第35話 意欲
いつの間にかカレンダーは12月になっていた。
そのことに気付いたとたんに、急に今年があとわずかしかないのだと実感して、妙に焦り出す。日付が増えるたびに、カウントダウンをされているような気分になるのだ。
今年は特に、追われている感覚が強い。
大学の講義室で荷物をリュックに詰め込みながら、蛍はそう感じていた。
今日の講義はこれで終わりだ。スマートフォンの画面に表示されている時間は15時5分。昼休みにし損ねた本のコピーをして、その本を図書室に返却して。15時30分の駅行のバスに乗りたい。
やや強引にリュックのファスナーを閉めると、それを担ぎながら、並ぶ机の合間を抜ける。と、その背中に声がかかった。
「おい、
軽く手を挙げてこっちを見ているのは
「あー、えっと」
「今日は男だけなんだけどさー!」
「いや、ごめん。男だけとか関係なしに、今日は無理」
「なんだよ、バイトか?」
介護の。
冗談めかして日比谷が付け足す。
一瞬、振る傷が痛むように蛍の胸中が暗く
嫌そうな顔をしないですんだだろうか。今はそれが心配だった。
蛍は無理だと示すように手をパタパタとやる。
「そうだけど、介護じゃなくて手伝い。……いや、今日は俺の用事なんだけど。とにかく行けないから、じゃあな!」
まだなにか言おうとしていた日比谷を振り切るようにして、蛍は走って講義室を出た。
あの日の夜の、嫌な自分の面影がうっとうしくつきまとう。忘れたいのに。
勝手に言って勝手に傷ついて、勝手に忘れ違っているなんて、本当に勝手な話だけれど。
図書室まで行くと、課題に必要だったほんの数ページを雑にコピーする。その流れで本の返却まで済ませると、また急いで外に出る。
あとはないか、忘れ物とか、やり残したこととか。
ここ数日、毎日のように行っている帰り際の
大学の前のロータリーに飛び出したところで、乗りたかった30分発のバスが入ってきた。ギリギリセーフで乗り込む。
乱れた息を整えながら、スマートフォンを確認する。
ハリや藍から、特にメッセージは来ていなかった。今日は買い出しはなしでいいようだ。
『今大学を出て、これからそっち向かいます』
それだけハリにメッセージを送ると、すっかり冷えた指先ごとスマートフォンをコートのポケットにつっこんだ。
12月になってからは毎日着ているダウンコートのぬくもりが、駄目押しするように季節を感じさせる。
(今年中に……なんとかできるかな)
あと何日あるだろう。具体的な数字は見たくなかったから、数えるのはやめておいた。
バスが揺れて、大通りへ出る。
滑るように駅へ向かう。
林が依頼をキャンセルしようとし、けれど結局ブレスレットを預けたまま帰っていった日からずっと、蛍は時間を見つけては意欲的にハリの家を訪れていた。
目的はもちろん石琴と、林が預けてくれたブレスレットだ。
ほぼ毎日……とはいえ、年末で課題もあるからそれを決しておろそかにしない程度に、蛍は調石に取り組んだ。
今日でもう何日目になるだろう。これも、具体的な数字を現実をして目の当たりにしたくなくて数えずにおく。
ただ何日も何日も、座布団の上に正座してあの奇妙な楽器のような装置に指を置いては微かな音を出す、ただそれだけの作業を続けるのは蛍の想像以上に根気のいることだった。
退屈ではない。不思議と。今だに気付くと何時間もたっていて驚くことがある。
けれど簡単ではないと日に日に感じていた。
つまり、まだブレスレットの音を全て引き出すことができずにいるのだ。
あの小さな音がいくつ集まれば、ハリがかつて聞かせてくれたような『声』になるのか見当もつかない。
(それでも、もうだいぶ進んでるよな)
そう思わないとやっていられない気持ちも確かにあるが、音はいくらかスムーズに聞こえるようになってきた……と、思う。
あと少し、あと一息だと思いたい。
そしてできれば今年のうちに、あるいはせめて冬のうちに、林にあのブレスレットを返してあげたい。
想輝石にこめられている想いがどんなものなのかを教えてあげたい。
それはきっと蛍にも、とても……とても大事ななにかをくれるような気がしている。
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