第3話 ファーストイニングに安打なし


 バリケードの向こう側でこちらを睨んでいる四人のうち、二人の顔には見覚えがあった。


 ボスらしき学生服の男の両脇で控えているごつい二人は南剛兄弟と言って中学時代、野球部で一学年上だった奴らだ。額の秀でた兄と顎のつき出た弟、どちらも素行が悪く短気で通称『金角・銀角』と呼ばれていた。


「あの両脇の二人、知ってますよ、俺」


 俺は先を行く二人に背後から囁いた。


「知り合いか?お前のような優男とつるむような面には見えないが」


 レッドが肩越しに振り返っていった。俺は「野球部の先輩ですよ」と苦笑した。


 ボスの背後に丈の長い変形学生服に身を包んだ能面のような顔の男が控えていた。

 どうやらあいつがボディガードだな、と俺はあたりをつけた。金角と銀角はそれぞれ、金属のバットと釘を打った木製のバットを携えていた。真面目に野球に打ち込んでいた俺からすれば、バットを凶器として使っている時点で許しがたかった。


「お前たち、どういうつもりだ」


 レッドがバリケードの手前で足を止め、言い放った。


「別に。ただここでくつろいでるだけだよ、捜査壱係の旦那」


「廊下は誰の物でもない。通行の邪魔をする気なら、捜査妨害とみなすぞ」


「ほう、そっちこそどういう権利で物を言ってるんだ」


「校刑則百十三条、校則執行妨害だ。俺たちには強行突破する権限がある」


「ごたくはいいから、やってみろよ。……ところでその、後ろの見慣れない兄さんは誰だ」


 目つきの鋭いボスは、レッドとヤサの間から敵意のこもった視線を投げかけてきた。


「うちの新人だよ。ドラフト一位のエース候補さ」


「ふむ、面白い……んっ、なんだ?」


 ボスが俺を値踏みするような目で見た直後、金角がボスに何かを囁いた。


「ふふん、どうやらこいつらとそこのニューフェイスとの間に、何か因縁があるらしいな」


 俺はちっと舌を鳴らした。練習試合で一緒になった時、兄弟のラフプレーに業を煮やした俺が変化球攻めにしたことがあったのだ。あわや乱闘直前というところでチームメイトに止められたものの、怒りの収まらない兄弟はグラウンドの外で俺を闇討ちにしようとした。


 ――あの時、もっと徹底的に叩きのめすべきだったかな。


 俺が舌なめずりしている兄弟を冷ややかな目で見ていると、ボスが「どうだ壱係、ひとつ取引と行こうじゃないか」と言った。


「取引だと?」


「そこの新人の身柄をこちに引き渡してくれれば、後の二人は無条件で通してやる。……どうだ、悪くない提案だろう?これでも限界まで譲歩してやってるんだぜ」


「冗談じゃない、身内を無法者に引き渡したとあっては後の捜査が立ち行かなくなる」


「ふん、結構じゃないか。あの糞みたいな女ボスに一泡吹かせてやる」


 敵のボスは憎悪に満ちた眼差しで言った。どうやらうちの係長と過去に何かあったらしい。大方口説こうとして振られたのに違いない。


「……レッドさん、ヤサさん、ここは俺に任せてもらえませんか」


「どうする気だ。何か勝算でもあるのか」


「――こいつを使います。まだ鈍っちゃいませんよ」


 俺は隠し持った『魔球』を軽く握ると「合図したら前を開けて下さい」と二人に言った。


 俺は身体の左側を正面に向けると、両足を軽く開いた。左腕に電流が走り、俺は『魔球』を握りしめた。


「……今です。開けて下さい」


 二人が左右に割れた瞬間、俺は腕をしならせてサイドスローの動きで『魔球』を放った。


「――ぐあっ」


 俺の初球は金角の右手のあたりで爆発し、金角は呻き声を上げながら金属バットを取り落とした。


「――そらっ、お次は変化球だ」


 俺は大きく振りかぶると思いきり腕を振って『魔球』を投げた。


「ぎゃあっ」


 俺の放った『魔球』は銀角のバットの手前で落ち、足の甲の上で炸裂した。


「……い、痛あっ!」


 銀角はバットを放りだして膝をつくと、そのまま廊下の床に崩れた。俺は手を帽子の鍔に当たる位置に持ってゆくと、軽く頭を下げた。手の指や足の甲というのは一見、何でもない部位のようだが死球を喰らうととてつもなく痛いのだ。


「――くそっ、なめやがって」


 ボスがいかにも不良の親玉らしくナイフを抜くと、背後に控えていた能面のような男が「私に任せて下さい」と言って俺たちの前に立ちはだかった。


「ふん、四番に回る前に三者凡退で終わらせてやるぜ」


 俺がそう言ってポケットから新たな『魔球』を取りだすと、レッドとヤサが俺を庇うように前を塞いだ。


「ここは俺たちがやる。お前はそこで見ていろ」


 俺は「わかりました」と頷くと、『魔球』をポケットに収めた。入りたての新人が先輩にたてつくのはご法度だ。ここはおとなしく守られよう。俺は五回を投げ終えた先発投手のように静かに後ずさった。


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