第36話 牡牛座のタウロス
キャンサーに背中を斬られ、朦朧とする意識。
血と共に力が抜け、リンの身体に激痛が走った。
「おいしっかりしろ! 死ぬんじゃねえぞ!?」
「バト……ラー」
自分を庇ったせいで血を流すリンを見て、バトラーは必死に声をかける。
「くそ! 治癒魔法は専門外だってのに!」
今この時程バトラーは、強化系の魔法しか使えない事に、腹を立てた事はなかった。
「最期の……台詞なんだけど……」
「──縁起でも無い事言ってんじゃねえよ」
虚な瞳でそんな事を言う姿を見てしまえば、最早これまでなのかと、バトラーの頭に諦めの文字が浮かんでしまう。
こんな覚悟は出来ていない。相棒を看取る事など、望んでなどいない。
「姫様ともっと……デートしたかったなぁ」
「そうか……」
遺言にも出てくる姫スピカに呆れつつも、今この時ぐらいは言わせてやろうと、バトラーも頷く。
「姫様ともっとお話ししたいし……美味しいもの食べ歩きとか良いよねって」
「……そうだな」
「あとそれから──」
「お前元気じゃねえか」
次から次へとやりたい事が思い浮かんできたのか、とにかく欲望を口にし始めたリンに、バトラーは待ったをかける。
よくよく考えてもみれば、幾らキャンサーの一撃を受けたとはいえ、今のリンはスピカの加護とバトラーの強化を受けた身である。
背中を斬られはしたものの、致命傷にはならなかったのだ。
(朦朧としてんのは強化の反動と疲れか……ややこしい野郎だな)
ここまでの連戦で、リンの体力はかなり消耗していた。今まで戦えていたのも、かなり無理をしながら押し倒していた。
我儘な性格の癖に、自分の身を顧みずに我慢してしまう癖がある。そういえばそうだったと、バトラーは呆れたため息をつく。
「よし寝てろ 思う存分にな」
「そうするよ……ちゃんと起こしてよ?」
「生きてたらな」
リンは安堵の表情を浮かべ、漸く眠りについた。
先程までは絶対絶命だと思っていた。どう足掻いても勝てる見込みの無いキャンサーを相手に、一体どうやって自分一人で勝てるのかと、バトラーは絶望する
「『牡牛座のタウロス』──か」
二人の窮地に天井を突き破り現れ、黄金の鎧に身を包んだ存在。今まで二人が出会えていなかった、最後の九賢者である。
雷を司る"戦場の雷雲"。遊撃兵士団の団長を務め、比類なき強さを誇る九賢者の中でも"最強"と謳われる存在。
それが、『タウロス・アルバ・ユーピテル』である。
「噂は本当だったってことかよ」
目の前の戦う光景を眺めながら、バトラーは自身の知っているタウロスの強さを目の当たりにする。
(コイツ……ッ!?)
余りにも圧倒的な強さの前に、キャンサーですら歯が立たない光景を。
「ハハッ! これがタウロス様の実力ってか!? 噂通りの強さって事かよう!?」
キャンサーの言葉に応じず、タウロスはただ無言で巨大な"戦斧"を振り下ろす。
キャンサーは自身の剣では防げないと察し、回避に専念した。
「顔も見せなきゃ声も聴かせてくれねえってかぁ? 悲しいねぇ?」
「……」
何を言われようと動きは鈍る事なく、的確に狙いを定めて雷撃を放つ。
動きを見切りキャンサーも躱しはするが、攻撃をする隙は与えられず、ただ力の前に叩きつけ捩じ伏せられる。
「ご尊顔拝見ってな!」
指先から水の弾丸を放ち、黄金の兜を狙い撃つ。振り払われるかと思われた一撃だったが、防がれる事なく命中した。
(……この野郎!)
タウロスに隙など有りはしない。黄金の鎧には、傷一つ付いていない。
キャンサーは思い知らされたのだ。
六尺はあるであろう身長に加え、重装備にもかかわらず洗礼された動き。
雷の魔法を駆使して戦い、他を寄せ付けない破壊力の前に、誰もが敵わ無いのだと口にする意味を。
それが噂の正体。正真正銘の真実であったのだと。
「ナメんなぁ!」
猛る気持ちを抑える事なく、タウロスの首を目掛けて剣で突く。
鋒が二又に裂けた剣に捕らえられてしまえば、首は捩じ切られ、命が絶たれる。
「……なっ」
が、あろう事かタウロスは、裂け目に合わせるように斧を押し込み、攻撃を防ぐだけでなく逆に捻り返す事で、剣をへし折ったのだ。
「ナッ!?」
信じられない出来事に動揺した隙を突き、タウロスの拳はキャンサーの腹部へと叩き込まれ、そのまま壁へ大きく吹き飛ばされた。
「ガハッ……ウッグッ!」
殴りつけられた痛みに悶え、立ち上がろうとするもタウロスの追撃を受けて阻まれる。
何が起きているの理解出来ない。何故自分が膝をついているいるのかが分からない。
ここまで力の差を見せつけてられるなど、キャンサーは想像もしていなかった。
「──ふざけんなぁ!」
認められる筈が無かった。同じ星の力を持つ者だというのに、ここまで桁違いだと認められない。認めたくない。
「この牛野郎……ぶち殺してやる……っ!」
確かに剣は折られた。だが、まだキャンサーには水の魔法が残っている。
このまま黙ってやられる程、キャンサーの闘志は尽きていない。
押さえつけているタウロスの足を退かし、接近戦を避けて距離を確保する。左手で水の弾丸で牽制しつつ、右手に魔力を溜めた。
(今のままだと勝てないか……だったら!)
臆せず攻め込むタウロスに対し、カウンターを決めるべく、極限まで魔力を研ぎ澄ます。
タウロスが間合いに入りこむ。今、この瞬間を狙っていた。
「"クラブ・ブレイカー"ッ!」
首を刎ねようとしたタウロスの戦斧を、水を纏わせ強化した手刀で振り払い、"刎ね返す"。
初めて感じた手応えを忘れず、そのまま振り払った手を引き戻し、次の手を下した。
「死に晒せぇ!」
タウロスは壊れた戦斧を盾とし、辛うじて防ぎはしたものの、これで斧は完全に使い物にならなくなる。
「コイツでお相子だぜ……!」
互いの武器は破壊され、残すのは魔法と己が肉体のみ。
勢いの乗ったキャンサーは、魔力を纏わせたまま追撃を加えるのだが、動揺する様子を見せないタウロスの方がまだ上手だった。
一撃は腕を掴まれ防がれ、そのまま壁へと叩き込まれたのだ。
「この……怪力が!」
手を解こうにも、掴まれている力は尋常では無く、魔法を纏っていなければ、このまま握り潰されているだろう。
(──使うしかないか)
隻眼のキャンサー。その右眼を包む、
使う筈の無い切り札だったのだが、今のこの状況を覆すには、それしか無いとキャンサーは諦めた。
「覚悟しやがれ……コイツで形勢逆転だ──!?」
突如、キャンサーを『影』が包み込む。
タウロスは掴んでいた腕を離し距離を取る。この現象がなんなのか分からない以上、迂闊に手を出さないからだ。
「おい!
キャンサーも驚いてはいるが、この影の正体を知っていた。
「ふざけんなコラァ! オレはまだ……っ!」
虚空に向かって声を荒げ、キャンサーは抗議する。まだ戦えるのだと不満の声を上げるが、最終的には諦めて、引き上げる事を選んだ。
「チッ……分かった分かった 言う通りにしてやる」
その言葉を口にすると、キャンサーを包み込むようにして、影はキャンサーの全身を飲み込んでいく。
逃すまいとタウロスは雷撃を放つが、影には一切通用していない。当然、キャンサーにもである。
飲まれいく中、キャンサーは告げた。
「テメェは殺す 絶対に……オレを傷つけた野郎共も必ず殺してやる──覚えておくんだな」
キャンサーが完全に飲まれると、跡形も無く姿を消した。
「──任務完了」
タウロスは初めて声を発する。兜を脱ぎ、固まってしまった髪を振り、雑に髪型を整える。
橙の瞳に銀色の髪。透き通る白い肌は、見る者に神聖さすら感じさせた。
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