第3話 調石師


「チョウセキ、シ?」


 眉根を寄せて、蛍は聞き返した。

 聞き覚えのない言葉だ。どんな意味を持つ言葉なのかすら咄嗟とっさに想像できない。

 すると、ハリは机の上に人差し指で文字を書いてみせる。


「調律師ってあるだろう。あれの間の『律』が『石』になって『調石師ちょうせきし』」


「へ、へえ……。え、で、なにそれ?」


 漢字が判明したところで、内情は結局全然わからない。

 調律師と言っていたから、似たことなのだろうか。そこまでが蛍の想像の限界だった。


「調律師は、律――音階を調整する仕事だろう。調石師は石を調整するんだ。といっても、研磨師みたいに石の形を整えるんじゃないよ。石が本来の輝きを保てるよう、取り戻せるよう、調整する。それこそ調律師みたいにね」


 言いながら、ハリはまるでピアノでも弾くように宙で指を動かした。


 蛍は紅茶を一口飲んで。それからもう一度、困惑に眉を寄せる。


「それ、どういうこと? 石って、石でしょ? それを調整って。なんかしたら、変わるの、石って」


「もちろん変わるよ。削ったり磨いたり。綺麗な輝きを保つには、お手入れだって必要だしね。でも……あたしが扱ってる石ってのは、たぶんお前が想像してるものとはちょっと違うよ」


 ふふ、とハリが笑う。とてもかわいらしいものについて話しているときのような、慈しむような笑い声だ。


「違うって?」


 そう言われたら、こう聞かずにはおれまい。

 ハリは説明しようと口を開き、けれどそれを止めて、少し考えてから立ち上がった。


「聞くより見たほうが早いよ。ついておいで。……昔にも一度、見せたことがあったけどね」


 昔っていつ。

 尋ねながら蛍は追うように立つ。

 ハリはソファやテーブルを伝い、ぎこちなく歩く。まだ腰は万全でないようだ。

 小柄な体を支えるように蛍が腕を回すと、ハリは遠慮なく捕まってきた。


 廊下に出て、隣の部屋へ行く。

 隣は和室になっていた。

 カーテン代わりに障子戸しょうじどが日差しを遮る西側の窓辺に、深い茶色の座卓が置かれている。その座卓の上に、紫色の風呂敷のような包みにくるまれた横長のなにかがあった。


 腰をいたわりながら座卓の前に正座して、ハリは大きな風呂敷を取り払う。

 布の中にあったのは……半透明の、細長い板状のものが連なる、楽器のような物体だった。


「それ、は?」


 見覚えが、あるような。ないような。

 見た目は木琴や鉄琴に似ている。あの上部分、マレットで叩いて音を出す部分だけがある状態だ。

 横幅は一メートルくらいだろう。

 鍵盤を模したような配置で、緑や白、あるいは紫といった様々な色が混在する石が並んでいるのだ。


 蛍はしばらく、それを見つめた。


 なにかはわからないけれど、不思議な品だ。

 それにとても、綺麗だった。


 美術館にでも飾ってありそうだ。天然石を使った彫刻を作っている芸術家が、音楽祭のために作ったオブジェだとでも聞かされれば、すぐに納得できた。

 だけどこれはそうじゃない。

 置いて飾って眺めるものではない。少なくない年月、実用されてきた跡のようなものが『それ』全体からにじみ出ていた。


「これはね、石琴せっきんだよ」


 言うハリの、皺の深い手が石材の鍵盤の表面を撫でる。


「石琴は石と共鳴するんだ。石の中にある音と近い音を探して、近い波形を作る。そうすると石が共鳴して、自分の中にある音を発する。音がいくつも繋がると、やがてその中に眠っていた想いが聞こえてくる……」


 蛍は口を開き、言葉を失ってまた閉ざす。


「……は?」


 結局言えたのはそれだけだった。


 祖母がなにを言っているのかわからない。

 困惑に眉尻が下がる。

 スピリチュアル的なことだろうか、と思った。だとしたら、通例としてあまり深く踏み込まないほうがいいだろうか。いやむしろ祖母が相手なのだから、そういう眉唾まゆつばなものに手を出すなと言うべきだろうか。


 ぐるぐる、どうでもいい思案が渦巻いた。


 そんな蛍を振り仰いで、ハリがからっと笑う。


「そんくらいの子はそういう反応だよね。お前のお母さんも、そういう顔をしていたときがあったよ。懐かしいね」


「いや、俺は……」


「おかしなものを見せられてるって思うだろう? いいんだよ、これは確かにおかしなものなんだから。これまでお前の世界にはなかった、奇妙なものだ。だから『変』だと思うのも無理はない。でもね……聞いてごらんよ」


 真っ直ぐ蛍を見上げていたハリの眼差しが、柔らかく変わる。

 ハリは座卓の上の石琴に向き直ると、そこだけ一際年を重ねて見える細い指を置いた。

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