#4 紳士の誓い

 キスを、された?


 俺が、リテルが、ケティとするよりも前に。

 強くてかっこいい旅の傭兵のリーダーと、ケティが。


 リテルがいくら体を鍛えたからといって、魔物を倒す傭兵になんて到底かないっこない。

 今まで数年頑張ってきたものが、リテルの想いが、何もかも否定された気がして、俺の心は急に寒さを覚えた。


 ケティを好きなのはリテルだけど、利照おれだって、ケティを好きになりかけていた。

 というかもうかなり好きになっていた。

 チョロいかもしれないけどさ……リテルの記憶を追体験して、キスして、抱き合ったりまでして、気持ちが動かない方が無理ゲーだろ……だったんだけどさ。

 なんかさ、しんどいよ。

 こんな気持ちになるなら、好きになんてならなきゃ良かったのかな。


 ここはやっぱり異世界だ。

 俺の居場所なんてない。


 ……でも、元の世界にだって、俺の居場所はあったんだろうか。

 一人ぼっちの誕生日の夜を思い出してしまう。

 唐突に、激しい孤独感に襲われる。


「違うの! あっちからいきなり……」


 ケティが俺の手に触れようとしたのを、思わず振り払ってしまった。

 今は誰にも、触れられたくなかったから。


 ケティは数歩後退り、申し訳なさそうな顔をしてうつむく。

 これって八つ当たりだよな……それがわからないほど錯乱しているわけじゃない。

 ケティだって被害者なのに。

 わかってる、そんなこと。

 わかってはいても、どうにもできない。

 利照おれの中の孤独感を、リテルの中の哀しみと憤りを、そんなものが混ざったケティへの複雑な想いを、うまく整理できないまま俺はベッドに腰掛ける。

 もちろんケティは隣に座ってきたりはしない。

 村の中だからとゆるめに履いていたブーツの紐をいったん緩めると、俺はきっちり締め直しはじめる。

 魔女に会いに行くと、村の人たちへ約束したのだから。




 木の根につまづきかけて、俺は回想に耽るのをやめた。

 いくら魔物除けが施してあるという道とはいえ、魔物以外の動物は普通にうろついているのだ。

 熊や猪、狼あたりに遭遇したとき、今みたいにボケっとしていたらとても危険だ。

 ここには居ないはずのマクミラ師匠の怒鳴り声が聞こえてくる。


『リテル、森の中では紳士たれ!』


 必要以上に森の全てを傷つけない。

 森の全てに敬意を払う。

 森にいるときは周囲への気遣いを決して忘れない。


 そうだ。

 俺は紳士でなければならないんだ。

 自分が何者であるのか定められないままの俺にとって、「何かでいる」という役割があることは幸いであり、救いでもある。

 そうだな。

 マクミラ師匠、ありがとうございます。

 気を引き締めて行きます。




 陽が落ちていなくとも森の中は薄暗い。

 あんまりのんびり歩いていたら、帰り道は真っ暗になってしまう。

 松明くらい持ってきても良かったのに、心にゆとりがなかったな……全ての言い訳をケティのせいにしようとしている自分に気づいて頭を振る。

 紳士たれ。

 紳士たれ。

 紳士たれ。

 こんなとき、自意識がリテルじゃなくて利照おれの方でよかった。

 リテルよりかいくらかは冷静でいられるから。


 道と名がついているとはいえ森の中。

 張り出した木の根をいくつも飛び越えながら魔物除けの道を進んでゆく。

 前を向いて歩かないと。

 これから魔女に会うのだから。

 どんな魔女なのかは、村人たちもよくは知らないようだ。

 元の世界のいわゆる「魔女」は妖怪みたいな存在だけど、こっちの世界では単なる「女性魔術師」の呼び方に過ぎない。

 リテルのばーちゃんが子どもの頃にはもうここに住んでいたみたいだし、おとぎ話の魔女みたいに鼻が尖った老婆風なのかな。

 それとも異世界モノではお決まりのロリババァみたいなやつだったりして。


 ストウ村の人たちはその「会ったことがない」という理由から、魔女に対して距離感を感じている……ああそうか。俺と一緒だな。

 利照おれが村の人たちに距離感を感じているのと。

 もちろんリテルの記憶の中に交流の経験はある。

 でも利照おれからしたら、初めて会う人ばっかりってイメージが思考の中にこびりついていて。


 ああ、そういえば、リテルは魔女の使いの人になら会ったことがあるな。

 魔女に食料やら日用品やらを定期的に届けに行くのはマクミラ師匠の役目で、リテルはそれに同行したことがある。

 届ける日は昼頃になると、魔女の道の途中にある「魔女の家」という立て看板の所でその人……赤髪の少女が待っているのだ。

 整った顔立ち。耳の形は猿種マンッっぽい。

 リテルはこの少女を初めて見たとき、綺麗な顔だなって見とれていて、無表情で見つめ返されて、不機嫌にさせてしまったなと反省した記憶があった。


 その立て看板はさっき通り過ぎた。

 ここから先にはリテルも足を運んだことはない。

 小鳥の声が遠ざかっている気がする。


 さっきまで以上に気を配りながら道を進んでいたから、その音はすぐに気付けた。

 茂みの中を、何かが進む音に。


 何だ? 動物か?

 反射的に弓を構え、矢を一本つがえる。


 音は近づいてくる。

 道に向かって真っ直ぐ、ゆっくりと……歩いているというよりは、這いずっているような音。

 こんな音を出す這いずる動物……蛇かトカゲ……それもかなり大きな?


 音の進行方向と魔物除けの道とが交わる場所から少し離れて立ち止まり、呼吸を整える。

 弓は構えたままで。


 ……近い……もうすぐだ……来た!


 茂みが割れ、そこから何かが飛び出……しはしない。

 ゆっくりと、何かを探すように、少しずつ姿を表したそれは、手だった。それも人の。


 戸惑ったのはほんの少しだけ。

 俺は矢を矢筒へ戻し、弓を肩にかけ直すと、茂みから飛び出たその手の元へダッシュする。

 もしも村の人が森へ迷い込んで何かに襲われたのならば、魔女の家ではなく村へ引き返すべきか?

 いまだ手を覆う茂みをかき分け、手の持ち主を魔除けの道へと引っ張り出す。


「うわ」


 その人の腹部に大きな切り傷があった。

 かさぶたができて、それがまた破れて、という状態なので、今さっき切られたのではないだろうが……。

 その時、ようやく俺は気付いた。

 リテルの記憶にあったから……これが、人じゃないということに。


 これは人じゃない……ゴブリンだ。

 ゴブリン……肌は緑色じゃないんだ。

 血も赤いし、異臭を漂わせているわけでもないし……小憎たらしい顔はしているけれど。

 しかもリテルは、ゴブリンに対してそれほど強い嫌悪感を抱いてはいなかった……俺はこの世界のゴブリンについての記憶を思い出してみる。


 ゴブリンはいたずら者の妖精だ。

 普段は森の中に群れで暮らしていて、果実や木の実、小動物などを食べている。

 身長は小柄……猿種マンッの半分くらいで、リテルたちの言語からいくつかの単語を覚えるくらいの知性もある。

 もっともその単語は、人を罵ったりからかったりするものばかりだから、本当はもっとわかっているはず。

 ときどき人里に現れては他愛もないイラズラをして帰ってゆくのだが、そのイタズラも夜中に雨戸を叩いたり、腐った果物を道端に置いて人を転ばそうとしたり、村を囲う柵に糞尿をなすりつけたりという程度。

 少なくともストウ村では誰かがゴブリンに傷つけられたってのは聞いたことないし、むしろ森の中で迷った村人がゴブリンに遭って食べ物をあげたら森の入口まで連れて行ってくれた話まであるくらい。

 この世界のゴブリンは、元の世界のゲームやマンガの中みたいな嫌われ役ではなく、人の周辺に住むれっきとした一種族のようだ。


 そのゴブリンが、不意に俺の左手をつかんだ。

 正確には、つかんだというよりは、弱々しくつかまった、という感じ。

 必死に伸ばした、力なく震えた手。


 え、これ、どうしたらいいんだ?


 弟妹くらいの背丈だからか、振り払うのに躊躇してしまった俺の左手の人差し指を、ゴブリンはぎゅっと握りしめた。

 そんな風に頼られても……悪いヤツじゃないにしたって俺には何もできやしないのに。


 ……いや、見捨てる以外の選択肢、あるじゃないか。

 俺はそのゴブリンを抱えると、魔物避けの道の先を見つめ、走り出した。




 ほどなくして、一軒の家の前へと到着する。

 お菓子でできているわけじゃない、ごく普通の……ストウ村にもありそうな感じの家。

 ただ、家の周囲には色とりどりのキノコが無数に生えていて、しかもその大きさがただ事ではない。

 俺が両手を広げたよりも大きな笠を持つやつもある。

 それから、このキノコゾーン一帯だけ森にぽっかりと穴が空いていて空が見える。

 陽が傾く、ほんの少しだけ手前の空が。


 ここが魔女の家で合っているのかな。

 実際に家まで来るのは初めてだけど、魔物除けの道はここで途切れているし。


 キノコに囲まれて圧迫感のある道を通り抜け、玄関と思しき扉の前に緊張しながら立つ。

 扉には金属製のノッカーが付いているけど……叩いていいんだよね?

 抱えているゴブリンの呼吸が浅い。

 迷っている暇はないか。

 俺はノッカーを勢いよく鳴らした。


「ただいま参ります」


 中から若い女性の声がして間を開けず、扉が勢いよく開かれる。

 内側へ引かれた扉に呼び込まれるように起きた風は、俺の背中から家の中へと吹き込み、中に立っていた少女のショートボブの赤髪をふわりと揺らした。


 あの子だ……リテルが会ったことのある、魔女の使いの子。






● 主な登場者


利照トシテル/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。猿種マンッ


・ケティ

 リテルの幼馴染の女子。十六歳。わがままボディの猿種マンッ


・マクミラ師匠

 リテルにとって狩人の師匠。猿種マンッ


・赤髪の少女

 魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種マンッ

 かつて魔女への生活物資を引き渡しに来たこの少女に、リテルは見とれていたことがあった。

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