第31話 反論


 深く重く、林はため息をついた。

 それまでぴんと、どこか威圧的にも見えるほど姿勢を正していたが、どっと力を抜いてうなだれたようになる。


 それからややあってから、うながされるでもなく話しだした。


「以前にもお話したと思いますが……私の兄は体が弱くて。人生の半分以上を病院で過ごしていたと思います。だというのに彼は見るのもやるのもスポーツが好きで……病室で大人しく本を読んで過ごすというようなタイプではありませんでした」


 病弱で、年々体が病に耐えられなくなっていくのに。日の下を愛し、外の空気を好み、体を動かすことを欲した。

 音楽も好きだった。激しいロックを好んで聞いていた。


「私と兄は双子です。だからでしょうかね。私も兄と同じものを好んで育ちました。小学校のときはサッカー部、中学と高校でバスケットボールに夢中になりました。大学に入ってからはハンドボールと出会って、就職した今も企業の所属の選手として日々練習を積んでいます」


 話ながら、林は自分の両手を見つめる。がっしりした手をしていた。腕も足も筋肉質で太い。スーツが窮屈そうに見えるほどに。ハンドボールの選手だと聞けば、納得の体格だ。

 そこから、蛍にもすぐにうかがえた。若くして高いした兄と違い、龍二はとても健康に恵まれていたのだと。


「兄と一緒によく、好きなバンドの話をしましたよ。何度かライブにも行きました。とても興奮したのを今でもよく覚えています。……兄は一度も行けませんでしたけど」


 好きなものを好きなように、一身に浴びることができた弟と、そのどれも叶わなかった兄。そういう兄弟なのだと理解する。


 蛍はあのブレスレットを思い浮かべる。

 かっこいいだろと言って弟に見せたと、以前に林から聞いた覚えがある。もしかしたら唯一だったのかもしれないと想像した。林龍二の兄、林虎一が、自分で自分の好きなものを獲得できたのは、もしかしたらあれだけなのかもしれない。


 林の話は続く。徐々に語気を荒立てながら。


「兄は一度も、私に恨み言を言いませんでした。私がバスケの大会に出場すると聞いたときは喜んでくれて、応援までしてくれたんです。大学入試のとき、おめでとうと言われました。スポーツの推薦で受かったんです。兄は受験もしなかった。就職も、ハンドボールの選手になれたことも、全部兄は『おめでとう』と言った。『がんばれ』だとか『応援してる』だとか。そんな言葉しか私は聞かされてこなかったんです。でも……!」


 広げられていた林の両手が、きつく握られた。


「でもそんな人、いますか? 双子の弟は好き放題、好きな事をやっているのに。同じ日に同じように生まれたはずの自分は、なにひとつできないでベッドにいるんですよ。それなのに、その境遇きょうぐうを呪わない人がいますか? 私だったらできませんよ。立場が逆だったら私は兄をうらんだでしょう。なんで自分じゃないのかって!」


 そこまで言って、林はあわてて口をつぐんだ。ひとつ深く呼吸する。彼の分厚い胸がゆっくり上下する。


「すみません。言葉が荒くなってしまって」

「いいえ、とんでもない。聞かせてほしいと言ったのは、こちらですよ」


 穏やかなハリの物言いが、場に張りつめかけた緊張をゆるゆるとほぐした。

 なだめるわけでも、取りつくろうでもない、本当になんでもないような口調だった。蛍は少し驚いた。どうやったらそんな風な声が出るのだろう。


 林は次になんと続けていいか、わからない様子だった。

 彼が迷うには十分な時間を空けてから、ハリがやはりなんでもない、ごく当たり前の日常会話のような調子で続きを拾う。


「お兄さんのブレスレットには……あの想輝石には、彼の気持ちが入っている。私たち調石師はその声を聞くことができる。あの石に入っているのは、お兄さんの本心だろうと思っているんですね」

「……はい。そうです。兄が私に向けて言わなかった、本当の気持ちが……すみません、あまり信じられない話なのですが。もし本当にあのブレスレットから、そういうものが聞こえるんだとしたら……」


 林は言葉を飲んで首を横に振った。


 見たくないものから目を背けるような仕草だった。

 その動作に蛍は小さな共感を覚える。この仕草が意味する感情に覚えがあった。


 見たくない、聞きたくない。恐ろしいものや嫌なものを拒絶する動きだ。蛍がいつだって、自分を守るためだけにしてきたいくつもの小さな仕草と同じものを今の林から感じる。

 だからなんとなく察しがついた。林はたぶん責められたくないのだろう。兄が自分に向けないでおいてくれた彼の『本心』で、今更『本当』を突きつけられたくないのだろう。


 その気持ちはよくわかる。もし自分が林の立場にいたら、やはり同じように思うだろう。

 だけど蛍は、たまらず腰を浮かせた。


「ち、違います。あのブレスレットに入ってる、林さんのお兄さんの気持ちは、そういうことじゃないと……思います」


 黙っていられなかったがゆえに飛び出してしまった言葉だったが、声に出している途中で勢いがしぼんでしまった。最後は力ない声になってしまい、蛍は声色と同じくしぼむように、一度は浮いた腰を再びソファに沈めた。


 顔を上げているのに耐えられなくて、林から視線を逃がすように己の膝を見下ろす。

 付き添いでしかない自分に突然こんなことを言われた林が、どんな不愉快な顔をしているだろうかと思うと身が硬くなった。


「どうして君がそんなことを言うんだ。君に兄のなにがわかる」


 不機嫌に曇った声が向けられる。

 威圧的な声にどきりと心臓がすくみ上った。


「わ、わかりません。俺は、林さんのお兄さんを知らないし……」


 目を逸らしたままではあったが、なんとかそう答えられた。不愛想な言い方だった。感じが悪い。だけどハリのように上手に語調を整えられないから、もうこのままでいい。

 林に言わなくてはいけないことがある。


「でも俺は、あのブレスレットの……音を、聞きました。少しだけだけど。だから、あの石の音に関しては、あなたより詳しい」

「どういうことだ? なにが言いたい? それに、音って……。君な。本当にあんなちゃちなブレスレットから、声が聞こえるとでも思ってるのか?」

「き、聞こえますよ。ちゃんと。綺麗な音だったんです。真っ直ぐで……すごく気持ちいい音でしたから」


 だからあれは、きっと。恨み言なんかではない。もっと真っ直ぐな言葉のはずだ。もっと澄んだ気持ちのはずだ。

 林が今恐れているような内容が、あそこから聞こえてくるわけがないと、蛍には確信があった。なんの保障も証拠もない、ただの直感でしかない、確信なんて呼べないような確信が。

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