第25話 メッセージ

25.メッセージ


 目が覚めるともう日は高く、かろうじて午前中ではあったものの到底朝と呼べる時間ではなかった。


 思いがけない寝坊に動揺しながらも階下のリビングに降りる。リビングでは父が仕事の書類らしきものを広げていた。蛍の足音に顔を上げて、挨拶を投げる。


「おはよう。ずいぶん寝てたな」

「うん。自分でも驚いた……」

「昨日、疲れてたみたいだからな」

「まあ。母さんは?」

「美容院だって」

「ふうん」


 そういえば食卓脇のカレンダーにそんなことが書いてあった気がする。

 さして興味のないような生返事を返して、蛍は台所へ行くと食パンを一枚取り出しかぶりついた。


「このあと、ばあちゃんち行こうと思ってる」


 台所からリビングの父、真司へ、顔を覗かせながら声をかける。

 真司は今度は顔を上げずに答えた。


「そうか。晩飯は?」

「わかんないけど。たぶん食ってくる」

「あまり遅くなるなよ。それと、ご迷惑にならないようにな」

「わかってるって」


 当たり前のように返事をするものの、内心では一瞬気がとがめた。

 迷惑なんて言葉で表したらきっとハリは怒るだろうけれど、少なくとも手間はかけさせている自覚がある。

 これがいつか迷惑に発展しないといい。そうなって……そうなったら、なにがまずいのかというと。


(ばあちゃんや藍さんに、幻滅されたくない……)


 ただそれに尽きる。


 今日も自分は、自分のことばかりだ。

 冷蔵庫から出した牛乳を手近なコップに注いで一気に飲み干し、簡素な朝食とした。


 顔を洗って身支度を整える。そのときになってやっと、まだハリに連絡を入れていないことを思い出した。


 慌てて、今日これから行ってもいいかとメッセージを送る。

 するとすぐに返事が来た。


『もちろん、いつでもおいで。ついでにどこかで菜箸さいばし買ってきてちょうだい』


 しっかり注文つきだった。

 菜箸とは珍しい注文品だ。折れでもしたのだろうか。思わず浮かびかけた笑みを理由もなく飲み込んで、鞄を担ぎ、靴を履く。

 そこでもう一通、メッセージが届いた。


 今度はハリからではない。

 大学の同級生であり、高校も同じ学校だった知り合いからだ。日比谷ひびやという。高校時代はあまり親しくなかったが、大学に入ってから、幅広い彼の社交性に巻き込まれるようにしてちょくちょく話すようになった。


 メッセージの文面を見て、蛍は苦い顔をする。


 今夜合コンをやることになったが、予定していた人員がひとり風邪で欠けた。その穴埋め要員になってくれという要望だった。


(気が進まない……)


 別に人と食事をすることも、同級生に会うことも、知らない女性と会話することも、取り立てて忌避しているわけではない。

 ただ合コンというイベントは苦手だった。飛び交う言葉の上辺だけ取りつくろう感じが、他のどんな場よりも顕著けんちょだと思う。実際はそうでないのかもしれないが、蛍には今のところそうとしか感じられない。


 といっても、合コンなんてこれまでに一度、やはり日比谷に誘われて渋々ついていったことしかないのだけれど。


『今日はバイトがあるから、行けるかわからない』


 行けない、と断言するのをつい避けてしまった。

 人員欠如は相当な問題なのか、返事はすぐだった。


『お前バイト辞めたろこの前』

『新しいバイト』

『なに始めたの?』

『親戚の手伝い』

『なんだよ、親戚ならいいだろ。ちょっと早めに抜けさせてもらえよ。大学一年生の夜の用事なんて言ったら、大体気を使って融通ゆうずうしてくれるって』


 日比谷の悪びれない、さりとて憎めない、社交性の光のような笑顔と声が脳裏を過る。

 悪いやつではないのだけれど、こいつの誘いの断り方がわからない。そして食い下がられると、断りづらさが増していく。


『何時になるかわからないから』

『それでもいいよ。終わったら連絡くれよ。一応、店の場所送っとくから!』


 すぐさまアドレスが送られてくる。


『わかった』


 もう蛍にはそう答える以外になんと返したらいいか、選択肢が思いつかなかった。


(まあ、いいか……)


 時間が遅くなったら、遅くなったと言えばいい。

 ハリの家を早く出たなら、どうせすることもないのだし、友人の集まりだとでも思って合流すればいい。場所は大学の最寄り駅にある、安価なイタリアンレストランだ。食事メニューには困らないだろう。


 スマートフォンを鞄の外ポケットに突っ込むと、蛍は自転車で走り出した。

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