#5 寄らずの森の魔女

 赤髪の少女は相変わらずの無表情だった。


「ストウ村の、狩人見習いか?」


「は、はい。リテルと言います」


 だけど自分のことを覚えていてくれたのは嬉しいな。


「どうしてゴブリンを抱えている?」


「あ……こ、ここに来る途中、倒れていて、つい」


「助けたいのか?」


「はい」


 縁もゆかりもないゴブリンなのに、うっかり「はい」と答えてしまった。

 赤髪の少女は玄関扉は開け放ったままで、奥に見えるもう一つの扉の向こうへと消える。

 えっと……俺、ここで待っているべきなのかな?

 中に勝手に入るのはよくないよね?


 開け放たれた部屋は四畳半ないくらい。

 中央に丸テーブルがあり、椅子が三脚。どちらも装飾がないシンプルなもの。

 それ以外で目につくのは、真っ青な絨毯。

 ラピス・ラズリのような鮮やかな青。


 ……ラピス・ラズリは姉さんの誕生石。

 つい、元の世界の家族のことを思い出してしまう。

 なんでも完璧にこなす姉さん。

 その姉さんと、もう一人……俺よりもずっとできのいい弟だけを溺愛する両親。

 仕事大好きな父親は海外出張が多くてめったに帰らないし、母に至っては世界をまたにかけるバイオリニストとやらで、長男の誕生日だっていうのに海外で演奏の仕事を入れちゃう人。

 姉さんと弟だけ一緒に連れて行ったのは、楽器が得意だからゲスト出演させるんだって。

 鬱なこと思い出してしまったせいで、その青い絨毯を踏みにじりたくなる……絨毯には罪がないのにな。


 わかっているんだ。

 絨毯にも……ケティにだって、罪なんて言えるほどの何かがあるわけじゃないことは。

 ただ俺はガキだから、自分の中のモヤモヤをうまく昇華できる方法を知らないだけ。


「どれ、ゴブリンを見せてみろ」


 奥の扉が開く音と共にさっきの少女とは違う女性の声が聞こえ、俺は顔を上げる。

 そこには二十代くらいにしか見えないハリウッド女優ばりに綺麗なお姉さんが立っていた。

 まず目を引いたのは深い青のストレートロングの髪。

 しかも膝くらいまでの長さ。

 髪よりわずかに短い丈の服は、絹のような光沢のある真っ白い生地で、キャミソールみたいに肩も胸元も開放感があり、ちょっとエロい。

 しかもそんなに厚くなさそうな生地は、突き出た胸の頂きから裾までなだらかな曲線をたなびかせ、その曲線に沿って流れる青い髪が、雪の崖を静かに伝う滝のようにも見えて、芸術品のような神々しささえ感じるほど。


「テーブルの上に置いて構わないのだぞ」


「は、はいっ」


 声が裏返ってしまったことも、見とれちゃっていたことも、両方恥ずかしい。

 まだ息があるゴブリンをテーブルの上へと優しく置き、いまさらながら視線を床へと移す。

 あ、このお姉さん……おそらく魔女さんは、裸足なのか。

 ただそのつま先からしてもう品がある。

 生活感のない足。

 俺なんかとは違う世界の生き物みたい……いや実際、違う世界の人なんだけどさ。


「なんだと?」


「す、すいませんっ」


 魔女さんの声に対し、反射的に謝ってしまう。

 ヤバい。魔女って人の心を読んだりできるんだっけ? いや魔女じゃなく魔女さん。魔女様。

 とにかくごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 心の中でたくさん謝っている俺を、青髪の魔女様は不思議そうな表情で見つめている。


「なぜ君が謝るのだ?」


「カエルレウム様、この少年はリテルといいます」


 いつの間にか赤髪の少女も部屋に戻ってきていた。

 よく見たら、この少女の着ている服もこの魔女さん……カエルレウム様の服と同じ生地っぽい。

 ただ少女の服は、俺やケティとかと同じシャツと膝上短パンなデザインだけど。

 というか、心が読まれては……いない、ってことセーフなのかな?


「リテルか……うむ。リテルが謝る必要はない。私がゴブリンにかけていた魔術が変異していてな。それに驚いただけだ」


 喋りながらもカエルレウム様はゴブリンの傷口付近に手をかざしている。

 するとゴブリンの傷がみるみる治ってゆく。

 すげぇ、これが魔法?

 でもいま魔術って言ったよな。

 魔法……魔術……魔法と魔術は違う単語っぽい?


「魔術が変異……ですか?」


「ほほう。魔術に興味があるとは、あの村の者にしては珍しい反応だな」


「あ、あります。魔術に興味あります」


 思わず早口で反応してしまったよ。

 だって魔法と来たら異世界ファンタジーの王道でしょ?


「そうか。ではそこに座れ」


「はいっ」


 一番近くにあった椅子に座ると、俺の背後で少女が玄関の扉を閉めた。


「ゴブリンは弱く脆い生き物だ。そういう生き物は得てして繁殖力が高い。他の地域ならば自然に淘汰されるのだが、ここの森においては私が魔物を抑えているために少しばかり増えすぎてな……一定量増えないよう呪詛をかけたのだ」


 呪詛……ってことは呪いだよな?

 なんか無礼なことしちゃったら、カエルとかに変えられちゃうのかな……自然と背筋が伸びる。

 それでも俺の好奇心は緊張を凌駕した。


「あの……呪詛……というのは、魔術なんですか?」


「そうだ。俗称だがな。魔術の要素として、効果期間が一瞬ではなく、他者に伝染する効果を持ち、その効果が一般に望ましいものではない場合、その魔術は呪詛と呼ばれることが多い」


「要素ということは、魔術は……効果ってやつをいくつも組合せて使うものなのですか?」


 カエルレウム様は俺を見つめながら、口元に笑みを浮かべる。


「そうだ。本来、単一効果しか持たない魔法を、組み合わせ、望む効果を顕現させることが魔術というものなのだ」


 魔法! 魔術!

 なるほど。魔法は単体で、そんな魔法を組み合わせた複合魔法が魔術なのか!


「じゃあ、魔術を使うためには魔法をたくさん覚えないといけないんですね?」


「リテルは質問が多いな。ルブルムみたいだ」


 カエルレウム様はまた微笑んだ。

 良かった。

 質問をしまくっているけれど、反感は買っていないようだ。

 だけどルブルムってなんだろう。

 日本語に相当する単語がないってことは、この世界だけの概念なのかな。


「私に似てる? リテルが?」


 あー、ルブルムは赤髪の少女の名前なのか。


「ルブルムも質問好きだろう? 年も近そうだし」


「うん。私は質問が好きだ。この世界をより知っていっている、それが楽しい」


 あれ、今……「この世界」って言った?

 この言い方って「異世界がある」前提だったり?






● 主な登場者


利照トシテル/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。猿種マンッ

 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾ってしまう。


・ケティ

 リテルの幼馴染の女子。十六歳。わがままボディの猿種マンッ


・マクミラ師匠

 リテルにとって狩人の師匠。猿種マンッ

 魔女の生活物資をときどき森の入口まで運んでいる。


・ゴブリン

 イタズラ者の妖精。

 瀕死なところをリテルに拾われた。

 繁殖しすぎないようカエルレウム様により呪詛をかけられたゴブリン一族の魔術師。


・カエルレウム様

 寄らずの森の、青い長髪の魔女。

 古くからここに住んでいるはずだが、見た目は若い美人で、おまけに無防備な格好をしている。

 魔術に関する質問に快く答えてくれる。

 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。


・ルブルム

 魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種マンッ

 かつて魔女への生活物資を引き渡しに来たこの少女に、リテルは見とれていたことがあった。

 質問好きらしい。


・利照の家族

 父親は海外出張が多くてめったに帰らない。

 母親は世界をまたにかけるバイオリニスト。

 姉はなんでも完璧にこなす。誕生石はラピス・ラズリ。

 弟も楽器が得意。

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