言ったよね?


「魔法で寿命を伸ばせるものなんですか?」


「延命ではなく、それが本来の寿命なのだよ。獣種が通常、百年も生きられないのは老化が原因なのだ。肉体が老化しなければ、誰しもがそのくらいは生を繋ぐことができる。ただ残念なことに獣種の肉体は、本来の寿命よりもはるかに早く朽ちてしまうのだ。老衰という症状は、魂がまだ元気であるにも関わらず、寿命が肉体に結びつく力を蝕み、魂と肉体との乖離を早めてしまう。だからこそ肉体が朽ちても魂だけ残ることも少なくはない」


「それって……ゆ、幽霊?」


「そうなる場合もある……が、話がそれ過ぎた。時間がない。先程の続きをするぞ」


 カエルレウム様はゴブリンを椅子へと戻らせ、再び俺の背後へと回る。

 再び背中に頬が緩みそうになる感触……これが伝説の「当ててんのよ」ってやつか。


「わかるか?」


 あわわわわっ。

 これ絶対、心が読まれてるでしょと脳内ツッコミしかけた俺は、突如それに気づいた。


「あっ……ああっ……両腕がムズムズしています。温かい、というか」


 俺の手の内側にじわじわと感じる何か。

 添えられているカエルレウム様の手の温もりとは違うもの。


「寿命というエネルギーは体内を循環している。まずはその流れを感じることが第一歩だ」


 目を閉じて、腕の内側に意識を集中させる……その熱っぽい何かをつかまえた、そう思った直後、俺の意識は俺の中をものすごい勢いで駆け巡った……引きずり回されたという表現の方が的確か。


「その流れを意識できるようになったなら、その一部を手のひらに集めてみろ」


「ま、魔法使っちゃうんですか?」


 何年もの寿命を一瞬で失うという魔法怖い話を聞いたばかりの俺は、反射的にさっき感じた流れから意識を放してしまう。


「リテルが今、寿命の流れを感じたり、魔法代償の操作を感じているだろう。この感覚を『魔力感知』と呼ぶ。厳密に言えば魔法ではないのだが、『魔力感知』は魔術師になるために最初に学ぶ魔法と言われている。常に意識して『魔力感知』を用いるように。それと、今のように集めた魔法代償を制御せずに手放した場合、追加魔法代償が消費されてしまうこともある。充分に注意するように」


「き、気をつけます」


「魔法代償を集中させる段階までで止めておくのだ」


 撃鉄は起こすけど、引き金は引かない、そんな感じかな?

 追加魔法代償は、絞り込みができないから、最悪数年単位で寿命を失ったりするとか脅されたばかりだもんな。

 深呼吸をして、気持ちを落ち着けてから、改めて、自分の中にある寿命の流れに意識を寄り添わせた。


「寿命の流れは、円のようにぐるぐる回っているはずだ」


 寿命の流れ……円のようにぐるぐると回って……確かに回ってはいるけれど、ねじれている感じがする。

 まるで「∞」の記号みたいに。


「カエルレウム様、円とはちょっと違う感じがします……俺は間違っているでしょうか?」


「間違えてはいない。それに気付けるとは魔術師の素質十分だな。勘が悪い者は何十年訓練しようが自分の中の寿命の流れに気付くことができないからな」


「人によって円だったり別の形だったりするんですか?」


「基本は円だ。種によって大きさや早さ、円から突出した形状、色などが異なるがな。リテルの寿命の渦はとても珍しい。二つの円がねじれて交わる形ということは、肉体と結びつく魂が二つ分ある可能性がある」


 二つ分の魂……リテルと利照おれか?


「魔術特異症に話を戻すぞ。簡単に言うとな。魔術特異症というのは、魂と肉体の自然な関係以外の結びつきのことを言う。取り替え子、魔人と獣種の子、ゴーレムやゾンビー、そしてお前のように不自然な魂を持つ者だ」


 魔人、ゴーレム、ゾンビー、新しい単語が続々だな……ん?


「お、俺もですか?」


「そうだ。リテルの不自然な寿命の渦は、本来の君の種が持つ寿命の渦とは異なるものだ」


「魔術特異症って……その、かけられた魔術が変わっちゃう以外に、何か副作用のようなものって……」


「断言できるものはないし、魔法の変異も必ずしも発生するものではない。魔法が変異するのは、魔法が本来は寿命の力を使用するという理のもとに存在するのに対し、対象者の寿命が本来とは異なる流れのために発生する歪みのようなものなのだ。その歪みを把握するには、統計を取れるほど現象を観測した上での研究が必要となる」


「珍しいから、法則もわからない、ということですか?」


「そうだ」


 俺の魔術特異症については、俺自身が色々と発見してゆくしかないのかな……。


「あの、ゴーレムやゾンビーって、魔法で動かす何かですか?」


 ゴーレムやゾンビーは聞き慣れた言葉。

 さっきからずっとこの世界の言葉で会話をしている俺にとって、元の世界でも聞いたことがある響きが耳に入ってくると、不思議な気分になる。

 二つの世界にある同じ響きの言葉。それらはきっと何か関係があるよね?

 魔人とかいうキーワードも気になるけれど、まずは元の世界にもある言葉の方から。


「リテル、君は驚きだな! その通りだよ。どちらも魂も寿命も持たない肉体に、魔術による行動基準を紐付けたモノだ。無機物を肉体にしたものがゴーレムで、有機物を肉体にしたものがゾンビーだ。後者は生物の死体をそのまま用いる場合も多い」


 土とか岩とか金属とかで作ったのがゴーレムで、死体を魔法で操るのがゾンビー。

 元の世界にあったモンスターとほとんど変わらない存在。

 となるとアレだよな……この世界と、俺が居た元の世界って、きっとどこかでつながっていると考えていいよな?

 しかし魔術による行動基準って、そう考えるとゴーレムやゾンビーってプログラムで動くロボットみたいだな……あれ?

 ちょっと待って。


 魔術特異症が魔術により不自然な状態にされた肉体のことを言うということは、俺の体も、誰かが使った魔術のせいでこうなったということ?






● 主な登場者


利照トシテル/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。猿種マンッ

 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾ってしまい、そのままうっかり魔法講義を聞き始めてしまう。

 一つの体の中に二つ近い魂がある魔術特異症。


・ゴブリン

 イタズラ者の妖精。

 赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭った。中の魂は犬種アヌビスッらしい。

 繁殖しすぎないようカエルレウムにより呪詛をかけられたゴブリン一族の魔術師。

 魔術特異症のため、ゴブリンにしか伝染しないはずのカエルレウムの呪詛を、人間にも伝染するように変異させてしまった。


・カエルレウム様

 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種マンッ

 肉体の成長を止めているため見た目は若い美人で、おまけに無防備な格好をしている。

 リテルに魔法を教え始めた。

 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。


・ルブルム

 魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種マンッ

 かつて魔女への生活物資を受け取りに来たこの少女に、リテルは見とれていたことがあった。

 質問好きらしい。


・ラビツ一行

 兎種ハクトッのラビツをリーダーに、猿種マンッが二人と先祖返りの猫種バステトッ一人の四人組の傭兵。

 そのラビツが、リテルのファーストキスよりも前にケティの唇を奪った。

 北の国境付近を目指す途中、ストウ村に立ち寄った。

 村長の依頼で村の近くに出た魔物を退治したあと、昨晩はお楽しみで、今朝、既に旅立っている。

 カエルレウムがゴブリンにかけた呪詛に伝染し、ストウ村へ持ち込んだ。


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