第90話 我儘なお願い

「来てくれてありがとう、ジェシカ」



 そうフィルメラルナが言えば。


 ジェシカの瞳にはみるみる涙が浮かび、瞼の堤防は容易に決壊してしまった。


 それを両手で無造作に拭きながら、彼女はぶんぶんと首を横へと振った。



「そそそそそ、そんなお言葉もったいないです。ゎわたくしはフィルメラルナ様のお力になれずで……」



 おいおいと、両手で顔を覆って泣いてしまう。


 困ったように眉をハの字に下ろすアルスランの横を通って、フィルメラルナはジェシカの背をさすった。



「ごめんなさい。あなたが心配してくれているのは分かっていたのに、あの時のわたしは何も受け止められなかった」



 ありがとう。


 そう言えば、ジェシカは泣きじゃくりないがらも、再度大きく首を振る。



 しばらくの間、ひっくひっくとしゃくり上げるジェシカの涙が止まるのを、フィルメラルナは辛抱強く待った。


 アルスランの方もフィルメラルナの意図に合わせてか、何も言わずそこに居てくれた。



「アルスランにジェシカを呼んでもらったのは、二人にお願いがあるからなの。すごく我儘な頼みなんだけど……」



 そう言葉を濁して、二人の反応を見る。



 一瞬、空気が張り詰めた。


 神妃の願いなどと言えば。


 イルマルガリータの所業を考えると、身構えるのも無理はない。



 けれど、その沈黙を破ったのは侍女の方だった。



「ぅもももも、もちろん何でも致しますです。その……わたくしの立場でも許されることでしたら、何なりとお申し付けくださいませです」



 両手を揉み絞りながら、キラキラと輝く瞳で、ジェシカは快い返事をくれた。


 その焦げ茶色の瞳に嘘はない。


 フィルメラルナは心から嬉しくなった。



「私にはお断りする理由などありません。フィルメラルナ様、あなたが望むのでしたら、命をもかけますよ」



 熱い視線で訴えるアルスランは、どこかジェシカと張り合っているようで面白い。


 金髪碧眼の精悍な護衛騎士、そばかすの散ったあどけない侍女。



 その二人は、何やら闘志を燃え上がらせている。


 なんだか仲間ができたようで、気持ちが軽やかになった。



 すっくと立ち上がったフィルメラルナは、抽斗の中から小箱を取り出す。


 大切に胸に抱いて、二人の前に移動した。



「ふふ。じゃ、二人とも命をかけてくださいねー」



 冗談交じりにそう言って。


 くるりと身体を回して二人の前に進み出る。



 カタリと小さな音をたて、小箱を蓋をそっと開いた。


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