第九章 遠のく記憶

第75話 夢と現実の混同

 時間さえあれば、受け入れられると思っていた。


 なのに、この違和感は何なのか。



 今、この雨音しか聞こえない静寂の中。


 頭に浮かべた思い出は、本当に自分のものだったのだろうか?



 あのグザビエ・ブランという壮年の男性を、確かに自分は知っている。


 彼との思い出もある。



 けれど、今。


 その記憶が、本物かどうかの自信がない。



 彼女、イルマルガリータの言葉を思い出したのだ。



「〈最後の被験者〉の……到着だ」



 教会でフィルメラルナを、〈被験者〉と呼んだ。


 もしかして、自分はイルマルガリータが行っていたという研究と、何か関わりがあるのだろうか?



 どんなに頭を捻ってみても、そのような記憶は探し当てられない。



 けれど――。



 グザビエ・ブランという父親の名を、つい少し前ほど身近な人間とは感じなくなっているのだ。


 急激に、家族の記憶が他人事のように思われて、自分というものの在り方がよく分からない。


 それも、日に日に思い出し難くなっているようだ。



 夢と現実が混同したような今ならば、どんな物事もあるがまま受け止められそうだ。


 そう思った時。


 コツコツと扉が叩かれた。



「失礼するよ」



 返答も待たず入ってきたのは、ヘンデル・メンデル。


 そして彼の後ろから、エルヴィンも続いて部屋へと入ってきた。



 どことなく相容れない関係だと思っていた二人が揃ってやってきた事実に、フィルメラルナは驚いていた。


 何かしら良くない予感がする。



「お加減はいかがでしょうか……」



 気遣う様子を見せるエルヴィン。


 しかし、ヘンデルの方は全くもってそのような素振りは見せない。



「どうしても、君に伝えなくてはならない話があるんだけれど。塞ぎ込んでいるのも、そろそろ飽きただろう」



 そんな言い方をしなくても良いだろうに。


 と、エルヴィンが目録士長へキツイ視線を投げた。



 そんな彼の心配をよそに、フィルメラルナは観念していた。



 絡み合ってしまった糸のように。


 永久に出口の見つからない迷路に、迷い込んでしまったかのように。



 自身の在り方に何一つ答えが出せないもどかしさを、もう限界と感じていた。


 この十日間ほどの引きこもりは、さらなる混乱の日々だった。



 けれど、その時間は確かに必要だったのだと、そう断言できる。


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