第6話 灰と青
「星を見に行かない?」
日曜の朝の喫茶店で、クロワッサンをほおばりながらかなたは言った。
彼らは真昼のプラネタリウムに居た。
出迎えてくれたかなたの友人アントワーヌはフランス人で、その大きな肩に挟んでいるのは小さく見えるがヴィオラだった。彼は電子音楽を取り入れた演奏をするミュージシャンで、今夜のプラネタリウムでは音と星を楽しめる小さなコンサートを行うのだとかなたが浮足立った早口で説明した。
かなたはリハーサルに呼ばれたようでスピーカーから聞こえてくる音響の調節を慣れたように手伝っていた。
名波は此処にいていいのか、最初は居心地が悪かった。
垣間見たアントワーヌの表情を見る限り、かなたの友人として快く迎えてくれているらしい。彼はかなたに共通する好奇心をのぞかせた星影のような瞳をウインクして見せた。
かなたがリハーサルを手伝っている間、椅子に座って薄暗い部屋に点々と浮かび上がったままの夕空を眺めていた。偽物の金星を追った。
現代曲が独特な調べで、疑似的な星間を漂っていた。
小さくて丸い天井に響く二人の柔らかい声。つかみどころのない静電気のような音の感触。
***
その晩、名波は夢を見た。
音の夢だ。
喧噪の音が聞こえる。バーの賑わい、グラスの割れる音、車。重低音に混ざって、名波の身体を包む闇の中で極彩色の光の線が通り抜けていく――音が色を持っていた。
何度か途中に目覚めたけれど、起きた後も余韻に浸っていたい夢だった。
眠りから覚めて、白い朝。カーテンの隙間から「今日」が見えた。
何かが変わったような気がした。昨日とは違う何かが。
今なら向き合えると思った、醜く感じる彼の心と。ずっと背負っていかなければならないと感じる彼の歩んできたものと。
この朝なら、音楽を素直に聞ける気がした。
「彼女」の人を惹きつける気だるげでアイロニックな歌詞も、独特なコードも、
「参ったよ」と
自分を諦めることが、そのさきに行けるような気がした。
彼女の音楽を聴くことで、自分への呪縛が解けるといった自己暗示を愉しんでいるようにも思うからだ。
変わりたいのだ。
自分じゃない自分に、嫌いじゃない自分に。
それなのに。
押せない、聴けない。画面に触れればただ流れるだけなのに、こんなことにすら手が震える。
世の中は天才に溢れていて
凄い、なんて簡単に言えない。
普通に生きたいのに、凡人であることを認めるのが難しい、腐ったプライドだ。
「そんな簡単に僕は変われない」
体中に怠惰が走って、名波を呑み込んでしまう。重力に負けてベッドに倒れこんだ。
また、絶望だ。黒い大きな犬、そいつは一回来ると僕の心にのしかかりなかなかどいてくれない。
人はそんな簡単に変われない。
世界は灰色で、僕は主人公じゃない。
この世の一種の呪いに溶けて、明日を睨んだ。
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