第3話 緊急事態とGMコール




 人間、予期せず危ない目に遭遇すると、どうも無意識に低い姿勢を取ってしまうらしい。央佳おうかも突然の騒音と暗闇の来襲に、思わずしゃがみ込んでしまっていた。

 いや、元から自分は座ってゲームしていた筈だと、違和感がシグナルをしきりに発する。それから暗闇の正体が、どうやら必死に目を閉じていた結果だと、少し後に気が付いて。

 恐る恐る目を開けて、周囲を確認してみれば。


 同じくしゃがみ込んだ姿の祥果しょうかさんが、自分の右前方に発見出来た。それから小さな人影が幾つか、まるで夢の中の風景だ。そう言えば、祥果さんの着ている服もさっきの部屋着と違う。

 それはファンスカのアバターが着る、初期装備そのもののような。


「祥ちゃん、大丈夫……? 何でそんな恰好してるの、何かのサプライズ?」

「………………えっ、えっと。……央ちゃん、ここどこ?」


 言われてみれば、見た事の無い景色な気もする。いや、自分は見た事はあると断言出来る。ただ、今までいた筈の安らぎに満ちた住居で無い事だけは、はっきりくっきり確かである。

 央佳が先ほどログインした筈の、ファンスカのゲーム世界だ。小さな人影は、NPCの娘達だった。こちらを不審そうに眺めていて、それ以上の反応はまだ見せていない。

 いや違った……たった今、央佳の左足に強烈な衝撃が。


 四女のネネだった。人見知りの真っ最中らしく、央佳を壁役にして完全初見の祥果さんを警戒している様子。この子は外見は4歳くらいなのに、恐ろしくパワーが強い。

 一歩間違えれば、HPにダメージが入りそうな抱き付き攻撃はともかくとして。続いて次女のメイが発した疑問文は、ある意味破壊的な衝撃をこの場にもたらした。

 その細い指先は、やや控えめに真っ直ぐ祥果さんを指していて。


「パパ、この女の人は誰?」

「……えっ? お、俺の嫁さんだけど……?」


 その瞬間の子供達の反応は、ある意味真っ当だった。央佳に対する信頼度が、一気にガクンと下がったのだ。それを偶然にも目撃した央佳は、自分の間違いと正当さに気付く。

 ここは間違いなく、ファンスカのゲームの中だ。娘達の各パラメーターが、何の問題も無く確認出来てしまえるのだから。そして今の一言は、確かに不用意だったかも知れない。

 何しろ祥果さんと娘達は、これが初対面なのだから。


 娘達にしてみれば、いきなり見知らぬ女性を『ほぉら、お母さんだよ?』と紹介されたに等しい行為だ。子供と言えど、女性の機敏さに気をつけねばならないのは重々承知している。

 ある意味♀と言う存在は、♂以上に格付けに厳しい生き物なのだ。自分の嫁とは言え、娘達にしてみれば単なる新入りに過ぎな……いやいや、自分は何を考えてるのだ? 

 今考えるのは、何故にこうなってしまったかの問題だ。


 バーチャ技術がゲーム業界に入り込んで、既に5年以上が経過している。だからと言って、急に不条理に技術が向上する訳では断じてない。つまりは今の技術では、触覚や味覚などの感覚は、どう頑張っても体現される訳が無いのだ。

 ところが、四女のネネが央佳にぶつかって来た時、彼は少なくない衝撃と子供の柔らかさを体感した。それどころか、吹いてくる風の心地良さ、それに混じる森の匂いまでリアルに感じる事が出来る。

 何より、以前は全く不可能だった、娘達との意思疎通さえ出来ていると言う。


 まさに青天の霹靂、ここがどこなのかと言う簡単な問いにさえ、央佳は即座に返答は出来なかった。どういう事かと問われれば、恐らくは理解不能な事象なのだろう。

 そう、例えばシステム的な不具合とか……? 彼の頭の中に真っ先に浮かんだのは、“異世界召喚”と言うテンプレだったけど。安直に、その解答を堂々と掲げるほど央佳はスレていなかった。

 とにかく不具合を思い至った途端、GMコールを思い付き。


「あの、どうなってるの央ちゃん……ここはどこ?」

「良く分からないけど、いつもプレイしてるゲームの世界には間違いない気がする。取り敢えず、ちょっとGMコールしてみ……あぁ、駄目だ繋がらない。

 えっと……ルカ、ここはどこだ?」

「ビレシャヴの森の南西、ルノーの街から丸一日入った所だよ、お父さん」


 直にお父さんと返されると、何だか感慨深いものが心中に湧いて来るけれど。ルカの容姿は12歳くらいなので、どう頑張っても自分の娘だとの認識には至らないのも事実。

 って言うか、返って来たのは央佳も認識している、純然たるゲーム内情報だった。つまりは、今夜彼がログインしている、キャンプ地の場所そのものだ。

 ちょっと目を向けると、央佳自身が張ったテントが近くに窺える。


 それにしても、つい先程までNPCだと思っていた子供と、会話のキャッチボールが出来るとは。新鮮な驚きに、央佳は自分の置かれた立場を忘れそうになる。

 祥果さんもパニくっているのは確かなのだろうが、央佳も一緒だと言う事実が精神の崩壊を食い止めている様子。今も央佳に歩み寄ろうとして、それを三女に阻止されて。

 ところが、そんな意地悪をされた祥果さん、感極まったような口調で三女に詰め寄る。


「ああっ、アンリちゃんだよねっ! それから……長女のルカちゃんに、次女のメイちゃん。それから一番ちっちゃい、末っ子のネネちゃんっ。

 全員、名前覚えてるからねっ!」

「祥ちゃん、子供達が引いてるぞ……それとも現実逃避か? どうやら俺達は、ゲーム世界に閉じ込められてしまったらしい。

 今の所、どうやって抜け出せるのか、皆目見当もつかない」

「そんな、漫画やアニメじゃないんだから……何か別の理由じゃないのかな、何か接続の不具合とか……夢オチとか?」


 女は現実的とよく言うが、どうやら祥果さんは現実を受け入れたくない様子。仕方なく央佳は、彼女のほっぺたを軽く抓ってリアルの信号を脳内に送ってあげる。

 それと同時に、ログアウト操作を試してみるのを思い付くけど。自分だけログアウトする訳にも行かず、祥果さんに説明しながら作業を進めて行くけれど。

 結局これも上手く行かず、央佳のストレスは溜まって行くばかり。


 反対に、祥果さんはリラックス状態。三女のアンリを懐にキャッチして、和んだ表情を見せている。アンリは無反応、今の状況に流されるまま無表情を保っている。

 苦い表情で次の手を考える央佳だが、足にしがみついていた四女が抱っこをせがんで来た。何となく流れで抱きかかえながら、そう言えば自分以外のキャラってどんな設定なんだと疑問が湧き出て来て。

 試しに自分の胸元で大人しくなった、四女のネネをチェックしてみる。


 驚いた、今まで見れなかった他のステータスも、いつの間にか見れるようになっていた。それで何より驚いたのは、暴れて街を破壊する程凶悪な子供が、レベル1だと言う事実。

 てっきり、生まれた時から高レベルなのだとばかり思っていたけど。その代わり、各ステータスは引く程高い設定だった。そして、持っているスキルはたった一つ。

 『竜』スキルの《限定龍化》のみ、どれだけピーキーな設定なんだか。


 信頼度に関しては、85とそんなに高くは無い。例の置き去り事件でかなり落ちてしまったが、幸いさっきの嫁さん発言ではそんなに数値は下がっていない様子。

 恐らく、まだよく分かっていないのだろう。今も三女のアンリに抱き付いている祥果さんを、恐る恐る眺めている。さて、その祥果さんだが……どう言う事だろう?

 スタート種族が『幻』になっていて、これは有り得ない現象である。


 ファンスカを始めるにあたって、当然ながら自分の種族とか性別を決める必要があるのだけれど。それは『光』『闇』『風』『雷』『水』『氷』『炎』『土』の8つの属性と♂、♀の中の組み合わせ以外はありえない仕様なのだ。

 ファンスカはアバターの成長にポイント振り込み制を取っていて、自分が伸ばしたい武器や魔法スキルに、ポイントを注ぎ込んで強化するのだ。

 だからジョブと言う概念が存在せず、前衛をやりたい人は武器スキルを、盾役を目指すには盾スキルを、魔法職をしたいなら魔法スキルを伸ばせば良い。

 自由度が高過ぎるがゆえに、指針が少ないとの批評も良く受ける。


 とにかくこのゲーム、だから魔法剣士なんてのも簡単に作れたりする。桜花もそれに該当しており、武器は片手剣で魔法は風と土系をメインに伸ばしている。

 属性種族は『風』で、最初は二刀流の削り職を目指していたのだが。子供達があまりにやんちゃなので、最近は仕方なしに盾スキルも伸ばし始めている。

 とにかくタゲだけは、自分がキープしたいなぁと願いつつ。


 話がそれたが、とにかく『幻』種族と言うのは、現状それこそ幻である。最近のバージョンアップで、新種族なるものが噂に上がり始めたのは、冒険者なら皆が周知の事実だが。

 それまでも『聖』『魔』『竜』『獣』『幻』の5種の新スキルは、運が良ければ冒険で入手が可能だった。新属性だけにどれも強力で、使い勝手も極上なスキルらしいのだが。

 入手も超困難で、央佳のギルドでもたった1人しか所有者はいない有り様だ。


 央佳自身は、物凄く欲しいけどまだ巡り合えていない。ただし4人の娘達は、全員がその噂の新種族の出身だったりする。つまり長女と四女は『竜』、次女は『聖』で三女は『魔』の種族なのだ。

 そんな新種族だが、さっき言ったバージョンアップで、ついに念願の解禁に至った訳だ。当時のVer.up情報を噛み砕いて説明すると、要するに頑張って新種族と渡りをつけて下さいとの事で。

 それに成功すれば、どうやら新属性のスキルが以降習得可能になるらしい!


 これは凄い事で、つまり今後はレベル上げや修行の塔で得たスキルPで、思う存分その新属性スキルを伸ばせる事を意味する。今までは、冒険の報酬やミッションクリア等で、低確率で出現する宝珠でしか得られなかったものが。

 冒険者たちの興奮度は、言うに及ばずなレベルにまで沸騰して。ところがさすがの激ムズ指定ミッション、未だに新種族との接触に成功したプレーヤー及びギルドが存在するとは聞こえて来ない。

 つまりはそんな、雲の上指定な種族なのだ。



 ……なのだけれど、何故か祥果さんはその噂の幻種族だった。初期設定完全無視、本来ならば存在し得ないキャラ。そう考えると、央佳はようやく恐ろしくなって来た。

 気を取り直して他のステータスを見るが、レベルはやっぱり1である。HPや筋力、体力の類いは著しく低い……てっきりルカやネネみたいな、化け物設定かと思っていたけど。

 どうやら、ベースは祥果さんの生身設定なのかも知れない。祥果さんの運動音痴振りは、ちょっと笑えるレベルだし。その代わり、縫い物編み物は神レベル、案の定器用度は高い。

 精神力や知力も、レベル1にしてはまぁ高い方だろうか。


 笑えることに、自分との信頼度はたった2しかなかった。そこだけは、ゲーム世界のルールに忠実らしい。大抵の初対面のキャラ同士は、その位の低い設定となっている。

 ただそれは、今に限って言えば困った事である。この微妙に勝手の分からぬ異世界で、祥果さんの頼れる人物は央佳ただ一人なのだから。この困った状況を、早急に何とかしないと……そうだ、GMが駄目でも、ギルマスになら連絡が繋がるかも知れない。

 そう思い至った途端、三女のアンリが口を開いた。


「……あっちの方向に生体反応を2つ確認、目的の蛮族ではないみたい、お父様」

「そっか……お父さん、私がやっつけて来ていい?」


 長女のルカが、真っ先に敵の排除に名乗り出た。元々アクティブな敵には、真っ先に突っ込むタイプのNPCなのだけれど。尋ねてくれるのが素直に嬉しく、央佳は鷹揚に頷きを返す。

 三女のアンリの察知能力は、相変わらずズバ抜けていて役に立ってくれる。昔はNPC仕様の定番の、吹き出しで知らせてくれていたのだが、それ以外は実に素っ気ない性格の娘との印象がある。

 今も、祥果さんの抱き付き攻撃にノーリアクション。


 とにかくここは危ない……カンスト済みの自分はともかく、レベル1の新米冒険者なんかがとても歩き回れる場所では無いのだ。キャンプ地に祥果さんを案内しながら、央佳はギルマスへのコールを試してみる。

 長女と、それにくっ付いて行ってしまった次女のメイを心配しつつ、祥果さんは大人しく旦那の後に続く。キャンプ地に入れば、例えアクティブな敵であろうと侵入は不可能である。

 何しろ高価なアイテムの恩恵が、バリバリに威力を発揮してくれている地帯なのだ。


『おーい、マオたん! 非常事態発生、今時間取れる!?』

『ど~した、桜花? また娘が暴れたんか?w』

『ギルマスの阿呆、今の時期に非常事態っていったら、アレしかないじゃろって! 桜花、とうとう新種族の尻尾を掴んだかやっ!?』


 ギルドチャットに切り替えた途端、やたらと騒がしい喧噪が飛び込んで来た。いつもは狩りに集中するために切ってるが、彼の所属するギルドは常時10人程度がインしている老舗で有名どころなのだ。

 つまりは大抵は暇な人同士が、チャットで莫迦な話で盛り上がっていたりして。央佳も時間があればそれに参加するのだが、大抵は真面目にクエストや狩りに時間を当てている。

 何しろイン時間は有限なのだ、有効に使わなければ。


『いや、そっちは相変わらず不発だよ、朱連しゅれん。えっと……接続の不具合と言うかバグ?? とにかくGMも呼べない状況、何とかしてマオたん!』

『ん~、どんな状況? こっちからGMにコールしたげるから、もう少し詳しく。そこの場所は、ビレシャヴの森で合ってるよね?』

『そう、場所はそこで間違いない……何と言っていいか、突然嫁さんと一緒にゲーム世界に召喚されて、戻り方が分からないみたいな???』

『あははははっっwww そんな、漫画やアニメじゃないんだから、そんなの実際にある訳無いじゃんっ!ww 桜花、お前さんゲームのし過ぎじゃね?

 それとも、寝不足なんじゃねぇのっ?ww』





 ――そんなオチならどんなに良いか、央佳は心の底からそう思うのだった。







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