第61話 歯がゆい思い

 わんわんと木霊する言葉にならない蛮声は、知性を感じさせない。


 けれど、それらはこの牢番に、何かを訴えようとしているのだと感じられた。



 ここから出せ、自由を返せ。


 そう野獣のように牙をむく、凶暴な欲望が伝わってくる。



 そんな騒めきの中だというのに。


 目的の牢内で、父親であるはずの人影は少しも動こうとはしなかった。



 いつものことだというように、隣に立つ牢番が溜息とともに、うんざりとした身振りを見せる。



 それでも。


 長年一緒に暮らした家族の気配を、忘れられるわけはない。


 この中にいる人物が正真正銘、父親グザビエであることを、フィルメラルナは確信していた。



「……父さん」



 掠れたような小さな声が届いたとも思えなかった。


 この狂気に満ちた喧騒の中で。



 けれど、その人物にとっても、フィルメラルナは特別な存在であるはずだ。


 その証拠に、びくりと影が身を起こした。


 と同時に、看守がランプの明かりを牢へと向ける。



 少しの明かりが届いただけだというのに。


 暗闇の中ではまるで豊かな光源のように、その人物の姿をフィルメラルナに知らしめした。



 食事などほとんど摂っていないのか。



 病的なほど痩せ衰えた体、伸びきった髪と髭。


 土気色になった血色の悪い肌、落ちくぼんだ眼孔。



 どれも、フィルメラルナと別れたあの日とは違う容貌だった。



「フィ……ナ?」



 けれど。


 途切れ途切れに聞こえてきた声は、まさしく自分の父親のもので。



 愛称で呼んでくれる声音が懐かしい。


 もう随分昔に聞いたなり、という錯覚を覚えた。



「父さん、どうしてこんなことに……」



 それを問うつもりだった人物であるヘンデルは、今この場にいない。


 歯がゆい思いを噛みしめて、フィルメラルナは当人である父親に問うしかなかった。



 しかし。


 父親は答えない。



 頭を抱え、ただただ悲しそうな双眸をフィルメラルナに向けるだけ。


 少しも静まらない喧騒の中、時間だけが過ぎていく。


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