第34話 鬼人
「オレのこと知ってんの? 前に会ったかなぁ……」
以前エリアスとピヴワと共に会っている事を忘れた様子で、出入り口を塞ぐ隻眼の男。九賢者と同じ力を持つ『蟹座のキャンサー』は、憎たらしい笑みを浮かべながら、二人の顔を覗き見る。
誰もいないかと思われたこの場所に、まさか敵の幹部と遭遇するなど、二人は思ってもみなかった。
「……ああそうだ 確か倉庫街にいたヤツらか エリアスの腰巾着の?」
「思い出していただき光栄だね」
「悪い悪い 雑魚の顔なんて一々覚えてられねえからな」
「記憶力には自信無いってこと?」
(バカ! 何煽ってんだリン!?)
リンはキャンサーの強さは知っている。そして勝ち目がない事も、この状況は深刻である事も。
だというのに、何故キャンサーを逆撫でするような行為をするのかと、バトラーは心の中で文句を言う。
「泥棒鼠だけにビックマウスってか? 口だけは達者な奴だ」
「世間話なら後で付き合うよ だから今は見逃して?」
「まさか素直に『喜んで』って……言うと思うか?」
その言葉を最後に長い沈黙が続く。互いに目線を逸らす事無く睨みつけ、出方を伺っていた。
隙を見せたら最後、この場は一気に戦いの舞台に変わるだろう。だが、最初に沈黙を破ったキャンサーは、呆れた様子で話し出す。
「やめたやめた ただの一般兵相手に戦う必要なんざねえよ」
比べるまでも無い力量差から、キャンサーは戦意を失う。
「じゃあやっぱり見逃してくれたり……?」
「いやいやそれは流石になぁ? だから……"コレ"が相手だ」
淡い期待を問いかけるバトラーに、キャンサーはハッキリとノーと答える。
そして、キャンサーはこの部屋にあるカプセルに触れる。中にはここで研究している『人工魔獣』が眠っていた。
「
手際良くカプセルに繋がる機械を操作し、最後の決定のスイッチを押す。
「"実戦投入"だ データも取れて一石二鳥だろ」
カプセル内を満たす培養液が抜けていく。残ったのは眠っていた魔獣が一匹だけである。
魔獣は目覚めた。瞼を開き眼だけで部屋を見渡し、リン達を見つけると、全身の毛を逆立てた。
「お前らはコイツで充分だ──殺せ」
犬の魔物と思われる獣が、二人を殺す為に放たれる。俊敏な動きで喉元に狙いを定め、牙を剥いた。
「ひゃっ!?」
思わずバトラーは腕を前にして防ごうとした。これなら喰い殺される心配は無い。
もっとも、強靭な顎を持つ魔獣である。骨ごと噛み砕いたかれ、間違いなく腕を持っていかれるだろう。その事を考慮する暇も無く、咄嗟に腕が出てしまっていた。
「……あれ?」
しかし痛みが無かった。何故なら、魔獣は
「リン……?」
リンは魔獣の喉元を掴み取り、バトラーが喰われる事を防いだのだ。
「怪我は無い? バトラー」
「お……おう」
「それは良かった」
掴んだ魔獣を地面へ叩きつけ、そのまま首の骨を折り息の根を止める。
あまりの出来事に、バトラーの理解は追いつかないでいた。普段の飄々とした態度は息を潜め、声からは今まで聞いた事の無い冷たさを感じさせた。
「何だ……お前強いのかぁ?」
「試せばわかるよ」
力の差があるというのに、強気な態度を崩さず、キャンサーに対して確かな敵意を向ける。今まで見た事の無いリンの態度に、バトラーは驚く。明らかに何かが違った。
キャンサーは、まるで鋏のような二又に裂けた剣を握る。これは、リンの挑発に乗ると決めたと言う事を表していた。
「なんだよ! 強いなら強いって……早く言えや!」
自らの獲物と認識したキャンサーは、リンへと一気に距離を詰めようと、一直線に駆け出す。
「バトラー! 補助は任せたよ!」
そう来るであろうと予想していたリンは、掴んだままであった魔物を投げつけ、足止めに使い、自分達の体勢を立て直す。
「猪口才なぁ!」
構うものかと魔物を斬り捨て、その勢いのままリンへと剣を叩きつける。僅かに稼いでいた時間で、リンは辛うじて受け止めた。
「行って! バトラー!」
戦うにはこの部屋は狭過ぎる。リンはバトラーを庇いながらは戦えないと判断し、逃げるように催促する。
バトラーもまた、自身が足手まといになるのは理解していた。少なくともこの場を離れる事には迷いはない。
(アイツ……まさか!?)
敢えて挑発する事で、矛先を自身へと向けさせた。この場からバトラーを逃がすために。
バトラーの補助魔法を受けるだけ受け、リンは一人で戦うつもりだったのだ。
「……ちくしょう」
それが分かっていながら、言われた通りにするしか選択肢は無い。バトラーに出来る事は、それしか無かった。
「おいおい逃すかよ?」
当然キャンサーは簡単に逃すつもりは毛頭無い。逃げるバトラーに指を向け、指の先端から勢い良く"水"が放たれる。
「おわっ!?」
辛うじて躱せたが、当たれば死は免れない。たった一つの出口を目指すのさえ、バトラーは命懸けだった。
「外れたか じゃあもう一発……」
「余所見は命取りだよ」
目線をバトラーに向いている隙を見逃さず、リンは鍔迫り合っていた剣を、キャンサーの首元へ押し込んだ。
「おっと危ない!」
口とは反対に、余裕な対応で一撃をはじき、距離を取られる。はじかれたリンは後ろへと後退させられ、手には痺れを感じた。
「……余所見って言ったな? そんなもんしねえよ」
カラカラと笑う。真剣さを微塵も感じさせぬ様子で、リンに剣を向ける。
「お前なんか眼中に無いんだよ」
本気を出せばすぐに終わる。だからこれは"遊び"であり、リンは使い潰されるだけの玩具に過ぎない。
そんな事はリンも理解している。そして二人で逃げるのは不可能であり、これは時間稼ぎに過ぎない。
「あっさり壊れるなよ? 暴れたりないと……他の奴ら殺さないと収まらないからなぁ」
不敵に、嫌らしく嗤う。分かりきった勝敗を、愉しむためだけに力を振るう。
残酷に冷酷に残虐に、何の慈悲も無く、殺すためだけに力を振るうだろう。
「──大嫌いだ」
「あぁ……?」
「お前みたいな奴は虫唾が走るよ」
リンに余裕など有りはしない。力の差は歴然であり、ここに来るまでの戦闘の疲労、バトラーの付与魔法による副作用も、身体に重くのしかかっている。
こうして戦うと決めたのは、人の死に向き合うどころか冒涜するかの態度を見せるキャンサーに対し、明確な『嫌悪』と『怒り』を示していた。
「ハッ! 上等だ! 大口叩くなら相応に動けよ!?」
再びキャンサーは距離を詰める。勢いのまま払われる剣戟を受けるのは、並大抵の者であれば不可能であろう。
「くっ!」
リンが耐えられるも、バトラーの付与魔法による強化に加え、外で戦っているスピカの加護あってこそである。
それでも尚、近づく事の出来ない力の差。たった一撃を止めるだけで、強く握っている剣を払い落とされそうになってしまう。
(こんな雑に叩き込まれるだけなのに……!)
太刀筋などあって無いようなものである。明らかに手を抜いた攻撃を捌くのに必死になる自分に、怒りが込み上げる。
「さっきの威勢はどうしたよ!?」
大量に配置された魔獣入りのカプセルなどお構い無しに、キャンサーは剣を振り回し、破壊しながらリンを追い込んでいく。
「アハハハッ! 爽快爽快! 気色悪いこの施設! 全部ぶっ壊してみたかったんだよ!」
躊躇いも無く、己が欲望のままに荒れ狂う。
「もっとだ……俺の飢えを満たしてみせろ!」
ここにいたのは、まさに『鬼人』であった。
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