第60話 純然たる疑問

 ネズミや、よくわからない虫よりも。


 時折聞こえてくる雄叫びのような、悲鳴のような奇声の方が恐ろしかった。



 正気の者からも正常な心を毟り取っていくような、狂気に満ちた怒声。


 何かを引きずるような摩擦音、鉄の柵を打ち付ける破壊の音。



(ここは――)



 牢獄などと、生やさしい場所ではない。


 このような人権を完全に剥奪されたような地獄に、自分の大切な家族が囚われているなど。



 こうしてその場に向かっていながらも、フィルメラルナには信じられなかった。


 自分と父親の身に起こった出来事が、何かの冗談のようで。



 いったい父親の罪状は、何だったのだろう。


 純然たる疑問が、フィルメラルナの脳裏に浮かんでいた。




 両側に傷だらけの壁が聳える、細い廊下を進んでいく。


 しばらく経つと壁が途切れ、その先に鉄格子が見えてきた。



 足を踏み出すその度に、太く頑丈そうな格子の輪郭がハッキリしてくる。


 脱走など決して許されない重罪人を閉じ込めるための密閉された場所に、じわじわと心臓が締め上げられていくようだった。



 鉄格子が連なる場所に入り込む少し手前で、牢番は足を止めた。


 ランプを持つ手を掲げ、ゆっくりと振り向く。


 フィルメラルナに何かしら覚悟のほどを確認するように。



 今更引き返すわけにはいかない。


 ここに父親が囚われている限り、進むより他はないのだ。


 ぎこちない動作で、フィルメラルナは頷いてみせた。



 一歩進むごとに異臭が強くなる。


 閉鎖された暗がりの中、もう平静な表情を繕うなど不可能なほど、激しく顔をしかめていた。



 牢獄を木霊する叫びも大きくなり、思わず耳を塞ぎたくなる。


 自分のすぐ近くに、狂気に呑まれた人間の気配がした。



 半端ない危機感に襲われ、これ以上進めない。


 そう挫折しそうになったとき。



 ピタリと看守の足が止まった。


 再びランプが向けられて、牢へ向けて小さく顎を指す。



 目的の牢にたどり着いたことを、フィルメラルナは知った。


 恐る恐る牢の中へと目をやる。



 じっと瞳を凝らしてみれば、細長い空間の最奥にひとつの人影が見えた。


 牢に設えられた簡易寝台に、項垂れた様子で腰をかけている。



 口のきけない牢番は、片手をあげ鉄の棒で格子を叩いた。


 面会者が来たことを、中にいる人間に知らせたようだった。



 カンカンカンッという金属音が、暗い牢全体に響いた途端――。


 一段と狂気の叫びが大きくなった。


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