第44話
カナが家から出ていくのを見届けたオレは、しばらくカナの部屋で過ごしていた。
そのうちジッとしていることに辛さを感じ、出ていくことにする。カナから好意を受け取ることに罪悪感すら生まれていた。
外に出て玄関ポストに合鍵を放り込み、あてもなく外をフラフラ歩き続ける。無心……というより意図的に心を殺すようにしていたオレは、気がつけば小さな公園に来ていた。他に人はいない。
一体どれほど歩いたのだろう。スマホで時間を確認すると、すでに昼を回っていた。14時だ。少なくとも5時間は歩いている。そこまで考えを巡らせたせいか、疲労感を脚に覚える。少し休もうと思い、公園のベンチに腰掛けた。
本来であれば、人気がなく静かな公園は心にゆとりを与えてくれるのかもしれない。しかし今のオレには逆効果だった。
「星宮…………っ」
何もしない時間が生まれると、無意識に星宮を思い出してしまう。辛い記憶が蘇り、正気を失って泣き叫ぶ星宮の姿。両親が事故の加害者で、その両親を亡くした。想像を絶する過酷な人生だ。もしオレが第三者の人間であれば、同情するだけだったに違いない。しかし被害者側なのだ。
星宮を心配する気持ちがあるのに、連鎖的に事故の記憶が浮上する。
車にひかれる家族、その後に生まれた感情…………今も消えない心の傷が抉られる。自暴自棄になったり、陽乃のことだけを考えて誤魔化し続けてきた。だが、それも限界に達していた。
だからこそ、陽乃にすがりたい。
陽乃のことだけを考えて、陽乃の温もりに包まれたい。
なのに――――。
「…………っ!」
拒絶された。一つの辛い記憶が、更なる辛い記憶を呼び起こす。
オレはベンチに寝転がり、目を閉じる。寝てしまえば、この苦しみから離れることはできるだろう。しかし当たり前ながら寝ることはできない。ずっと星宮と陽乃のことを考えてしまう。
「…………?」
ポツン、と頬に冷たいものが落下してきた。
まぶたを開け、何かが目の中に落ちてきて冷たい刺激に襲われる――――雨だ。
徐々に勢いを増して本格的に振り始める。容赦なくベンチに横たわるオレの体を襲ってきた。雨で視界が白く濁り、遊具や地面を激しく打つ雨音が絶え間なく響いてくる。
「…………もう、いいか」
屋根の下に避難しようとする気力すらない。むしろ恵の雨だ。この雨がオレの感情を全て洗い流してくれる。
けれど、何度も星宮を思い出す。それがきっかけで事故のことや陽乃に拒絶されたことまで思い出す。あらゆる感情が津波のように押し寄せ、渦潮に巻き込まれたようにグルグルと負の思考をくり返す。
…………助けてほしい。この苦しみから解放されたい。なにも考えたくない。優しさと温もりに包まれ、ただ平和に生きたい。
「う……ぐっ……ぅぅ……!」
限界に達した感情が熱い涙となって目から溢れるが、冷え切った雨に紛れていく。もはや声を抑えることすらできなかった。
全てから、この世の全てから逃げたい――――。
「……っ……ぅぅ…………?」
バチバチと顔に弾けていたはずの雨が途絶える。その代わりにビニール傘を打つ雨音が聞こえてきた。薄ら目を開け何が起きているのか確認する。――カナだ。
こちらを疲れ切った顔で見下ろしており、右手に持つ傘をオレの上にかざしていた。
「カナ…………?」
よく見ると彼女もまた全身が濡れていた。当然だ。傘をオレにやっているのだから……。だが今濡れ始めた感じではない。雨を多分に含んで濃く変色した制服を見るに、随分前から雨に打たれていたことがわかる。頭もバケツの水を被ったように濡れていた。
「なにしてんの、アンタ」
「…………」
雨音に紛れてカナの声が降り注いでくる。以前、オレも雨に打たれる陽乃に同じことを言ったな……と切り離した感覚で思い出していた。
「今、19時なんですけど。いつからそうしていたわけ?」
「……昼間から……ずっと」
「バカじゃないの」
もう19時になっていたらしい。気づかなかった。何時間もオレは雨に打たれていたということになる。軽く首を起こして周囲を見れば、雨と合わさって暗闇に包まれていた。この暗さでよくカナはオレだと分かったな……。
「バカ黒峰」
淡々とした言い方で放たれた罵倒。その罵倒からは不思議と温もりを感じた。だからこそ気づく。カナは雨の中、何時間もオレを探し回っていたのだと――――。
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