#3 よそ者への疑惑
「うん。行ってくるよ」
ドッヂとソンの頭をくりくり撫でてから、俺は家を出た。
しかしこの世界の人は様々な動物から進化し、自分たちのことを「獣種」と呼んでいる。
獣種の六割は、ほとんど
残りのうち三割は先祖と同じような尻尾を持ち、最後の一割は加えて顔の造形も先祖の動物にかなり似ている……これが「先祖返り」。
尻尾があるだけの三割の人たちを「半返り」と呼ぶこともある。
ちなみにこのストウ村は、そんな獣種のうち、ほとんどが
村内の全獣種通して、先祖返りはドッヂだけ。
ドッヂは素直で明るくてとてもいい子。
村でもみんなに好かれている。
それでも、大きな町では先祖返りや半返りってだけで差別する輩がいるらしい。
異世界にそんなリアリティは要らないのに。
「リテル、熱はもう下がったのか?」
通りがかったストウ村の住人が俺に声をかけてくれる。
初対面だけど、リテルはよく知っている人。
俺は笑顔を作りながら頭を下げ、会話をごまかした。
自分が、自分じゃない人として認識されるのって、
人だけじゃなく、場所もそう。
村の中は、中世ヨーロッパを舞台にした映画のセットみたい。
それが
なのに
何人かの村人が、
みんな、村長の家の方へ向かっている。
俺も、みんなに微笑み返ししながら、その人の波へと乗った。
村長はもう話し始めていた。
村長の話はいつも長いので要約すると、今朝までこの村に滞在していた旅の傭兵たちが病気か呪詛かをこの村に持ち込んだのかもしれないということだった。
明るい人たちだった。
北の国境付近で戦争が起きるかもしれないから参加しに行くと言っていた元気な四人組。
ラビツという
リテルも
ぼんやりと記憶を反芻している俺に、マクミラ師匠が軽い感じで話しかけてきた。
「よ、リテル。お前、熱は引いたのか? 頭痛とか不能とかにはなってないよな?」
な、なんでそれを?
耳を疑った。
なんで頭痛とか不能とか知ってるんだ、と。
まさかマクミラ師匠はあのとき窓から覗いて……?
そんな馬鹿なことを考えていた俺の表情が相当切羽詰まっていたようで、マクミラ師匠は冗談ぽく笑うのをやめた。
「村長の話の最初の方、教えておいてやる」
俺が到着前に村長が村人たちへと話していた内容。
それはあまりにも鋭く、俺の心にぶっ刺さった。
話は数日前に遡る。
畑に人型の魔物が現れた。
ゴブリンに似ているけれどそれよりは大型で毛むくじゃら、尻尾も角もある。
ストウ村では初めて見る魔物。
まだ人的な被害はないけれど……村長と監理官たちが対策を講じている中、旅の傭兵たちがこの村を訪れたのは一昨日の夕方のこと。
道中の宿をこの村に求めた傭兵たちに魔物討伐を急遽依頼したところ、彼らは快く引き受けてくれた。
昨日の朝早く、森へと出かけていった傭兵たちは、夕方になる前に魔物を倒し、亡骸を持ち帰ったのだ。
しかも彼らは魔物から瘴気を抜く方法を知っており、瘴気が抜けた魔物の死体を村へと寄付してくれた。
何よりも農作業に対する脅威が去ったのはとてもありがたいこと。
そこまではただの良い話なんだけど。
彼らは交換条件を出した。
夜の寂しさを紛らわせてくれる「話し相手」が欲しいと。
魔物の死体は町の市場で高く売れる。
大人たちがどんな相談したかはわからないけれど、結果的に村長たちはそれを承諾した。
金に目が眩んで家族を娼婦みたいに売ったというわけではなく、過去にも時々そういうことがあったみたい。
リテルもぼんやりとは知っていた。
このストウ村は南に大きな山脈と魔物がたまに出る森が広がっていて、訪れる者も少ない。
テニール師匠のように外から新しい人を連れてでもこなければ、だいたい村の中で相手を見つけるか、せいぜい隣村のゴド村で見つけるか、という辺境地域。
南の山を二つ越えた向こうにはダズベリン村という小さな集落があり、そこを含めた向こう側は昔から仲の良い隣国ではあるけれど、森への恐怖からか旅の商人もこのルートはめったに通りたがらない。
普通、国境といったら大きな商業都市とか砦とか、とにかく賑やかにはなるものだけど、ストウ村とダズベリン村については、寂しいくらいに静寂を守っていた。
だからこそ、こうしてたまに訪れる旅人の新しい血を入れるということは、大っぴらでこそないもののタブーではなかった。
前置きが長くなったけど、ここからが重要な部分。
その「話し相手」をした人とその家族のうち、男だけがさっき、俺と同じように頭痛を覚えた。
それだけじゃなかった。
村一番の絶倫として自他共に認めるハグリーズさんが、「男としての誇りが傷ついている」ことに気づいた後、頭痛を覚えた者が全員、そういう状態に陥っていることが確認されたのだ。
もしも傭兵たちが持ち込んだ何かが原因なのだとしたら……。
俺は、ずっと寝込んでいたから、接触した相手は限られている。
小さい弟妹がいるうちの母さんは「話し相手」にはなっていないし、ケティのお母さんは既に亡くなっている。
だとしたら……考えたくないけどさ……。
でもさ……いや、まさか、だよね。
さっきまで触れていたケティの感触を手のひらに、唇に思いだす。
そう言えばキスは、ケティの方からしてきたっけ。
色恋の経験がない俺には、そんなケティが「慣れている」のかどうかはわからない。
でも、この俺の中にふつふつと湧いてくる哀しみやら怒りやらはどうにも止められなかった。
村人たちも怒ってはいた。
だからよそ者は、みたいなこと。
その「よそ者」という言葉にも、俺は勝手に刺さっていた。
それからしばらくみんなで話し合っていたみたい。
でも俺だけは、その場に居ながらそんなみんなを遠く感じていた。
なんで俺はこの世界に居るんだろう。
実は夢で、覚めたら
まあ、あっちの世界に戻っても、可愛くて胸の大きい幼馴染が居るわけじゃないし……ああでも、そういう相手が居ないってことは、少なくとも裏切られることもないな。
この世界への勝手な疎外感がどんどん大きくなってゆく。
「では、そういうことで話しはよいな?」
村長が叫んだひときわ大きな声が、俺の疎外感の大きさを超えた。
「ならば誰が行く? 寄らずの森の魔女のもとへ」
寄らずの森の魔女……それは村からそう遠くない「寄らずの森」に住んでいる魔術師のことだ。
そう……この世界には魔法がある!
魔法だよ、魔法!
「俺、行きます!」
魔法に興奮したのだろうか、俺は、思わず手を上げてしまっていた。
いや、興奮ではないな。
現実逃避だ。
そんな俺を、村の人たちが笑顔で見つめている。
「そうだな。リテルなら森の中に詳しいし!」
「狩人の腕は上がったんだろう?」
「万が一、魔物に出遭っても、若いから逃げ足は十分だよな?」
村の人達の注目を集めてしまっておいて何だけど、いまさら目的を聞いてなかったとか言い出しにくい。
次々に起こる賛同の声に耳を澄ますが、何しに行くかは誰も口にしてくれない。
「リテル、魔女の家までの道、覚えているか?」
マクミラ師匠が俺の目をじっと見つめる。
記憶の中にその答えをすぐに探し出す。
「はい。魔物除けの道を辿ればいいんですよね?」
「よし。まかせたぞ。状況報告と、治療に必要なことが何か、しっかり聞いてくるんだぞ」
「はいっ」
さすが師匠。
状況報告と、治療方法の確認と。
俺は急いで帰宅して、森へ行く用意を整えようとした。
するとリテルの母さんに呼び止められる。
食事を取りなさい、と。
元の世界と違ってこの世界では、家族仲がいい。
この世界に感じるよそよそしさを取り払うきっかけは、ここにあるのかもしれないな。
俺は食卓につき、木の実入りの黒パンをキャベツのスープにひたして口へと放り込む。
塩味が物足りないけれど、リテルにとっては慣れ親しんだ味。
それに昨晩から寝込んでいて何も食べていなかったのだ。
母さんと、ドッヂやソン、それとばーちゃんまで目の前に居る食卓。
利照が誕生日の夜に一人で食べたコンビニ弁当よりも、ずっとずっと美味しかった。
ちょうど食事を終えたとき、ケティがうちに来た。
森へ行く準備をしようと部屋に入ると、ケティも一緒についてくる。
その表情は、朝ほどキラキラ輝いては見えなかった。
「……リテル、森へ行くの?」
「うん……治療方法を知りたいからね」
「ごめんね。私のせいで」
それは聞きたくなかった。
ケティのせいだと思いたくはなかった。
だって、この症状が現れた人たちに共通する特徴を考えると、あの夜、傭兵たちと……。
「ケティは関係ないだろ。話し相手はしてないんだろ?」
そんなこと聞くつもりはなかった。
なのに言ってしまった。
言いながら後悔する。
しかも、この後悔はあまりにも大きすぎるものだった。
「してないよ……けど……ラビツさんにはキスされた」
● 主な登場者
・
利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。
ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。
ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。十六歳。わがままボディの
・マクミラ師匠
リテルにとって狩人の師匠。
・母さん
リテルの母。優しい。
・ドッヂ
リテルの弟。
・ソン
リテルの妹。ドッヂとは双子。
・ラビツたち
そのラビツが、リテルのファーストキスよりも前にケティの唇を奪った。
北の国境付近を目指す途中、ストウ村に立ち寄った。
村長の依頼で村の近くに出た魔物を退治したあと、昨晩はお楽しみで、今朝、既に旅立っている。
病気か呪詛かわからないが「頭痛と不能」をこの村に持ち込んだ犯人として疑われている。
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