第2話 夫婦の日常と突然の異変




「ただいまぁ……祥ちゃん、アイス買って来たよ~?」

「お帰り央ちゃん、夕ご飯出来てるよ~」


 愛しの我が家と良く言うが、央佳にとってまさにそこは楽園そのものだった。可愛い嫁さんとネトゲに接続出来る環境、現実と空想世界がバランス良く混ざった空間。

 よくある造りの安コーポ、古い上に部屋数も多くない。その分家賃が安い訳だが、駅からも程々に近いし文句を言うほどボロくもない。ご近所さんも既婚者ばかりだし、治安も悪くない。

 理想を高く設定し過ぎない限りは、良い環境だと央佳は思う。


 その上、家事のほぼ全般を奥さんの祥果しょうかさんがやってくれるし。彼女も仕事を持っているので、実はこれは不公平なのだけど。ただこの取り決めは祥果さんから言い出したモノで、央佳も多少申し訳なく思っている次第である。

 その代わりと言っては何だが、未来設計図は大幅に祥果さんの意向に沿う事が決まっている。つまりは家計遣り繰りのアレコレとか、将来のマイホームや家族計画とか色々。

 どうやら祥果さん、郊外で慎ましくも子沢山な家庭を夢見ているらしく。


 その為の預金に余念がなく、このカップルは結婚式も新婚旅行も行っていない始末である。お互いに仕事を持ったまま同棲⇒籍だけ入れるパターンとでも言おうか。

 両方の親から散々小言は貰ったものの、デキ婚と言う訳でも無く報告もきちんとしての入籍だった為。そんなに波風も立たずに、現在の幸福な家庭を手に入れる事が出来たのだった。

 夫婦ともに満足の行く、この安コーポの一室と言う居城を。


 祥果さんにしても、旦那のネトゲ趣味はとやかく言う程の悪癖でも無かったりする。月額契約制なので、お金が物凄く掛かる訳でも無いし。

むしろ月にたった2千円程度、何をとやかく言おうかだ。


 その代わり、時間は結構取られるけれど。それでも外に遊びに出られたり、毎晩帰りが遅くなられるよりマシ、祥果さんは結構寂しがり屋な性格だったりするので。

 画面に映る異世界も、彼女は割と楽しくて好きである。


 戦闘シーンは、ちょっと派手で眉を顰めるけれども。一緒にしようと誘われても、今一つ乗り気にならない理由もその辺にある。全般的に争い事が嫌いな性分なので、まぁ仕方が無い。

 央佳もその辺は心得ていて、だから嫁さんには競売のチェック程度しか頼んだ事は無い。このゲームの筐体のバーチャシステムも、そもそも2人用には作られていないし。

 一応モニターにもゲーム画面は表示されるので、祥果さんも視認には困らない。


 本格的に一緒にゲームをプレイしようと思ったら、予備のヘルメット型の操作コントローラーを被らないといけないけれど。それが無くとも付属ハンディコントローラーで、バーチャ世界である程度は動ける仕様だ。

 何とも凄い進歩だと、切り替え時の騒動を知る央佳などは思うのだが。それに合わせて幾多のゲームタイトルがサービスを開始して、淘汰の波に晒された事か。

 それを生き延びたファンスカを誇らしく思いつつ、用意された食事を口にする央佳。


「央ちゃん、最近また帰りがちょっと遅いねぇ……残業あるほど忙しいの? ……あっ、煮っ転がし上手く味付け出来た♪」

「ん~、大きい仕事と小さい仕事の納期が、悪い事に今重なっちゃってるからなぁ……煮っ転がしって、スキル技の名前みたいだな」


 間の抜けた返しを聞き流し、祥果さんはじゃが芋の煮っ転がしを続けて頬張る。旦那の央佳は残業が好きではないので、帰りが遅いのはほぼ仕事が忙しいと言う理由な筈。

 まぁ、真っ直ぐ帰って来る理由付けの大半は、ゲームにログインする時間の捻出なのは情けないが。それでも孤独な室内が嫌いな祥果さんには有り難い話、考えてみたら良い夫婦かも?

 少なくともお互い若い内の結婚は、失敗では無かった模様。


 旦那がネットにログインしている間、祥果さんは隣に座って色々と趣味に興じる。これはまぁ、恋人時代から変わらないスタイルで、他の友人達に言わせると「なんだかなぁ?」的な付き合い方なのだそうだけど。

 そもそもこのカップルの馴れ初めは、2人の小学校時代にまで遡る。教室の仲の良い6人くらいのグループの中の2人で、つまりは最初から波長は合っていた訳だ。

 中学も高校も同じ所に通っている内に、いつの間にかくっ付いていたパターンで。


 そんな感じに、一緒に過ごした期間の長いカップル。室内に漂う、リラックス的な雰囲気は半端では無い。そんな中で祥果さんは読書をしたり編み物をしたり、イラストを描いたり音楽を聴いたりする。

 一人っ子だったので、独りでの時間の潰し方は抜群に上手ではあるのだけれど。それに加えて最近は、ネット内の桜花の子供達の動向も気に掛かってしまう。

 保護者魂とでも言おうか、最初は浮気だ何だと騒いでいた癖に。


 その事に関しては申し訳ないと思う祥果さんだったが、同僚から刷り込まれた先入観も手伝っていたので、少々仕方が無い面もあったりして。

 彼女の職場の同僚は、そんな世話焼きさんが多いのだ。


例えば「共にログインして冒険してる他♀キャラとか、いつの間にか仲良くなって直接手段で連絡取り合うパターンって多いらしいよ」みたいな忠告とか。

 情緒不安定だった時期に吹き込まれてしまったので、多少大袈裟に反応してしまったかも知れないが。って言うか、ネット世界だからと言って、恋愛関係まで好きにして良い理屈は微塵も無い理屈は当然だ。

 まぁ、その騒いだ埋め合わせ的に、子供達を気に掛けてしまうのかも。


「……そう言えば、子供達は言う事を聞くようになったの、央ちゃん?」

「全然、全く駄目なままだなぁ……ゲーム的には、意思疎通出来そうなモノなのに。ペットジョブみたいに、指令スキルが必要なのかなぁ?」


 子供とペットは違うでショと、一応突っ込んでみた祥果さんだったけど。親子でコミュニケーションが取れない今の現状は、察するに想像以上に大変らしい。

 ゲーム内の話なのに、何だか身につまされる会話の内容だったりするけれども。システムの不便さを熱心に語られても、いまいち分からないのが少々辛い。

 分からないなりにも、ネット世界に興味が湧き始めている今日この頃の祥果さん。


「んっと、冒険? にお出掛けすると、いっつも一緒に付いて来るんだっけ?」

「うん……この前、ようやく長女だけ連れ出す事に成功したんだけどね。何故か残された四女が暴走して、街の一角を半壊させちゃって。

幸い死傷者は出なかったみたいだけど、その街は完全に出入り禁止になっちゃった」

「子供が暴れただけで、街が半壊する理屈が良く分からないんだけど……。真ん中の子供達は、その時どうしてたの?」

「良く分からんが、俺に置いて行かれたのに拗ねて、勝手に出歩いていたらしいな。それで寂しくなった四女が、半泣きで暴れちゃったみたいだ」


 それは央ちゃんが悪いねーと、適当に相槌は打ってみたものの。相変わらず子供が暴れた程度で、街が半壊する理由は皆目見当もつかない祥果さん。

 その件で、子供達の信頼度はがた落ちだったらしい。長女は逆に上がったみたいだけれど。ひょっとしたら、子供達への指示出しは信頼度の上昇が必要なのかも。

 何か救済措置が無いと、全く動き難くて仕方が無いとは央佳の心情。




 さて、もう少しだけファンスカの“カルマシステム”の話をしよう。いや、くどいとは思うけどもう少しだけさせて頂きたい。何しろこれは、この物語の核でもあるのだ。

 袖刷り合うも他生の縁と言うけれど、人と人、アバターとアバター同士の繋がりは強くも弱くも存在する。それこそ人の数だけ、アバターの数だけ、出会いの数だけ。

 それを数値化して確認出来るのが、ゲームならではの世界観とでも言おうか。


 つまりはゲーム内で仲間やNPCと親しくなるにつれ、信頼度はどんどんと高く加算されるよう設定されている。数値が高くなると、行動を長く共に出来るようになったり、お金や物品を貸し借り出来るようになったりと恩恵も多々ある。

 この辺は、社会の縮図とでも言えばそうなのだが。誰だって信用していない人間に、お金や借りを貸しはしない。この数値が名声などに直結していて、果てはドロップ率にまで効果を及ぼすらしいとの噂だ。

 要するに、たくさん縁を築いて信頼度を上げて行くのが、良いサイクルを生む秘訣なのだ。


 そしてそれは、逆もまた意味する。PK(プレーヤーキル)を含めたキャラ同士の抗争や軋轢、嫌がらせの類いまで全てが数値化されるのだ。

信頼度とは逆の、敵対度と言う数値で。


 この数値は、もちろん低い方が良い。敵対度が高いと、街での買い物や活動にまで支障が出て来るらしい。狩りをしてもドロップ率は悪くなるし、冒険者としてパーティも組みにくいし。

 だがしかし、そちらの世界にも救済措置は存在しているらしく。


 裏側の住人のみが受けれるクエが存在したり、犯罪系のギルドからスカウトされたり。普通に生活するには不都合が多いけれど、決して世界には見放されないと言う。

 選ぶのはプレーヤー次第、自由度の高さは伊達では無いのだ。


 そんなファンスカの世界で、央佳は冒険家業を始めて既に4年近くが過ぎている。ギルドにも所属しているし、ゲーム内にそれなりの縁は築いている。

 限定イベントでの優勝に端を発し、新たに結ばれた扶養義務とでも言おうか。4人の娘たちは、それぞれが個性豊かで戦闘力は桁外れている点では類似している。

 その縁にどう立ち向かうかが、今後の桜花の課題っぽい。


 ぼんやりとそんな事を考えながら、央佳は夕食を食べ終える。食後のデザートにと、お土産に買ったアイスを奥さんと一緒に食べながら、脳内で今夜のイン活動をしっかりと整理。

 遊ぶ時間は限られているので、インしてからもたもたしたくないのだ。祥果さんが食器を片付けているのを視界の端に収めながら、心の中で申し訳なく思いつつネット接続の準備など。

 本当に、働き者の嫁さんを貰った自分は果報者だ。


「それじゃあ、俺は今からインするけど……祥ちゃんは、今から何する予定?」

「んっと、央ちゃんの作ってくれたホームページをチェックして、出来たら更新しようかな? 載っけてる商品に注文が来てたら、発送の準備もしないとだし」

「了解、操作で分からない所があったら、遠慮しないで呼び戻していいから」


 分かったと返事をしつつ、別世界へ旅立つ旦那を見送る祥果さん。央佳の仕事はWebデザイナーと言う奴で、とにかくそっち系の扱いにはとても強かったりする。

 祥果さんの仕事は、子供服や雑貨の専門店の店員である。ほとんど趣味と実益を兼ねた就職先であるが、お給金はそんなによろしくない。そこで服飾の専門学校を卒業した実績を生かすために、自分で作った子供服や雑貨をネット販売してるのである。

 これが意外と好評で、良い副業になっていたりして。


 ちなみに央佳はそのまんま、パソコンの専門学校の卒業生である。2人の専門学校は立地的に近かったので、専門学校時代も行き来は変わらず頻繁だった。

 学生時代からのお付き合いが、専門学校時代もそのまま続く格好で。央佳が就職を機会に独り暮らしを始めると、祥果さんも自然と通い妻状態に突入して。

 同居⇒籍入れと、流れでここまで来た感じ。


 特に波乱の無い人生だが、そもそも臆病な性格の祥果さんは、人生に“特別”など望んでいない。普通で良いとの心情は、子供時代から崩れる事の無い信念だったりする。

 ところが、いざホームページのチェックを始めて数秒後。予期せぬ事態に、思わず悲鳴を上げてしまった。数量限定でページに載せた幼児服に、予約が殺到していたのである。

 これにはびっくり、何でこんな事態に?


 そう言えば、央ちゃんがどこかとリンクを張ったとか何とか言っていたような? それが現状の結果を招いたのかも、カウンターの閲覧数も結構な数が急増している。

 この限定品の販売には、載せる前にひと悶着あったのも事実。つまりは限定品なのだから、お値段は高めにしなさいよと央佳のアドバイスがあったのだけど。

 元の布代はそんなに掛かってないので、そんなに高く出来ないよと突っぱねたのだ。


 今になって後悔しても遅い、とにかく完売の札に張り替えないと。確か何度も、央ちゃんがそんな操作をやっていたっけ。それを隣で見てたのだが、一向にその方法が思い出せない。

 元々、パソコン関係は全くの苦手分野な祥果さん。記憶の底を攫うのを早々に諦めて、申し訳ない思いを感じつつ旦那の央佳にそっと声を掛ける事に。

 隣にぴたっと寄り添って、小声で名前を呼んでみる。


「央ちゃん、あのぅ……用事を頼みたいから、ちょっとだけこっちに戻ってくれない?」

「……………………」


 小声過ぎたようだ、バーチャゲームは潜り過ぎるとリアルの音や事象に気付かない事がある。それが問題として、ニュースに取り上げられた事も何度かあったらしいけれど。

 要するに、予期せぬ災害や犯罪が起こった時に、危ないと言う防災目線からの批難なのだが。ただそれは、普通に人が寝ている時も同じ事だとは央佳の弁。

 確かにそうだ、祥果さんも一度寝入るとなかなか起きないタイプ。


 それを念頭に、今度は祥果さんは突っつき攻撃に転じる。腕や胸元を指先で突きながら、何度か旦那の名前を呼び掛けて。ついつい好奇心から、ヘルメット型の筐体をノックしてみる。

 入ってますか~、みたいな軽いセリフと共に。もちろん冗談だが、精神は遥か彼方に飛んで行っていると言う認識の元に。それでもなかなか返答の来ない状態に、いよいよ祥果さんも焦れて来て。

 もう少しだけ力を入れて、筐体をノックする。


 不意にバチンと言うモノ凄い音と共に、完全な暗闇が訪れた。圧倒的な質量を備えたそれは、一時的に祥果さんの方向感覚さえ奪ってしまう。

小さく悲鳴を上げて、彼女は近くの旦那にしがみ付こうとした。


 それが空振りに終わったのを認識した途端、祥果さんは物凄い恐怖に襲われた。頼りになる夫の央佳がいない、少なくとも近くに存在していない。

そんなパニックと共に、奇妙な感覚が彼女を襲った。


まず訪れたのは、複数の誰かの騒がしく話す声だった。どこからともなく聞こえ始めたそれは、一瞬激しい喧噪となったと思ったら、次第に周囲に拡散して行った。

 次にやって来たのは、全身に変な電気が走っているような感覚だった。まるで冬場に熱い風呂から上がった後のような、ジンジンとした身を覆う妙なシグナル。

 痛くも痒くも無いが、一瞬身体と外気の境界を失うような感覚。


 そんな全ての異変を無視して、祥果さんは旦那の名を呼び続けた。央佳さえいてくれれば、停電なんてへっちゃらだ。心の中では、恐らくこれはただの停電では無いと、冷静な自分が結論付けていたけれど。

 不意に、引っ張られる感覚が全身を襲った。どちらにとも分からない、強引にエスカレーターに放り込まれた様な、こちらの意思を無視する移動だ。

 拒む事など出来ない、それは天災の到来に等しい所業に他ならなかった。





 ――祥果さんは為す術もなく、どちらへとも分からない落下に身を任せていた。






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