恋のはじまりが恋のはじまり
氷泉白夢
恋のはじまりが恋のはじまり
私は花崎春美、16歳。
生まれ育って16年、私は恋というものをしたことがない。
友人たちが言うにはやれあの男子がかっこいいとか初めて見た時から運命を感じたとかがあるらしいが、私にはとんとわからない。
特別男子との交流が少ないというわけでもないと思うが、特に恋だの愛だのの感情を抱いたことはない。
ああ、いい人だな、とか優しいんだな、とかリーダーシップがあるんだな、とかいろいろ感じたりすることはある。
だがそれが恋愛というものには結びつかないのだ。
「春美ー、恋しなきゃもったいないよー」
「いや、そんなこと言われても……」
彼女は海沢夏樹、一応私の親友だ。
恋に恋する彼女は恋がわからないという私に対して勝手に恋愛上級者を気取りアドバイスをしてくる。
こいつも彼氏ができたことなどないので私はそのほとんどを聞き流している。
今日も私はサンドイッチを食べながら夏樹の演説を聞き流していた。
「恋はね、いいもんだよ……恋は心を豊かにしてくれるよ」
「はあ」
「こう、恋するとさ……まず胸がキュンってくるんだよね、それでその人の事が頭から離れなくなるわけ」
「へえ」
「その人の事が好きでたまらない、思わず走り出してしまいそうな気持ちになって……それで、こう……こうさ、あれよ」
「どれよ」
「……まあ、その先はね、自分で体験したほうがいいから、うん」
自分もその先のことは何一つ知らないからである。
彼女はいつも男子に恋をしてもじもじしているうちに先を越され恋が終わってしまうのだ。
恋のことが今一つよくわからない自分が言うのもなんだが、こいつも恋が上手いとはとても思えない。
「別に……私も恋がしたくないわけじゃない。ただどういうのが恋なのかがわからないってだけ」
「どういうのが恋って……だからそれは胸がキュンってきて」
「それはもういいから」
私は夏樹を制止しながら、サンドイッチをリンゴジュースで流し込む。
そう、私だって人並みに青春というものを味わってみたいという気持ちはあるのだ。
だが、生来の理屈っぽい性格のせいか、今一つ恋というものにピンとこないだけなのである。
「まあ、そうねえ……春美はさ、もっとこう、出会いを大事にしたほうがいいんじゃない?」
「はあ」
「こう、男子に対して遠慮があるっていうかさ、なんかこう……ガッと、ガッと行く感じがないのよ」
「へえ」
「春美、聞いてないでしょ」
「どちらかといえば聞いている」
「絶対聞いてなさそうな返事!!」
夏樹がどんと机をたたく。
そのはずみで私の肘がリンゴジュースにあたり、床にこぼれてしまった。
「あ、ああー……何やってるの春美」
「夏樹のせいだからね、もう、拭くもの拭くもの……」
私たちがぞうきんを取り出して床を拭き始める。
すると私たち二人以外のぞうきんがすっと床のジュースを拭きとった。
「大丈夫?」
「え、あ、はい」
そこにいたのは一人の男子だった。
名前は確か、柿崎秋葉くんだったと思う。
教室でも地味な方であまり印象にない。
私が彼の事に気を取られていると、もう一人別の男子の声が聞こえてくる。
「困ったときはお互い様ってねー」
そういって床を拭き始めてくれたのは氷室冬彦くんだ。
彼はお調子者だが女子には優しく、クラスのムードメーカーだ。
「わ、わ、あり、ありがとう、ございます……」
夏樹は突然の男子の登場にあわあわとしながら礼を言っている。
ガッといくとかいうのはどうした、ガッといくとかいうのは。
「……ふう、拭けたね。大丈夫?どこか服とか、濡れてない?」
「あ、うん、大丈夫」
「そっか、あ、いや、うん、それならよかった。じゃあ」
「うん」
柿崎くんはそれだけ言うとぞうきんを持ったまま去って行ってしまった。
少しぶっきらぼうだが、まあ優しい人なのだろう。
一方では氷室くんが何やら夏樹に話しかけている。
夏樹はわたわたと顔を赤くしながら相槌を打っている。
ああ、これはまた恋に恋したな、と思った。
────
「はあぁ……やっぱ、こう、恋ってさ……急にキュンってくるものなわけだよ……」
「ああ、うん、わかったわかった。頑張って」
「ちょっと冷たくない!?なんかこう……もうちょっとさ!相談のってよ!いつものってあげてるじゃん!!」
「その相談、あんまり役に立ってないし……」
きゃいきゃいと騒ぐ夏樹をなんとか制止する。
こうしていつも空回りして失敗しているのが彼女なのだ、少し立ち止まるくらいがちょうどいいと思う。
「……いや、あの、真面目な話さ……ちょっと、氷室くんと……もうちょっと、話したいなあって……思うんですけど……どうしたらいいと思います?」
「私に言われてもなあ……」
私は10秒くらい考えて、夏樹に答えを返す。
「ガッといけば?」
「雑じゃない!?」
「お前が言ったんだよ」
だって恋した相手にどうすればいいかなんて私にわかるわけないだろう。
それこそ夏樹に言われたことをそのまま返すくらいしか思いつかない。
とはいえ私も完全に考えなしに言ったわけでもなかった。
「夏樹は毎回毎回そんな風になってただ空回りしてるうちに終わっちゃうんだから、恋したんだと思ったらそれこそガッと向かっていってガッと玉砕すればいいじゃない」
「玉砕言うなし!!?」
夏樹は声を張り上げる。
私は悪かった悪かったと適当に謝って、話を続ける。
「つまりさ、もう一度話したいと思ってるんだからもう一度話せばいいじゃないってただそれだけの話だよ」
「うぅー……それができれば苦労しないんだよぉー……」
「お前人には好き勝手言っておいて……」
恋をした時の夏樹は本当にめんどくさい。
恋というのはこんなに人間をめんどくさくするものなのか。
私も恋をしたらこんなにめんどくさくなったりするのだろうか。
それは……ちょっと、恥ずかしいな、と思った。
「わかった、じゃあ私も一緒に会いに行ってあげるから、行ってみよう?」
「今日は無理……明日にしよう……」
「……そうやって先延ばしにするから毎回出遅れるんだよ」
「ごぼっ!!」
夏樹が断末魔の声を上げた。
「あ、あんた人の傷を……人の心がないのか春美には……」
「そこまで言う?」
「割とこっちの台詞だよ?それ……」
「……じゃあ、放課後、放課後に行こう。それなら心の準備もできるでしょ」
「……わかった」
そうして私たちは放課後に氷室くんの元に向かうことにしたのであった。
────
放課後の時間になり、私は夏樹の肩をぽんぽんと叩く。
「ほら、放課後だから、行くよ」
「いや……ちょっと、あの、心の準備が……」
「しとけって言ったじゃんさ」
「じゅ、授業もあったし……」
「普段まともに授業なんて聞いてないでしょあんた」
ぐずる夏樹を無理矢理立たせる。
早くしないと帰ってしまうかもしれない。
「いや、ほんと、待って、もうちょっとだけでいいから」
「じゃあ私帰るから」
「待って、わかった、いきます、いきますから……!」
この期に及んでぐずるようだったら本当に帰ろうかと思っていたが、なんとか腹をくくってくれたようだ。
なんで私がこんなに苦労しているんだろうと思わなくもないが、まあ一応親友だ、協力くらいはしてやろう。
「あー、ちょっといいかな」
氷室くんの元へ向かうと、そこには柿崎くんもいた。
歓談していたらしい二人は私たちが来た途端に少しだけ背筋を正す様子が見て取れた。
「さっきのこと、改めてお礼言いたくて。ありがとう、氷室くん、柿崎くん」
「いやあ、女子が困ってたら助けなきゃ、なあ?秋葉?」
「あ、まあ、うん」
氷室くんはおどけるように秋葉を肘でつつき、柿崎くんは少し照れ臭そうに返していた。
さて、ここからだ。
「ほら夏樹、いけ、いけ」
「あ、あい、いや、あの、ちょ、ま」
私はぐいぐいと夏樹を押して氷室くんのところへ押し出した。
氷室くんは少し驚いた様子で夏樹と目を合わせる。
「あ、あ、ひ、ひむ、氷室、くん、その……」
「ああ、さっきの夏樹ちゃん、だよね?」
「ひゃい!そそそ、そうです!はい!海沢夏樹です!」
「いやあ、ほら、友達がジュースこぼしてさ、それ手伝ってるの見たら、俺も手伝わなきゃなと、思ってさ」
元はといえばジュースをこぼしたのは夏樹のせいなのだが、と言いたいのを私はぐっとこらえた。
氷室くんは女子慣れしてそうな雰囲気があるしあとは任せても大丈夫だろうか。
「あ、えっと、ひ、氷室くん、その……」
「冬彦でいいよ。かわいい女の子にそう呼ばれたほうが嬉しいし」
「か、か、かわわわわ……」
うん、これ以上下手に邪魔しないほうがよさそうだ。
私はその場から立ち去ろうと思った。
が、二人の隣を柿崎くんがぼーっと突っ立ってるのを見て思わず声をかけた。
「柿崎くん、ちょいちょい」
「え、あ、うん」
私は柿崎くんの肩をちょいちょいと叩きながら小声で呼びつける。
あとは二人にお任せしようじゃないかという私の心遣いだ。夏樹には感謝してもらいたいところだ。
そうして私は柿崎くんと共に廊下へとそっと出て行こうとする。
「あ、あの、春美!!」
「?」
夏樹の声が聞こえてきて、私は振り返る。
「あ、あの、ありがと、ね。本当に……ありがと」
夏樹はもじもじしながらそう言った。
私はただ手を振って教室から出て行った。
────
「……ふぅー」
「あー……」
廊下に出た私たちはふと顔を見合わせる。
なんとなく気まずくなって、私は目をそらした。
一瞬だけ目に入った時計が放課後の時間を指し示す。
「まあ……なんてーか……俺たち、邪魔な雰囲気、だったよな、ついぼーっとしてたけど……だから、呼び出したん、だよ、な?」
どうやら意図は伝わっていたようで私は少し安心した。
柿崎くんはぽつぽつと私に話しかける。
「冬彦のやつ、海沢さんのこと、気にしてるみたいだったから……声かけようかどうしようかって話してたんだ」
「へえ、そうだったんだ」
「ああ、ほら……冬彦って、あれだろ?ちょっと軟派な雰囲気あるからさ、人気はあるけど恋人にはちょっと、って感じだろ?」
そう、なのだろうか。
確かに氷室くんは人気のわりには恋人がいるという話は聞いたことはなかったが、女子たちからはそういう評価だったのか。
恋って難しいな、改めてそう思う。
「だから、まあ、なんだ……なんか、上手くいったら、いいよな」
「……そうだね」
夏樹と氷室くんがお互いになんとなく思いあっているのであれば、今回はもしかしたらうまくいくのかもしれない。
そう思うと夏樹を焚きつけたのは正解だったな、と私は思った。
「……」
「……」
私は再び柿崎くんと目が合った。
なんだろう、会話が続かないしとても気まずい。
よくよく考えれば私たちは完全に余りものである。
「……あの、柿崎くんも、本当に、ありがとうね、さっき……」
「ああ、うん……たまたま、っていうか……」
沈黙が続く。
このまま別れて帰ってもいいはずなのに、何故かそれが出来なかった。
「……ありがとう、っていうなら、俺からも」
「……?」
「冬彦のために、わざわざ声かけに来てくれたんだよな?」
柿崎くんはそのまま私に頭を下げた。
少しおののく私に柿崎くんは言葉を続ける。
「あいつ、俺にとっては、親友、だからさ。ちょっと軽く見えるけど、悪いやつじゃなんだよ。だから……その、これがきっかけになって、恋人とかできたら、俺も嬉しいから、さ」
私はその言葉を聞いて、柿崎くんにとって氷室くんが本当に大事なんだな、と感じた。
それと同時に、私もそう思っていたんじゃないかと考える。
夏樹に恋人が出来たなら、私もきっと嬉しい。
だから、私はここまでしたんだな、と。
「あの……私、私も、そう思う。夏樹は、親友だから……幸せになってくれたら嬉しいって……そういう、ことだよね」
「うん」
柿崎くんが頭をあげる。
その顔は放課後の夕日で照らされて少しだけ赤く見えた。
それを見て、なんだか私はほんの少しだけどきりとした。
「……その、俺たち、どうしようか」
「ど、どうって……!?」
私はその何気ない言葉に心臓が跳びはねた。
何故?何故だろう。わからない。
「いや、まあ、その……今日は、帰るかな、っていうか……」
「あ、ああ、そっか……そうだね……」
私は何故こんなにうろたえているのだろう。
もう一度柿崎くんの顔を見る。
夕日に照らされた顔が、今度は何故だか少しだけ眩しく見えて。
「あ、えっと……あの、さ」
私は、何を言おうとしているのだろうか。
全く考えずに口から飛び出た言葉の先が出てこず、私は固まってしまった。
少しの間、廊下の生徒の話し声も、外で鳴く鳥の声も、何も聞こえなくなった気がした。
「……その!」
「は、はい」
柿崎くんは少しだけ大きな声で静寂を破った。
私は固まったまま、反射で返事をする。
「も、もしよかったら、だけど……一緒に、帰って、もらえない、かな?」
「ふぇ……」
「あ、いや、変な意味じゃなくって、その……いつも、冬彦と帰るから、さ。なんか、一人で帰るの手持無沙汰っていうかさ……」
その言葉を聞いた瞬間に、わかってしまった。
私もきっと、そう言いたかったのだと。
「……う、うん、私も、夏樹といつも一緒だから……そ、そうだね、帰ろう、か」
私は顔を上げて、柿崎くんの顔を見てそう言った。
今の私の顔も、夕日に照らされて真っ赤なのかな。
そう考えると、何故かはわからないがとても恥ずかしい気持ちになった。
「じゃ、じゃあ……帰ろうか、花崎さん」
「う、うん……」
私たちはほんの少しだけ離れて歩いていく。
はじめて感じるこの感情は、果たして私が思っている通りの物なのだろうか。
思わず柿崎くんから目をそらして、また時計が目に入る。
夕日に照らされた時計の長針は、たった五分しか動いていなかった。
恋のはじまりが恋のはじまり 氷泉白夢 @hakumu0906
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