第25話 刑事は古巣に手がかりを求める
『丸塚スポーツ』のあるダウンタウンエリアは、西棟の外れから地下へと伸びるスロープの先にある通称『地下の街』だ。
電力が十分に供給されていないのか全体に薄暗く、発電機の音が響く廊下には不完全燃焼の匂いが漂っていた。
俺とリードは廊下というよりストリートと言った方がいい猥雑な通りを、地図を頼りに路地から路地へと進んでいった。
メインの通路はさすがに広いものの、一歩裏路地に入ると得体の知れない煙草紛いをふかす不良――いや不良かどうかもわからない者たちがたむろする不穏な無法地帯へと紛れ込んでしまうのだ。
店が学校の外にあった頃の構えを知っている俺は、見覚えのある店先がないか必死で探した。なかなか見つからずに焦れ始めた俺が唸り始めると、リードが近くにいた男子生徒に「すみません、ちょっと道を尋ねたいんですが」と声をかけた。
「なんだい」
「この辺に『丸塚スポーツ』っていう店があると聞いてきたんですが、知りませんかね」
「スポーツ店ならそこの角を曲がってすぐだよ。電気店と薬局の間さ」
「ありがとうございます。これ、学生生協で使えるクーポン券です」
リードがそつのない動作で謝礼を差し出すと、男子生徒は鼻を鳴らして「こんな地下暮らしの俺が地上の券なんかもらってもなあ」と複雑な顔を見せた。
俺とリードは男子生徒に会釈するとその場を離れ、次の角を目指した。曲がった先には言葉通り電気店と薬局があり、その狭間には緩いスロープがさらに下へと伸びていた。
「あっ……あれだ」
俺はスロープを折り切った先にある間口の狭い建物を見た瞬間、思わず声を上げた。
「こりゃあまさしく隠れ家だな。外の店をそのまま持ってきたようにも見えるぞ」
俺たちは店の前に立つと、今時珍しいガラスの引き戸をそろそろと開けた。
「ごめんください」
入り口の戸を潜ると、俺の鼻先に懐かしいゴムと皮の匂いがふわりと漂った。
商品の箱がびっしりと並べられた陳列棚の間を通って奥へと進みながら、俺は見覚えのあるレイアウトに鼻の奥がツンとなった。
――シューズ、グローブ……何ひとつ変わっちゃいない。
俺たちが棚の間を抜け、作業スペースを兼ねたレジの前に出るとギッ、ギッ、という音と共にガット張りをしている小柄な年配男性が姿を現した。
「親父さんこんにちは。……覚えてますか?俺の事」
俺が店主の丸塚升三に声をかけると、升三はガットを張る手を止めて顔を上げた。
「んっ?……おお、零じゃないか。随分と久しぶりだな、この学校に入ったのか」
「はい、二年です。まさか親父さんの店が校舎の中に移転してるとは思いませんでした」
「お前、だいぶ前に野球は辞めたんじゃなかったのか?」
升三は俺の義手に目を遣りながら言った。その表情を見て、大怪我を負った時に残念がってくれた親父さんの姿が俺の脳裏にまざまざと甦った。
「ええ、野球はもう辞めました。……親父さん、あいにくと今日はグローブやシューズを買いに来たわけじゃないんです」
「……というと?」
「捜査ですよ。実を言うと俺は今、壱係の刑事なんです」
「刑事だと……」
「言いにくいですが、ある筋によるとこの店が『イモ―タル・ソサエティ』とつるんで違法な道具を流通させているって噂が流れているんです」
「違法か。正直一筋が信条のわしが刑事から疑いの目を向けられるとはな」
升三はふうと息を吐き出すと、口許に自嘲めいた笑みを浮かべた。
「親父さんのメンテナンスが一流だってことは承知の上です。ただ俺たちが今追っている事件にはいくつかの勢力が絡みあっているんです。普通に捜査していては解決できません」
「悪いが、捜査の助けになるような話はここにはない。諦めて地上に戻った方がいい」
「親父さん、それはもしかして……白銀旭の親父に経営の支援を受けているからですか?」
俺が白銀旭の名前を出すと、升三は険しい表情になって口をつぐんだ。
「親父さん、朱堂冷刀を知ってますよね?中学時代、俺とエースの座を争ったライバルです。俺たちは二人ともこの店のお世話になっていました。グローブやその他の道具をここで買い、メンテナンスの仕方を教わりました。その朱堂が『イモ―タル・ソサエティ』に付け込まれて俺を襲撃する羽目になったんです」
「なんだって……」
「俺たち壱係は、一連の事件の背後に『ファイヤーボール』という謎のキーワードがあることを掴んでいます。親父さん、どんなことでもいいんです。何かご存じのことがあったら教えて下さい」
俺が必死で頼みこむと、升三は苦し気に唸った挙句「……ちょっと待っておれ」と言ってカウンターの奥にある扉の向こうへと姿を消した。しばらくして戻ってきた升三は何かの入った小さな袋を俺に渡すと「わしに提供できる情報はないが、こいつを預けておく。お前さんの場合、何かを言うよりこれを渡した方が手っ取り早い」と言った。
「……なんです、これ?」
袋の中味をあらためた俺は、思わず小首を傾げた。中に入っていたのはコルク玉だった。
「これが何かわからんのなら、深入りは止めることだ。行き過ぎた正義は身を亡ぼすこともある。何もわざわざ自分から身を危険にさらすことはない」
「何か知っているんですね?」
俺が問い質すと、升三は「正直、それが何かわからんことを祈っとるよ。……わしはお前さんに二度も挫折を味わってほしくない」とはぐらかすような言葉を返した。
「……親父さん、こいつは宿題にさせてもらっていいですか?わかったら必ずまた、ここへ来ます」
「構わんよ。好きにすればいい。……そうだ、ここまで足を運ばせたお詫びに一つ、捜査のヒントをやろう。スロープの手前にあるゴミ収集ステーションに行って『掃除当番』に話を聞いてみるといい。運が良ければ何か面白い話が聞けるかもしれない」
「……『掃除当番?』」
俺の脳裏に、汚れたマントを羽織ってキャッチャーマスクとガスマスクを合わせたような物で顔を隠した連中の姿が浮かんだ。『掃除当番』とは、学費を免除してもらう代わりに校内の廃棄物を回収して分別処理する学生のことだ。
「うむ。ただ連中の中にはお前さんたちとは異なる学内言語を使っている者がいるのと、彼らは見た目に反してプライドも高い。下手に刺激して連中の機嫌を損ねると、せっかくの情報も教えてもらえない可能性もあるから気をつけろ」
升三はそう言うと「わしの話はそれだけだ」といって再びガット張りの作業に戻った。
「色々、ありがとうございます。……では僕たちはこれで」
俺とリードは升三に礼を述べると、『丸塚スポーツ』を後にした。
――間違いなく親父さんは何かを知っている。……あの人がここまで慎重になる理由とは一体、なんだ?
俺は小さなため息を漏らすと、まとわりついていた懐かしい匂いを振り払うように教えられた収集ステーションへと向かった。
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