第26話 小忠言



 祖母ハリの家に向かう途中に、ちょっと寄り道すれば最寄り駅を経由けいゆできる。その駅前にある百円ショップで菜箸さいばしを入手してから、蛍はハリの家へと向かった。


「よく来たね」


 そう言って迎えてくれたのはハリで、この日藍は来ていなかった。


「そりゃ、毎日休まず来てもらうわけにはいかないよ。特別用事があるときは別だけど、基本的には土日をお休みにしてるんだ。あたしも土日は働かない。基本的には、だけどね」

「あ……じゃあ」

「別に迷惑じゃないよ。それに、いつ働いていつ休むのかを自分で決めたっていいんだから。世間様にならって土日を休みにしなくちゃいけないルールってわけじゃ、ないだろう」


 一瞬遠慮に身を引きかけた蛍を引き止めるようにそう言って、ハリは腰を気遣いながらもお茶を淹れてくれた。


「作業部屋は昨日のままだよ。続きがしたいんだろう?」

「うん……」

「無理はしないように。適当に休みを入れなさい。人に言われるのを待つんじゃなくて、きちんと自分のために休憩することも、大事なことだからね」


 いいね、と人差し指を立ててハリが念を押す。

 昨日の今日だ。反論など欠片もない。蛍はしっかりと頷いた。


「そうする。……今夜、ちょっと予定もあるし」


 出がけに受け取った日比谷のメッセージを思い出した。温かい緑茶をすする。

 ハリが眉を持ち上げたのが見えた。


「おや。デート?」

「違うよ。友達と……飯行こうかって」


 嘘ではない。ほんの少しうずいた罪悪感を抑え込んで、はぐらかす。


 なにも合コンだと馬鹿正直に人に話さなくちゃいけないこともないだろう。特に家族には。しかも祖母だ。そんなこと、恥ずかしくて言えやしない。


「そう。なら、あんたがまた時間を忘れてるようだったら、声をかけてあげないとね」

「いや、いいよ。別にその……絶対行くって約束してるわけでもないし」


 もしも、万が一、すこぶる調子よくあのブレスレットの調整がはかどったら、そのまましれっと行けないことにしようと思っていた。

 だがハリは首を横に振る。


「行ってきなよ。毎日のようにばあさんとばっかりご飯食べてちゃ、脳みそが飽きちゃうよ。人間、日々新しい刺激を取り入れないとね。脳はあっという間に年を取るんだから」

「刺激って。友達を会うだけだけど」

「だけど久し振りなんじゃないの?」

「まあ……」


 なんでそんなにお見通しなのか。決まり悪くて蛍は湯のみの中に視線を落とす。濁りのある抹茶色。緑茶は少し濁りがあるほうが美味しいとテレビで聞いたことがある気がする。


「ああ。あんたが行きたくない集まりだっていうんなら、好きなだけいていいけどね」

「そういうわけじゃ……」


 つい歯切れが悪くなってしまう。悪いことをしているわけでもないのに、真っ直ぐ顔を見返せない。そういう度胸のなさというか、背筋の伸びなさが、蛍は自分のことながら好きじゃなかった。


 それに。


(こう言われると……今度は行かなかったとき、いかにも合コンが嫌だったみたいになる)


 そんなこと誰かに言われるわけでもないのだけれど。

 わかっていても、それはそれでなんだか重い。


 まあいいや。蛍は自分を強引に納得させることにした。納得というよりこれは、目を背けているだけに他ならないのだが。


「続き、やってくる」


 お茶はまだ少し残っているけど、ここにきた目的に取り掛かりたかった。


 ただそれは目的への熱心な意欲ではなく、そのために来たのだという盾を手に入れたかったからだ。

 逃げ腰の己にまた、罪悪感と嫌悪感の親戚が胸の内側でチリつく。


 こんな毎日だ。ずっと。

 湯呑を置いて、席を立つ。その拍子に軽く、ため息が漏れた。


 ハリは明らかに気が付いていたようだったが、聞かなかったことにしてくれた。


「ゆっくりやりなさい。焦ることないから」


「うん。……ありがとう」


 今の言葉は少し嬉しかった。

 隣の部屋に行く前に、蛍は少し頬を緩めた。

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