第41話
「ちょっと待ってよ黒峰! 卵!」
「…………」
「おい無視すんな!」
夜の街中。後方から浴びせされる叫び声を無視して足を進める。通り過ぎていく人々が奇異の視線を向けてくるがどうでもよかった。
「この――――黒峰!!」
足音が急速に近づいてきたと思った直後、グイッと右肩を掴まれ、乱暴に振り向かされる。声音から予想していたが、やはりカナの表情は怒りに満ちていた。
「…………なに?」
「なにってアンタ……卵の弁償! それと、お礼を聞いてないんだけど!」
「何に対するお礼だよ」
「さっき助けたじゃん。それも命を張って!」
「……別に頼んでないし」
「は?」
オレはカナの手を振り払い、踵を返して先に進む。とくに目的地はない。ただどこかへ向かいたい……そんな気分だった。さっき死ねていたら楽になれただろうに。
そんな気持ちの裏で、星宮に救われた命と心を無駄にしたくないと思っていた。
「黒峰、何があったの?」
隣に並んできたカナが心配そうな顔で尋ねてくる。オレに歩調を合わせてくるところを見るに、このままついてくるつもりらしい。
「カナには関係ない」
「そう言われて引き下がると思う? 今の黒峰、まじで死人みたいな顔してる」
「…………あながち、間違いでもないかもな」
陽乃に拒絶された時点で、オレの人生に価値はない。生きる意味もない。価値や意味がないどころか、生きてるだけで苦しい。好きな人に認めてもらえない人生は、きっとこの世で最も苦しいことだろう。
「ちょ、黒峰!」
オレはカナの存在を気にせず歩いていく。
気づけば人気が少ない場所にやって来ていた。閑散とした道路。適当に歩き続け、木々に挟まれた道に入り込む。どうやらこの先は公園があるようだ。珍しく自然を取り込んだ大きい公園らしい。そのせいか、灯りが乏しく周囲が見にくい。
「どこまで行く気? アタシ、家に帰って晩飯作りたいんだけど」
まだついてきていたのか……。呆れた気持ちになりつつ足を止めて振り返る。
「ついてくるなよ」
「無理」
「無理って……」
ふんっと顔を背けたカナに、オレはため息をつく。なんなんだこの女は……。ま、どうでもいいか。そう思いまた歩こうとしたが――――。
「高校生か? こんな時間に出歩くなよ」
「うわ可愛いじゃんそっちの子。レベルたけー」
「何歳お前ら。未成年だったら勘弁しねーぞ……くく」
道を挟む木々の間から三人の男が現れる。見たところ大学生くらいだろうか。オレとカナを挟み込むように、前方に一人、後方に二人の配置だった。直感でヤバいと察する。風貌からしてガラが悪そうだ。髪の毛を派手に染め、ピアスまでつけている。彼らが浮かべる表情にも獲物を前にした肉食獣のようなギラギラ感があった。
「な、なんだよお前ら! アタシたちに構うな!」
「気ぃつえー…………なにその卵。あ、彼氏に卵料理作ってあげるとか? うらやましー」
「あ――――ちょっ!」
一瞬の隙をついて、金髪の男がカナの手から卵パックを奪い取る。興味深そうに眺めた後、ポイっと後ろに卵パックを放り投げた。カナの「あっ!」という虚しい声を無視し、卵パックは重力に従って床に落下する。グシャッという音を立てて……。
「この、食い物を粗末にすんな!」
「見た目と違って真面目だねー。遊んでそうな恰好してんのに」
「うっさい! さっさと新しい卵買ってこい!」
「なんかうぜーなこの女……」
相手が年上だろうと怯むことなく、カナは金髪の男に食ってかかる。もしオレが普通の心理状態であればハラハラしたことだろう。明らかに危なそうな連中に刺激を与えることは危険極まりない行為だ。
ただ、陽乃の一件で心をすり減らしていたオレは何も気にせず傍観していた。だからこそ状況を冷静に捉えることができる。
……カナの傍に二人、オレの傍に一人か。
男三人の注目がカナに向かっていることから、やはり女性を狙った最低な連中だろう。
ふと、傍にいるガタイのいい男が話しかけてくる。
「お前、彼女が絡まれてるぞ。見てるだけか?」
「……彼女じゃないんで」
「は? 喧嘩したばっか? なんか言い合っていたな、お前ら」
「…………」
ペラペラ喋る奴だ。オレとカナの言い合いを聞いていたということは、ちょっと前からオレたちをターゲットにしていたのだろうか。人気がない場所に移動するのを待っていたのかもしれない。
「離れろって、くそ!」
「口が悪いなー。名前は?」
「言うわけないだろバカ!」
「ちっ、こいつマジでムカついてきた」
金髪の男がカナの右手首を掴みあげる。カナの表情が苦悶に満ちたが、委縮せず、腕を振ることで抵抗を試みる。
「この女、思ったより力が――――」
「離せ! 殴るぞ! これでもアタシ、ボクシングやってるから!」
「おい! 手伝え!」
「っ――――!」
金髪の男から助けを求められたもう一人の男が、カナの左手首を力強く握った。これでカナは両手を封じられたことになる。さすがに男二人から押さえられては抵抗が難しいらしい。ジタバタと暴れるカナの顔に悔しそうな色が滲む。
「や、やめ……やめろ! アタシに触るな!」
「ぶはは! 触るなってお前……安心しろよ、この後、もっと色んなところを触ってやるから」
「――――っ」
金髪の男が浮かべる下卑た表情に、強気な姿勢を崩さなかったカナが初めて恐怖の感情を顔に見せる。抵抗も弱まり、完全に二人の男に抑えられてしまった。
「早くそいつボコっちまえ! 女と一緒に運ぶぞ!」
オレの傍にいたガタイのいい男が、無言で懐から折りたたみナイフを取り出す。そして「抵抗したら刺すぞ」とニヤニヤしながらオレに言い放った。緊張感がない様子から、この手口に及ぶのは初めてじゃなさそうだ。…………クズだな。
もし……もしこれが『初めてのこと』だったら、オレは頭の中が真っ白になっていたに違いない。
最悪なことに、もう慣れてしまっている――――。
「刺せよ」
「……………………あ?」
淡々としたオレのセリフを理解できなかったのか、男は間を置いてから間抜けな声を発した。
「刺せばいい。いや、早く刺した方がいいぞ…………もう警察を呼んでいるからな」
わざとらしくズボンのポケットからスマホを取り出す。オレがさっき言ったことはウソだ。今、警察に電話かけているところだから。カナが絡まれている最中、オレはポケットの中でスマホを操作した。残念ながら押し間違えていたようで警察に連絡するのが遅れてしまったが…………まだ何とかなる段階だ。
「てめ――――」
「ここだ、ここを刺せ」
シャツをまくり上げ、むき出しのお腹を見せつける。
ナイフを手にした男は露骨に動揺し、勢いを削がれていた。……やはりそうか。
コンビニ強盗やストーカーと対峙して気づいたことがある。この手の奴らは予想外の展開に弱い。分かりやすく言えば、反撃されることに慣れていない。そして本当に刺すとなった場合、通常の神経では不可能だ。それこそストーカーのように一線を越えた狂気が必要になるのだろう。
何より、服越しではなく生身の肌を刺す方が、心理的なハードルも上がるはず。
「おいやべえって!」
「ぐっ――――!」
オレの考えが的外れであれば、最悪な結末を辿ることになる。それでも構わない。ただし、カナだけは助けよう。オレなんかを追いかけたせいで怖い目に遭うことになったのだから。
「もしもし! どうされましたか!? もしもし!」
オレの手にしたスマホから切羽詰まった声が放たれる。男たちにも聞こえたらしい。ナイフを手にした男が逃げるのに合わせて、カナを押さえていた男二人も逃走した。足音が急速に離れていき、木々の中に彼らは姿を消す。
ウソのような静けさが戻ってきた。
オレは電話に出て事情を説明する。まずは人気がある場所に移動し、合流したいと言われたいので従うことにした。スマホを片付け、放心状態のカナに声をかける。
「おい、行くぞ」
「どこに…………?」
「人が居る場所だ。警察と合流する…………大丈夫か?」
その場に座り込むカナに手を差し出す。カナは迷わずにオレの手を取り、フラフラと頼りなさそうに立ち上がった。ほんの少し押してやるだけで倒れそうなほど、今のカナは弱っている。
「黒峰……アンタ、ヤバいじゃん」
「なにが?」
「意外と喧嘩慣れしてんの? しかも冷静に警察呼んじゃってさ」
「喧嘩なんてしたことがない。危ない人から襲われたら警察を呼ぶ…………普通のことだろ」
「普通のことを普通にできるのがヤバいって言ってんの……。それに刺せってアンタ、まじで刺されたらどうするつもりだったの……?」
「刺さないよ、あいつは。少なくともキレさせない限りは」
この予想は外さない自信があった。
そのことをオレの言い方から感じたらしく、カナは「やっぱ慣れてんじゃん……」と呟くのだった。
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