第34話 自問


 その夜、ハリの家から帰ってきたのは七時頃だった。

 夜、ハリが友人と会う用事があるからということで、早めに帰宅したのだった。

 ハリの家に行ったのに夕食を自宅で食べるのは初めてだ。とはいえ家には誰もいないから、買い置きのレトルトカレーですませた。


 父も母も帰ってきていないうちに就寝しゅうしん支度したくまで全部すませてしまってから、蛍は早々に自室に引き上げる。


 課題だとか明日の準備だとか、やることはいくつかあったがそれらを一旦放り出して、ベッドに倒れ込んだ。

 頭がなんだかぼうっとしている。ぼうっとしたまま、天井を眺める。


 あのあと……林がハリの家を後にしたあと、蛍はしばらく作業部屋を借りた。引き上げられるところで考えを変えてくれたおかげで、引き離されずに済んだブレスレットを目の前にして、数時間石琴せっきんを弾いていた。

 さほど作業は進展しなかった。けれどまったく進まなかったわけではない。

 最初のうちは、進むだけでも大したものだとハリが言っていた。


 いつもより少し短い作業時間。

 それでも全身がだるくなるくらいには疲労を感じている。

 集中のしすぎだろうかとも思ったが、なんだかあの作業そのものに体力を吸い取られているような気もする。

 なんて、オカルトがすぎるけれど。


 頭の中には今日一日、林に言った言葉が貼り出されていた。

『最後までやります。約束します』

 そんなことを言える日がくるなんて、思いもしなかった。それほど具体的に信じていたわけではないけれど、自分には一生訪れないように思っていた。


「最後まで……やれるのかな」


 自分に、本当に。

 思えばなにかを最後までやりきった、やり通したことなんて、これまでにどれくらいあっただろう。夏休みの宿題だとか、学校の課題だとか。そんなものくらいしか覚えがない。

 そんな自分に、人の遺品の中にひそんでいる持ち主の心を引き出すことなど。


(うわぁ、なんかとんでもないことになった)


 両腕で顔をおおう。

 ひどく途方もないものを背負うことになった。

 いや『ことになった』なんて言い方は相応しくない。自分からそう言ったのだ。自分でそう望んだのだ。だからこれは自分で背負う『ことにした』ものだ。


 ああ、重圧だ。

 とても重たい。

 だけど約束した。約束したのだ。


 自分がやりたいから。やらせてほしいから。


(どうしてそんなことを言い出したんだろう)


 自分で自分がわからなかった。

 いつもなら、林の言うままに承諾して、大人しくブレスレットを差し出しただろう。これで自分にのしかかっていたものから解放されるとまで思ったかもしれない。

 なのにそうしなかった。

 不思議なのは、今でもそうしたいと思わないことだ。


 たとえ今、もう一度林に依頼をキャンセルしたいと言われても、蛍は続けさせてほしいと言うだろう。


(なんで……)


 やりたいから、だろうか。

 調石を? それとも一度任されたことを?

 自問が尽きない。


「……でも……聞きたかったんだ。あの続きを」


 ブレスレットから聞こえてくる小さな音の、その先を。音がやがて形作るだろう、込められた想いの声を。


 どんな音がするんだろう。

 なにより……ブレスレットの持ち主は、どんな想いをあの石に託したのだろう。自分への言葉だろうか。誰かへの言葉だろうか。


 いつかハリに聞かせてもらった、あのルビーの指輪のときのような。優しい声だといいなと思う。そういう音をしていると思うから、その直感が間違っていなかったと教えてほしい。

 林に、彼が恐れているような音はしていないのだと、知ってもらえるように。


 考えて、考えて。今蛍がたどり着けるのは、ここまでだった。


「……がんばろう」


 がんばる、なんて苦手な言葉だ。でも今の蛍にはこれしかない。

 がんばるしかない。やれるだけ。それを自分で望んだのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る