Adolescence-思春期恋愛短編集-

宮窓柚歌

アンカー

(ああ、もう、くそったれ!)


 息を切らしてあえぎながら、智久ともひさは心の中で毒づいた。


 体育祭の目玉競技の一つ、クラス対抗リレー。

 そのバトンを最後に託されたのが彼だ。


 正直に言って、運動神経には自分でもちょっと自信がある。

 それはクラスのみんなにも周知の事実であったから、こうしてリレーにも出ることとなっていた。

 だが、そこには智久の意思は反映されていない。ただ人より少しばかり足が速いというだけで、当たり前のようにメンバーに組み込まれてしまったのだ。


 彼自身は本来「頑張る」ことはあまり好まない。

 遊びで身体を動かすのは楽しいけれど、必死こいて努力して結果のために全力で競い合う事には、あまり興味がなかった。

 それどころか、「必死に頑張るとかダサくね?」といった、思春期にありがちなしゃに構えた気持ちすら持っている。

 ゆえに父と兄に言われて始めたサッカーもちょくちょく練習はサボるし、今日のリレーだって程々に「頑張ったふり」をして、適当に終わらせようと思っていたのだ。


 そう思っていたのに。

 智久は今こうして、バカみたいに必死にあしを動かしている。


 共に選ばれたメンバーの中に、前から気になっていた少女、高木楓たかきかえでが居たのが運のつきだ。


 彼女に笑顔で「一緒に頑張ろうね!」なんて言われてしまっては、格好つけたい欲も出てくる。

 ついでとばかりに、唯一運動部ではない楓のフォローという建前で、難航する順番決めに何とかして彼女のバトンを受け取りたいというおのれのエゴをじ込んだりもした。

 幸か不幸か複雑なことに、色恋ににぶくだんの少女以外はそんな智久の心情をおもんばかり、能力的にも申し分ないしと嫌でも目立つ最終走者という見せ場まで与えてくれた。


「そんなにバレバレかよ俺は! おいお前ら何だよその目はやめろ同情すんな!」


 もっとも彼らのクラスには他にも腕に、いや、脚に覚えのある者も多く、智久の「程々に頑張る」と「意中の彼女に格好いいところ見せる」は、さほど苦労もなく達成できるだろうと彼は楽観視していた。

 そして実際、目論見は見事に上手くいっていたのだ。


 智久にバトンが渡るほんの5m手前で、楓が足を滑らせるまでは。


 ころんだ少女に今すぐ駆け寄って助け起こしたくなる気持ちを、ぐっとこらえる。

 ゆっくりと起き上がった彼女は途中でバトンを拾いながら、少し右足を引きずるようにしてとぼとぼとこちらに歩いてくる。転倒の際に足をくじいたのだ。

 遠慮なく隣を駆け抜けていく他の選手を横目に見やりながら、スタートラインでただただ待ち受けるしかないのがもどかしい。


 ようやく智久の前にバトンが差し出された時、楓の瞳には大粒の涙が浮かんでいた。


「ごめん、ごめんね、わたし……」


 言葉を発した途端、悔しさとふがいなさで柔らかそうな頬を次々と水滴が伝う。


 そんな彼女を抱き寄せて、大丈夫だと言ってあげたかった。

 だが生憎あいにくと今はそんなわずかな時間も惜しい。

 何より楓に超絶片想い中の単なるクラスメートである智久には、そうできるだけの度胸も、それを許されるだけの信頼関係も無い。


 だから、彼女にかける言葉は、たった一言だけ。


「後は俺に任せろ」


 楓からバトンを奪い取り、きびすを返して走り出す。


 一人、二人、三人。

 最後尾から次々と、前にいる連中を追い抜いていく。


 こういった追いつけ追い越せのドラマティックな展開を期待してなのか、アンカーは他の走者より走行距離がグラウンド一周分多い。

 とはいえ先頭とは既に半周の差がついていた。しかもあれは確か三年の陸上部エースだ。あそこに接敵するのはかなり厳しい。

 それでも智久は全力で駆ける。少女の涙を笑顔に変えるために。


 あと三人。


 がむしゃらに、無我夢中で、ひたすら走る。


 あと二人。


 呼吸が苦しい。心臓が悲鳴を上げている。それでも更に力を振り絞る。


 ようやく見えた。やっととらえた。最後の背中だ。

 そんな智久を嘲笑あざわらうかのように、先頭の上級生は無慈悲にギアを上げる。

 ゴールで勝者を待ち構える生徒達が、栄光のテープをかざし始めた。

 それなのに、手も届きそうなあと少しの距離が、一向に縮まらない。


(あーもう本当バッカじゃね、こんな死に物狂いの姿とか、マジ格好カッコりぃ。もっと涼しい顔してスマートにゴール決めるつもりだったのによ)


(やってらんねえ)


(ホンットやってらんねえ)


 ゴールテープの更に奥、自分の出番を終えてアンカーを応援する選手達の中に、あの少女の姿が見えた。


(んな汗だくで必死でみっともないとこあのに見られて、バカバカしくてやってらんねえ)


(――やってらんねえ、けど)


「任せろとか言っといてここで負けたら、もっと格好悪りぃじゃねえか!」


 ちっぽけな意地だけで手足を動かし、智久は前に走り続ける。

 先頭の走者が振り向く。流石に顔に焦りが出ている。

 背後に迫る追っ手に気を取られてか、ほんの僅かに上級生の速度が落ちた。


「頑張れ!」


 耳に届いた声に顔を上げると、智久と楓の目が合う。


「頑張って! 谷田やだ君!」




「あっ、起きた」


 ふと気づくと、想い人が智久の顔を覗き込んでいた。


「……うおっ!?」

「ああ、もう少し横になってた方がいいよー」


 慌てて飛び起きようとして頭がふらつき、そっと身体を押し戻される。

 目線だけできょろきょろと辺りを見渡すと、、クラスの待機場所から離れたグラウンドのすみに寝かされているのがわかった。体育祭は既に終盤の競技に入っているようだ。


「谷田君、ゴール直後に倒れて思いっ切り頭打ってたの。たんこぶだけで済んでるみたいだけど、念のためにしばらく安静にしてろって先生言ってた」

「そ、そうか……」


 言われてみれば、頭に少々鈍い痛みを感じる。


 とはいえ安静にと言われても、今の状況は智久にとってかえって落ち着かなかった。

 この体勢と後頭部に感じる温もりは、どう考えても楓に膝枕されている。自覚するとめちゃくちゃ気恥ずかしい。


(頭打ったらあんまり動かさない方がいいんだっけ? でもどうせなら保健室に運んでくれりゃよかったのに。これ絶対みんな見てるじゃん、俺学校中のさらし者だっての。死ぬ、恥ずかしすぎて死ねる、いっそ頭打ったときに死んどけばよかったのに。何で高木はそんな平然としてんの俺のこと何とも思ってないからですね二重に死ぬわシチュエーションは最高なのに何この地獄)


 そんなことをぐるぐる考えながら、多感な年頃の若者は少しでも気を紛らせようと彼女に話しかける。


「リレー、どうなった? 自分じゃあんまり覚えてなくて」


 全力疾走による酸欠と頭部強打のためか、ゴール前後の記憶が定かではない。

 そんな問いかけに笑顔を浮かべる楓を見て、智久は自分の苦労がむくわれたことを悟る。


「結構際どかったけどね。1位おめでと。ラストスパート凄かったなー」

「っしゃあ!」


 満面の笑みで拳を天に突き上げる智久。

 けれど、そんな彼を見つめる少女の表情が、不意にくもる。


「ごめんね、わたしのせいで無理させちゃって」

「いやそんな気にすること、って高木こそ足大丈夫なのか!?」


 智久は今度こそ跳ね起きると、心配そうに楓へと目を落とす。

 ハーフパンツからさらけ出された彼女の白く細い右足首には、丁寧に湿布が貼られていた。それ以外にもあちこち擦りむいていて、絆創膏が痛々しい。


「うん、転んですぐはちょっと痛かったけど、今はまあまあ平気」

「そか、よかった」


「でもわたしが転ばなかったら、谷田君もっと楽にゴールできたじゃない。あんなに速く走れたんだから」

「いやー、確かに楽はできたろうけど。1位取れてたかはわかんないな」


 自嘲じちょう気味にへらへら笑いながら、智久は頭をかいた。うっかり指先がこぶにれて顔をしかめる。


「俺、必死に頑張るのとか、そういうのダサくて嫌いだからさ。リレーも別に出たかった訳じゃないし、適当に走って終わらそうと思ってたんだよ、本当は」

「あーうん、普段はちょっと冷めた感じだよね、谷田君って」


 日頃の智久の生活態度を振り返り、楓が相槌あいづちを打つ。


「でも今日頑張ってた姿、全然ダサくなんてなかったよ。すっごく格好良かった」

「ハハ、フォローありがとな。お世辞でも嬉しいや」

「お世辞じゃないってば。いつもやる気なさそーなのに、あんな真剣な顔見せられたら惚れ直しちゃ……っ!?」


「へ?」


 何か、今、とんでもない発言が聞こえたような。

 慌てて両手で口元をおおう楓を、智久はぽかんと見つめることしかできなかった。


「あの、高木サン……先ほど何とおっしゃいました?」


 驚きを隠せずおそるおそる尋ねる智久から、露骨に顔を背ける楓。


「……谷田君の真剣な顔、初めて見たって」

「そのあと

「…………」


 智久の位置から彼女の表情をうかがうことはできないが、耳元が真っ赤に色づいている。


(おいおいおい、マジかよ夢じゃないだろうなこれ。いややっぱ夢じゃね、頑張ったご褒美にしても高木に膝枕されておまけに告白もどきとか、そんな都合いい話が――)


「そっ、そういう谷田君こそっ!!」

「はいっ!?」


 突然勢いよく振り返って、楓は逆ギレ気味に智久へと詰め寄る。


「頑張るの大嫌いなら、どうして今日はあんなに一生懸命走ってたの?」

「ぐっ……」


 お返しとばかりに、痛いところを的確に突いてくる。

 上手いこと誤魔化そうにも、爆弾発言の衝撃が冷めきっていない頭では、言い訳などさっぱり浮かばない。


 散々目を泳がせたすえ、諦めて智久は白状することにした。


「だってさ、あのまま負けたら、お前また泣くだろ。自分がけたせいだって」

「私のために、頑張ってくれたんだ……優しいね、谷田君は。いつも素っ気ないくせに、さりげなく私のこと助けてくれてるでしょ。順番決めの時だって」

「別にそーゆーんじゃねえし。もう勘弁してくれや、これ以上持ち上げんのは」


 楓と同じくらい、智久の頬もしゅに染まっていた。

 下心からの行動を単なる親切心だと解釈されるのは、照れくささと申し訳なさが入り交じってどう反応していいか困る。


「じゃあ、最後にもう一つだけ。これだけ教えて」


 少女は決して聞き逃すまいと、更に少年との距離を詰める。


「や、谷田君は私のこと、どう思ってますか……?」


 不安の中にほんの少し、期待を混ぜた瞳でそんなに強く見つめられては。


「だからズリぃだろ、それはさぁ」


 恋に臆病な智久だって、降参せずにはいられないのだった。

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