第97話 怪しげな人影(エルヴィン)

 妹ミシェル・サンテスが失踪したのは、およそ半年前だ。



 エルヴィンの生家サンテス家は、貴族の中でも特に古くから神殿と王家に仕えている名家であり、そういった特別な貴族の中から、神妃の騎士として〈卿〉が選ばれてきた歴史がある。


 エルヴィンも数ある候補者の中から、栄えある神殿騎士卿の座を獲得し、イルマルガリータの婚約者、かつ生涯に亘って神妃を守護する騎士として過ごしてきた。



 騎士卿となったエルヴィンの妹ミシェルも神殿にあがり、イルマルガリータの世話役として仕えていた。



 しかしある日、突然失踪してしまった。



 神妃の侍女とは聞こえは良いが、実質は専属の奴隷に近い。


 イルマルガリータの気持ち一つで名誉を汚され、命を落とした者とて、もはや数え切れないほどいるのだ。



 特に蒼玉月の頃には、狂人と化す神妃に怯えながら、文字通り命を賭けて世話をしていた。


 あの呪われたハプスギェル塔とて、彼女の狂気、その一つだった。



 だからエルヴィンも、妹の失踪はイルマルガリータとなんらかの関係があると確信している。


 あるいは人知れず神妃の毒牙にかかって命を……とさえ考えたもの。



 しかしその後、フィルメラルナの故郷ガシュベリル領の小さな教会に現れた者が、失踪した妹ミシェルだったとしたら。


 それが真実であるならば、いったいどんな事情があるというのか。


 そしてミシェルは、今どこでどうしているのだろうか。




 深い物思いに耽りながら、傍目には規則正しい靴音を響かせて、闊歩していたエルヴィンはひたと足を止めた。



「あれは……」



 神殿の東側、ちょうど〈洗礼の儀〉が行われる小塔の壁。


 その隙間から覗く、怪しげな人影に目を留めた。



 ちょろちょろと不自然に顔を覗かせては引っ込める、を繰り返している。


 その者に気づかれないよう、さっとエルヴィンは柱の陰に隠れて様子を伺った。



 この場所には神妃が水を浴び、心身ともに清めるための儀式を行う小さな泉がある。


 神聖な場所であるから、限られた騎士や侍女しか用はないはずだ。



 身なりは普通の町娘。


 城下に戻るつもりなのだろうが、その場から移動するのを躊躇っているように見える。



 壁の横からしきりと外を伺っている横顔が、ちらりと見えたところで。


 エルヴィンはハッと息を止めた。


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