第21話 歴史棟の従者

「君が誰をどう扱おうと自由。何をしても構わない。けれど、神脈を乱すわけにはいかないんだよ」



 神妃は許可なくリアゾ神殿を離れられない。


 ましてや、神妃を連れ出そうとした者は極刑と決まっている。



 何がおかしいのか。


 そう告げたヘンデルの顔には、微笑が張り付いていた。



 なんだろう。


 この卑屈な笑いは。


 彼の顔には、フィルメラルナの神経を否応無しに逆なでする何かがあった。



「わたしは、わたしは――」



 イライラした。


 唇がわなわなと震えた。



 口では自由だと言いながら、一つも自由などありはしない。



 だいたい自分の体に何が起こったのか。


 それすらも、未だフィルメラルナは理解できないままなのだ。



 神妃としての証、蔦の聖痕が額に現れた事実すら、今も受け止められないでいる。


 そんな自分へ。



「この後もいくつか儀式があるんだけれどねぇ」



 さらりと次の予定があることを告げた。



 やっぱりこの男には伝わっていない。


 フィルメラルナの抱く不安や憤りなど、微塵も理解しようとはしていない。



「そんな、他の儀式だなんて冗談じゃな……」


「ああ、そうだね。今日は参加しなくてもいいよ。取り急ぎ〈祈祷の儀〉さえ無事に終わったのだから」



「なんて勝手な――」


「ヘンデル様!」



 そんな儀式など金輪際お断りだ、と反論しようとしたフィルメラルナの声を遮って、一人の男が駆け寄ってきた。



「大変です、ヘンデル様!」



 ヘンデルへと声をかけた者は、灰色のフードを目深にかぶっていて、表情が見えない。


 けれど時折覗く横顔から、若い男だと分かった。



「なるほど、それは私が行かなければ」



 耳打ちする声に対して、ヘンデルは眉間に皺を寄せた。



「フィルメラルナ様、申し訳ございません。急用につき私はここで失礼を。その後の儀式は、御心のままよしなに」



 適当に済ますか断るかしておけ、と言い残し。


 ヘンデルは若い男と去って行ってしまう。



 何が「フィルメラルナ様」だ。


 いやに丁寧な言い回しだったのは、従者の前だったからだろうか。


 二人の時とは、口調がぜんぜん違った。



(それにしても……あの若い人は)



 歴史ヒストリフ棟の従者なのだろうか。


 暗い灰色のフード付きマント。


 学者というより、魔術師のような風体だった。



 確か歴史棟には、遥か太古の創世期からの歴史が遺されていると、近所の物知り婆から聞いたことがある。


 その任務を代々司っているのが、目録士という特殊な地位であり、その血によって歴史を記憶として受け継いでいるのだとか。



 仕組みはよく分からないが、ヘンデル・メンデルという男は、世界の歴史を目録する正当な血筋の大貴族だということだ。



「ぅおぉぉぉぉ、恐れ入ります。フィルメラルナ様、次のぎぎぎぎ、儀式が……」



 か細く、どもった声が背後から。


 振り向けば。



 ガタガタと音がしそうなほど、肩を震えさせた侍女がひとり佇んでいた。


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