第48話

「ごめんねリクちゃん。急に来ちゃって……」

「いや……ビックリしたけど…………いいよ」



 陽乃を家の中に招き入れ、お互いにテーブルを挟んで向き合う。

 どうして来たのだろうか。そう疑問に思うが納得もしていた。陽乃ならいずれ来ると無意識に考えていた気がする。カナとの交流を経て、今のオレは比較的安定した気持ちで陽乃と向き合えていた。



「リクちゃん……どこへ行っていたの?」



 低姿勢で申し訳なさそうに尋ねてくる陽乃に、オレは冷めた気持ちで淡々と答える。



「カナと遊びに行ってた」

「そ、そうなんだ……。カナちゃんと仲良く、なったんだね……」

「仲良くなったかはわからない。誘われたから行っただけだ」

「…………!」



 陽乃は悔しそうに顔を歪め、キュッと唇を結んだ。何をそんな嫌そうにしているんだ。



「オレが誰と遊びに行こうが……陽乃には関係ないことだろ」

「関係あるよ。だって好きな男の子が、他の女の子と遊びに行ってるんだよ? 気になるよ……」

「オレを二度も振ったくせに?」

「それは――――ううん、違う……ごめんね」



 謝らないでほしい。無性に苛立つのに、陽乃から気にかけてもらえることにふんわりとした嬉しさが込み上げてくる。自分のことながらどうしようもない。陽乃からどう扱われようと、もうオレは精神的に陽乃から離れられないのだろう。



「何しに……オレの家に来たんだ?」

「最近、話をしてなかったでしょ? そのせい……なのかな。リクちゃんに会いたくて……我慢できなかったの」

「そこまで言うなら付き合ってほしい」



 すらっと出たオレの言葉に対し、陽乃は目を伏せながら「リクちゃんのために……!」と何やら震えた声で小さく呟いた。苛立ちがさらに募る。



「オレのためなら、なおさら付き合ってくれよ」

「彩奈ちゃんのこと、忘れることができるの?」

「――――ッ!」



 顔を上げた陽乃が、こちらの目を見据えて尋ねてくる。さっきまでの恐る恐るだった喋り方とは違い、今度は何かを確信したような強い喋り方だった。オレは思わず視線を逸らして逃げてしまう。



「私はリクちゃんのことが本当に好き。だからね、リクちゃんには誰よりも幸せになる道を歩んでほしいの」

「オレがどう幸せになるかは、オレが決めることじゃないか」

「うん……そう、だね」

「オレにとって一番の幸せは、陽乃と付き合うことで……陽乃のことだけを考える人生だ」

「リクちゃん……」



 どこか悲痛な表情は浮かべている陽乃は、静かにオレの言葉に耳を傾けている。一度吐き出し始めた本音は止まることなく、オレはひたすら口を動かした。



「さっき、星宮のことを忘れることができるのか……そう聞いただろ?」

「うん」

「忘れられる……陽乃と付き合えば忘れられる」



 忘れたいんだ。星宮のことを思い出したくない。余計なことは何も考えたくないし、心が乱されるような事態にもなりたくない。さざ波が一切立たない人生を送りたいんだ。



「陽乃は依存って言ったけど……オレは陽乃のことが本当に好きだよ」

「…………」

「どうでもいいと思う人から気持ちを拒まれたところで、何も思わない」



 実際、オレに向けた陰口を聞くことが何度か学校内であった。陽乃や星宮と仲良くしていることに対しての嫉妬からくる陰口だ。オレとしても理解はできる。全く目立たない奴が校内屈指の可愛い女子二人と仲良くしていれば、そりゃ一部の人からは良く思われない。だが、オレは陽乃と星宮以外の人間からどう思われようが、どうでもいい。

 …………いや、今は陽乃だけだな。



「陽乃……陽乃だけには拒絶されたくない……陽乃だけにはオレを受け入れてほしい」

「リクちゃん…………」



 オレにとって陽乃が全てだからこそ、拒絶されると堪えがたい苦痛を感じる。

 ――――もはや依存とか好きとか、そういうことすら考えたくない。



「陽乃……陽乃だからオレは…………っ!」



 感情が昂り、熱いものが喉を通り過ぎていく。一切の我慢ができず視界が滲み、両目から涙が溢れ出した。前を向いて陽乃を見ることができず、うつむいて必死に声を抑える。



「ごめんね、リクちゃん――」



 短い謝罪がすぐそばから聞こえた瞬間、頭を抱きかかえるようにして抱きしめられた。薄い服越しに感じる陽乃の胸の柔らかさを顔で味わう。オレの目から溢れる涙が陽乃の胸辺りを濡らしていくが、そんなことを彼女は気にしなかった。



「まだ……まだ早かったよね…………。私の気持ちや理想を押し付けて、リクちゃんを苦しめちゃった」



 まだ早かった……? 何のことだろうか。

 疑問に思うが、陽乃に抱きしめられながら優しい声に集中する。



「ずっと……ずっと考えてたの。私はどうすれば良かったのかな、て。リクちゃんに幸せになってほしい…………そう思うだけじゃダメだよね」

「陽乃…………?」

「思うだけで願いが叶うなんて……そんな都合の良いこと、絶対に起こらない」



 陽乃は一体何を語っているのだろうか。言葉を重ねるたびに、陽乃はオレを抱きしめる力を強めていく。ドク、ドク……と、陽乃の鼓動が伝わってきた。聞いているだけで心地よく、ずっとこのままでいたい…………そう願える安心感があった。



「いいよ、リクちゃん。付き合おっか」

「…………急に、どうしたんだよ」



 オレの問いかけに答えることなく、陽乃は優しく言葉を紡ぐ。



「これだけは覚えておいてほしいの。私はリクちゃんの幸せを一番に考えてる。リクちゃんのためなら何でも頑張れるから……」

「…………うん」



 抱きしめられたまま、優しく後頭部を撫でられる。文字通り陽乃の柔らかい温もりに包まれ、酷く荒れていた心が落ち着き始めていた。すーっとまぶたが重くなってくる。


 カナに優しくされるのは申し訳なく思った。しかし陽乃には思わなかった。陽乃を軽視しているわけじゃなく、ただただ安心できた。陽乃を感じられない時間はストレスに襲われて仕方ない。



「リクちゃんが立ち上がれるようになるまで――私がリクちゃんを守るから」

「…………?」



 何を言っているんだ。立ち上がるとか立ち上がらないとか、そんなものはない。

 これからは陽乃だけを見ていればいい。陽乃の声だけを聞いていればいい。陽乃の匂いだけを嗅いでいればいい。陽乃のことだけを考えればいい。

 それは今に始まったことじゃない。星宮に出会う前からのことでもある。

 ……いや、陽乃と付き合うという理想が果たされた。



「陽乃」

「なーに、リクちゃん」



 まるで母親が子供に接するような、慈しみに満ちた返事だった。

 今ならどんなお願いでも聞いてくれるし、いくらでも甘えさせてくれる……そんな途方もない愛を陽乃から感じた。



「これからは……この家でオレと住んでほしい……」

「いいよ」

「毎朝一緒に起きて……毎晩一緒に寝てほしい」

「いいよ」

「陽乃――!」



 感激……と言えばいいのか。たまらなくなったオレは両腕を陽乃の背中に回し、ギュッと力強く抱きしめる。お互いを激しく求めるように、一つになるように、とにかく抱きしめ合う。


 今度こそ……今度こそ陽乃はオレを受け入れてくれた。

 もう星宮を思い出して苦しむことはない。

 ひたすら陽乃に満たされた、幸せな人生を送れる――――。



「今は――これで――から」


 

 何かを決意するような、陽乃の微かな声を無視し――。

 オレは陽乃の存在に全てを傾けるのだった。

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