水神と日照り神

こむらさき

雨の恵みと陽の災厄

ばつよ。わしの妻になったというのに人里に降りるとは何事じゃ」


 男の肌に並ぶ小さく白い鱗が、陽の光に照らされて光った。

 後ろ手で一つにまとめられた漆黒の髪は腰の辺りまで伸ばされている。

 瑠璃色を基調とした狩衣かりぎぬに身を包んだ男は、神殿から入ってきた東雲色の髪をした女へ駆け寄った。


御津羽みつは様、そのように眉をつり上げては折角の綺麗なお顔も台無しでございます」


 深い紅色をした瞳で見つめられたばつは、はしばみ色の丸い瞳を細めてにっこりと微笑む。

 そして、二藍色の単衣ひとえを着た身体をしなりとくねらせた。


ばつよ、そのようなことを言ってもな……。お主が人里に降りるとそれだけで厄になると申したはずだ」


 眉を顰めて、御津羽みつははかぶりを振った。


「お言葉ですが、わたくしにも考えがあったのです」


「はあ、其方そなたまなこは眩しくて敵わん。まるで陽の光が如く苛烈でいて、月の光のようにわしの心を乱す。困ったものだ。其方の考えを申してみよ」


 溜息を吐いた彼は、にこにこと笑うばつを見る。


「はい。わたくしは、この目で人里を見たかったのです。我が夫の威光が隅々まで行き渡っているのかを」


「それはうれしいことだが……。ばつよ、わかっておるだろう?其方が数日その里に居れば、池は干上がり、草木は枯れて獣が飢える」


「存じ上げております。ですから、細心の注意を払いましたとも。御津羽みつは様の通り道である滝壺の手入れがされている里には泊まるような真似はしておりませぬ」


 自分の言葉に、驚いたように目を見開いた御津羽みつはを見て、ばつは、興奮したように頬を上気させながら言葉を続けた。


「わたくしの心は御津羽みつは様のものでございます。貴方様を侮辱することを赦す里があるなど耐えられませぬ。なので、今一度、人の子たちには、御津羽みつは様の与える水の恵みがどれほど大切なものなのか知らしめてやろうと思ったのです」


 御津羽みつはは、少々気圧されながらも彼女の言葉に頷いた。


「……其方の行動には毎度驚かされるものだ」


御津羽みつは様の恵みの雨を降らせてやれば愚かな人の子も、貴方様のありがたさがわかるというものです」


「そううまくいくものかね」


「そううまくいくものですとも」


 胸を張って得意げにしているばつの肩を抱き、御津羽みつはは神殿の奥へと戻っていった。

 後日、ばつに居座られた里の民が供物を捧げて泣きついてきたのを見て、彼は小さな声でこう漏らした。


「一切困らぬように雨水みずを入れていたとしても、里を見ずにいれば民も怠けると言うことか……」

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水神と日照り神 こむらさき @violetsnake206

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