#6 魔法の代償
もしも魔女様……カエルレウム様が「異世界」をご存知なのならば……ひょっとして俺を召喚したのはカエルレウム様たちで……俺は帰れたりするってこと?
いや、それはご都合過ぎかな。
それとも他に、俺みたいに転生してきた人がいるとか?
そんな質問をするよりも前に、カエルレウム様が話を進めてしまう。
「先程の問についてだが、魔法は一つ覚えただけでも魔術を使うことは可能だ」
一つなのに、組み合わせ?
「それって、同じ魔法を連続で使うとか? ……ですか?」
興味が先走ってついタメ口になっちゃった。
慌てて敬語に戻したけれど、大丈夫かな?
「リテル、君は筋がいい。私の元で本格的に魔術を学んでみる気はあるか?」
良かった、怒ってない……え?
「い、いいんですか?」
カエルレウム様の満面の笑みにつられ、つい身を乗り出してしまう。
思わずついた手は、テーブルの上のゴブリンのお腹。
「むぐぅ」
「あ、ごめんなさいっ」
テーブルの上のゴブリンは目をぱちくりさせてから、周囲を見渡し、その後おもむろに俺に飛びついてきた。
完全に油断していた。
右手を背中に回して手斧の鞘の留め具を外す。
だが手斧を取り出すよりも早く、ゴブリンの両手が俺に届いた。
ゴブリンは俺の胸元に飛び込んでくるやいなや、俺の顔をベロベロ舐めようとする。
まさか毒のヨダレとかか?
避けようと下がるが、そこは狭い室内。
手斧を取り出せるスペースを確保できない俺は素手に切り替え、両手でゴブリンの肩をつかんで引き剥がす。
そのときのキョトンとした顔は、今までの人生で見たどのゴブリンよりも、純粋無垢なものに見えた。
「ありがとうです! 助かったです! 僕、生きてます!」
このゴブリン、心なしか腰を軽く振ってないか?
ルブルムが片手でゴブリンの首根っこをつかみ宙吊りにして、事態はようやく少しだけ落ち着いた。
なんだってんだ?
「やはりな。この反応見る限り、
ファンタジー系のゲームによく出てくる犬顔の人型モンスター……ではないというのは、リテルの記憶ですぐわかった。
犬から進化した人であり、隣のゴド村にはけっこう居る獣種。
隣村に多いだけあって、ストウ村にも何人か居る。
元の世界では犬猿の仲って言葉があったけれど、
「
「取り換え子というものだ。ゴブリンはときどき自分の赤ん坊と、獣種の赤ん坊とを取り替える。もちろんただの交換ではない。それではすぐに交換が分かってしまうからな。ゴブリンにも独特の魔法を使うヤツが居てな。そいつの魔法で赤ん坊同士の魂を交換するのだ」
魂の交換……ということは、こいつは体がゴブリンだけど、心が
ゴブリンなんて単なるイタズラ者だと思っていたけれど、なかなかに凶悪な輩じゃないか。
自分がそんな目にあったらと考えるだけでゾッとする……ああ、でも。
俺の魂も今、リテルの体を乗っ取っているようなもんだよな。
ゴブリンに投げたブーメランが戻ってきて
「ゴブリンは本来、寿命もそんなに長くはないのだがね。取り替え子されたゴブリンは獣種並みの寿命と知性を持ち、体も一般のゴブリンとは比べ物にならないくらい丈夫なのだ。あの傷で死ななかったのは取り替え子のおかげだろうし、普通のゴブリンはこれほどまでには獣種の言葉を話せやしない」
「うわ……ゴブリンが取り替え子をしまくったら……大変なことになりますね?」
「それは滅多にないだろう。なんせ取り替え子はゴブリンの魔術師にしか使えず、取り替え子されたゴブリンしか魔術師になれないのだから。しかも取り換え子を研究している魔術師の報告によると、取り換え子は十二年に一度しか使えない制約があるそうでな」
十二年なら……そう滅多にあることじゃないだろうけれど……それにしても。
「その取り替え子されちゃった獣種の方はどうなるんですか? 中身がゴブリンってことは……」
「頭は悪く、体は弱く、死にやすい。イタズラ好きで……あと、総じて助平だな」
「なんて迷惑な……め、迷惑ですね」
いけないいけない。またタメ口になりかけている。
カエルレウム様ってなんだか話しやすいんだよな。
不意に元の世界の記憶が蘇る。
家庭はズタボロだった利照だけど、親友と呼べる友達は一人だけいた。
親に入れさせられた私立のエスカレーター校で、小三から高一までずっと同じクラスの
丈侍は頭が良くて、趣味は検索と読書。お気に入りの本は辞書と図鑑と地図帳って面白いヤツ。
家に居場所がない俺は、昔から学校帰りはしょっちゅう丈侍の家に入り浸っていた。
丈侍と、丈侍の弟の
ファンタジーゲームではおなじみのモンスター「オーク」が、指輪物語のトールキンの創作で、神話や伝説には全く登場しないなんていう豆知識を会話の随所に盛り込んでくるんだけど、決してひけらかしでも自慢でもなく、自然に差し込んでくる感じなんだよね。
俺は心の中で丈侍のことを勝手に師匠と呼んでいた。
カエルレウム様のこのフレンドリーな雰囲気と、先回りした詳細説明のちょうど良さが本当に丈侍に似ている。
まあ外見的には似ても似つかないけど……丈侍は普通の男子だし。
「取り替え子は疑っていた通りだ。魔術が変異する十分な理由として」
そうそう。魔術が変異って、それまだ聞いていなかった。
「その変異って……教えていただくのは可能ですか?」
「ああ、いいさ。君は見込みがあるからね。魔術師に一番大切なのは好奇心だ。知識は興味の先に隠れているものだからね……で、変異だが。ごく稀に起きる現象でね。魔術特異症だと、かけられた魔法が変異する可能性が発生する」
「魔術……特異症?」
「そのためにはまず、魔法の基礎について知りおく必要がある」
「は、はいっ。よろしくお願いします」
「ルブルム。ゴブリンはもう下ろしていい。ただしゴブリン、君がおとなしく椅子に座っていられるなら、だがね」
「はい! 座ります!」
ゴブリンはおとなしく椅子に座ったのだが、どこかソワソワしているようにも見える。
このゴブリンにないはずの犬の尻尾が一瞬見えたような気がしたのは、中身が
「まず、魔法の基礎の基礎だ」
テーブルの向こうで腕組みをしたカエルレウム様。
これ、明らかに腕の上に乗ってるよね……しかも下着はつけてないなんて。
俺の心はちゃんとザワついているんだ。
だけど肝心の体が、ピクリとも反応しない。
と思ったら、左隣にガタッと物音がしてピクリと反応する……俺の肩が……そっちじゃないんだよ。
隣を見ると、ルブルムが残った椅子を俺の横に置き、そこに座っていた。
それを見たゴブリンも真似して俺の右隣に椅子を移し、そこにちょこんと座る。
学校みたいで、なんだかおかしい。
「リテル」
「は、はいっ」
いけない。せっかく魔法のことを教えてもらえるってのに気が散っていた。
ちゃんと聞こう。
「この世に生きる者、すべてが魔法を使えることは理解しているか?」
魔法を……みんなが使える?
それはリテルも? ストウ村のみんなも……ってこと?
「し、知りませんでした」
「そうだろうとも。魔法をよく知らない者が魔法を使う行為はすこぶる危険だからな。普通の農村ならば、魔法を使えることなど子どもらには決して教えたりはしない」
魔法が危険ってのはイメージが湧く。
適当に使うと暴発するとか、そういつやつかな。
「この世で生きていると言える者はみな、魂と肉体と、それらをつなぐ寿命との一揃いでようやく一個の生命として成立しているのだ。我々はこの寿命を消費することで魔法を使うことができる」
寿命?
HPとMPに分かれているとかじゃないの?
「魔法を使い過ぎると死んじゃうってことですか?」
「その通り。魔法を使う訓練を行わない素人がいきなり魔法を使った場合、最低でも数年の寿命が減る。これは実験により明らかな事実だ」
数年……え、じゃあ、ものすごい魔法とか使ったら、最悪一発で死亡ってこと?
「リテル、怖気づいたか?」
「……正直、怖いです」
「正しい反応だ……だからこそ人々は魔法を研究し、暴力のような恐怖を魔術という叡智の象徴にまで昇華した」
「寿命を削らないで魔法を使う方法を見つけたんですか?」
「残念ながら、そんな都合の良いものは存在しない。寿命は必ず消費する。ただ魔術師はその消費する寿命を最低限まで絞る訓練を積んでいる。魔法を使うための魔法代償、その最小単位はディエスと言うが、最低限に絞られた一ディエスは寿命に換算するとわずか一日ほどだ」
一日とはいえ寿命を使うのか……でも、一日か。
一日くらいならとうっかり使い過ぎちゃいそうな絶妙な量だな……。
「魔法代償……というものを絞る……んですよね? 絞った魔法代償と、絞らない魔法代償とで、使う魔法の威力は変わらないんですか?」
「魔法の使用は厳密に言えば二段階に分かれている。寿命から魔法代償を集中する段階と、集めた魔法代償を消費して魔法を行使する段階だ。魔法代償を集めるにあたり、魔術師が寿命を一日だけ絞って集中した一ディエスと、非魔術師が絞り込まずに数年の寿命をそのまま流用した一ディエスとは、魔法代償として成立した時点では同価値の一ディエスに過ぎないのだ。寿命を、魔法を行使するための燃料に変換する行為が魔法代償の集中だと考えたまえ」
ということは……寿命を日本円としたとき、魔法を使うにはアメリカドルが必要で、魔法代償を集中するというのは、日本円を米ドルへ両替するのと一緒で、そんで両替店によって換算レートが違う感じ……かな?
「あとは、使用する魔法を正確に把握していなければ追加魔法代償が発生する恐れがある。魔法代償を本来は二ディエス必要とする魔法に対し、魔法代償を一ディエスしか用意しない場合、不足分の一ディエスを追加で消費してしまう。その時の追加消費分に対しては絞り込みが行えないため、非魔術師の一ディエス並みに寿命を消費しかねない」
「怖いですね……魔法に必要な魔法代償量って、どうやってわかるんですか?」
「魔法に対して魔法代償は幾らでも費やすことが可能だ。必要量を超えた魔法代償については、その魔法を強化する方向へ作用する。心配ならば、多めに魔法代償を用意するというのも一つの方法だ。一般的には先人たちの試行錯誤の結果として残された情報を参考にするものだが、新規で魔法を作る場合はその限りではない。単純な現象を発生させるほど魔法代償が少なくて済むという真理はあるが、使用する魔法の内容から必要最低限の魔法代償を予測するには、多様な魔法を行使してようやく身につくものかもしれない」
「実践あるのみなのですね」
「ということでリテル。早速、魔法を使ってみようか」
えええええっ?
● 主な登場者
・
利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。
ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。
ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾ってしまい、そのままうっかり魔法講義を聞き始めてしまう。
・ゴブリン
イタズラ者の妖精。
瀕死なところをリテルに拾われた。
赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭った。中の魂は
繁殖しすぎないようカエルレウムにより呪詛をかけられたゴブリン一族の魔術師。
・カエルレウム様
寄らずの森の、青い長髪の魔女。
古くからここに住んでいるはずだが、見た目は若い美人で、おまけに無防備な格好をしている。
魔術に関する質問に快く答えてくれる。
寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。
・ルブルム
魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。
かつて魔女への生活物資を引き渡しに来たこの少女に、リテルは見とれていたことがあった。
質問好きらしい。
・
元の世界における利照の親友。
小三からずっと同じクラス。頭が良い。
実家に居場所がなかった利照は、学校帰りはしょっちゅう丈侍の家に入り浸っていた。
・
丈侍の弟。利照が丈侍と遊ぶとき、いつも一緒に居た。
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