第31話 責任

 目の前に広がっていた惨状から、目を逸らしたくなった。


 鼻に付く血の匂い。それは、つい先程まで生きていた筈の、兵士達の亡骸から流れたものである。


 この光景を言い表すのなら正しく、屍山血河しざんけつがと呼べばよいのだろう。積まれた骸が、脳裏に焼きつかれて離れてくれない。


「ひっ姫様!?」


「我々に何か御用でしょうか!?」


 一介の兵士に何事かと驚いている。態々足を運んで来たのには、余程の理由があるのだろうと。


「貴方方にお伺いしたいのです──国へ帰るか 先へ進むかを」


 姫としての責務を果たす。敵の拠点へこのまま攻めに行くのか、それとも一度態勢を立て直すべきなのか。


 一人一人の兵士に問う。どのような答えであれ、決して否定したりはしない。


「はっ! 我々は前進あるのみであります!」


「ここで討たれた同胞の無念を晴らすためにも! 退くわけにはいきません!」


 曇っていた顔を隠し、気丈に振る舞う。


 本音では戦う事を恐れているというのに、国のため仲間のため、立ち向かう事を皆は選ぶ。


「それが貴方方の答えですか?」


「当然であります!」


「姫様に虚偽を述べるなど有り得ません!」


 強い覚悟が伝わってくる。折れてしまいそうな心を奮い立たせ、兵士としての誉れを全うするという決意だ。


「……分かりました」


 恐怖を乗り越え、立ち向かう事を選んだ兵士の覚悟を知ってしまってなお、その考えを改めろなど言えるはずが無い。


「それじゃあ姫様 他の兵士達にも訊きに行こっか」


 現状を省みれば、すぐには行動出来ない。焦らずゆっくりと、どうするべきか皆に訊いてから決めるべきだ。


「貴様! 姫にたいしてなんだその口の利き方は!?」


「まあまあ 細かい事は気にしないでよ」


「なんだこの馴れ馴れしい一等兵!?」


 下っ端の兵士風情がと、上級の兵士からお叱りを受けるがへこたれたりはしない。


 その後も兵士達への問いを続ける。


「我々に退がるという選択肢はありません!」


「勝利を手に凱旋すると王に誓ったのです! ならば戦わずにはいられません!」


 皆の答えを聞くたびに、撤退を望自身が間違っているのかと不安が募るばかりで、自らの意志が揺らいでしまう。


 同じ問いを問いかける。そして、返ってくる答えもまた同じく、兵士達の誰もが戦う事を望んでいた。





「大丈夫?」


「……ええ 大丈夫ですよ」


 休息の為にたまたま近くあった泉を眺めながら、二人で考えをまとめる事にした。


 微笑みに返したのは張り付いた笑顔。上手く笑えてはいなかっただろう。


 いつものように返したつもりだったが、抑えていた感情からか、もしかしたら気付かれたかもしれない。


「──私が間違っているのでしょうか?」


 原型をとどめている者、跡形も無く消しとばされてしまった者。残りはしたが、無惨な姿へ変貌してしまった亡骸を見れば、戦う事への恐怖は高まるのは当然であろう。


「折角繋ぎ止められた命を……何故再び危険に晒さなくてはいけないのでしょうか……?」


 分からない答えを必死に考えても、自信を持てないでいる。


「戦争はは死と隣り合わせです 理解しています」


 どれだけ葛藤しようとも、決して先が見えない。


「リン君は……戦いたいのですか?」


「僕は貴方の望みに応える者 姫様の選んだ道を共に歩むだけです」


「私は戦いたくありません」


 答えは変わらない。けれども兵士は皆、戦う事を選んでいる。


 そして答えを決めるのは姫の役目、全ての一任を任せられている者として、この選択を誤る訳にはいかない。


「私は怖いのです……命を預かる者としての責務を全う出来るのか あの様な光景をもう一度見なくてはいけない事が」


 誰だって見たくない、出来る事なら既にやめている。


 だが、それも出来ない。


「──私は光の九賢者『乙女座のスピカ』です 前線に立ち戦士達を鼓舞する事が私の役目……分かっています 分かっているのです」


 理解は出来ても納得は出来ない。今回の戦いでは敵の方が上手であった。


 進むという事は、敵の罠に真正面から挑むという事。たとえ罠が仕込まれていなくとも、最高戦力であるピスケスの弱体化を、敵が逃す筈が無い。


 退くという事は、今回の犠牲を無駄にしてしまうという事。確かにこれ以上の犠牲は抑えられるが、今後の損害を考えると、得策とはいえない。


「どうして"死を誉れ"だと思えるのですか……?」


 戦いで死ぬ事を肯定するなど、考えられない。


 そんな答えなど、理解したくも無かった。


「……ずるいよね」


「え……?」


「最後に決断を下すのは姫様だ 戦いに勝利すれば皆で分かち合う……けど 負けた時は"誰の責任か"を問われる」


 たった一人にどうして負けたのか、誰が悪かったのか、その責任の追及は免れない。


 そしてたどり着く答えは、最後に決断を下した者だろう。


「姫様はただ皆を救いたいために戦ってる ここで退くのは逃げなんかじゃない──皆を護るためだ」


 だが、兵士達は退く訳にはいかない。


 命を賭してでも戦い、勝利に貢献する事が誉れであるからだ。


「言うだけなら簡単さ それに死んだ後のことなんてしったことじゃあないだろうし」


「そんな言い方は……!」


「でも死にたい訳じゃ無い」


 自分の存在価値を無意味にしない為に、意味を見出す。そうして戦いへの恐怖を和らげ、安心感を得ているのだ。


僕は怒ってるんだよ・・・・・・・・・


 ただ戦いに勝つことと、自分の事ばかりで、誰もスピカの事を考えていない。


 誰よりも前線に出て、辛い思いをするスピカよりも、成果にしか目を向けない事に腹が立つ。


「姫様の気持ちも知らないでさ 自分の意思だけは通そうとするんだから」


 どちらの答えも間違っていない。だからこそ対立してしまうのも分かる。


「なのに決断だけは姫様に預けちゃんだよ? だからさ……"皆の答え"が聞きたかったんだ」


 独断ではなく、総意である事の証明が欲しかった。


 そうすれば、全ての矛先がスピカに向く事を少しでも減らせたらと考えたからだ。


「もっと皆も考えるべきなんだ 任せるだけじゃなくて自分の意思を持つべきだ……って らしくなかったかな?」


 説教臭くなってしまったと、今更ながら恥ずかしくなる。


 そんな柄では無いと知りながらも、伝えずにはいられなかった。命を懸ける事と死んでも良い事は、同一では無いのだから。


「責任は皆で背負おうよ 僕は姫様の選択を尊重したいから 何を選んだとしても──必ず君の側にいる」


 たとえ退くことを選んで糾弾されたとしても、進むことを選んで今以上の犠牲を出す結果になろうと、関係無い。


 絶対に、スピカの味方で在り続けると誓ったから。


「……迷惑ではありませんか?」


「まさか! 男は女の子に頼られるのに弱い生き物だからね」


 そう言って微笑む。今度は上手く出来た・・・・・・・・・と思う。


「私はやはり戦いたくありません ですが……皆の意見も尊重したい」


 このまま進む事で発生する被害と、退いた後の被害を秤にかければ、どちらを選ぶのも抵抗がある。


「なので……早速頼りたいと思います」


 意見を求められた。選ぶのは『今』か『未来』か。


「僕の?」


「私の意見とは関係無い リン君の答えを訊きたいです」


 手を添えられて、顔を近づけ目を合わせられる。


 今にも惹き込まれそうになるこの桜色の瞳に眺められたら、身体がいうことを聞いてくれる筈がなかった。


「貴方ならどうするのか……教えてくれませんか?」


 この微笑みの前には何も隠せない。正直に、自分の考えを答えるしかない。


「僕は──」


 スピカの問いに答えた。


 もう二度と見たくない光景が脳裏を過ぎる。だからこそ、答えは一つだった。


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