第40話
陽乃を追い出した日から、数日が経過した。
うまく言えないが、体が自動操縦となり、意識は失っているような感覚だ。
唯一感情が揺れ動く瞬間は、陽乃や星宮を思い出しときだ。胸が張り裂けそうなほど痛くなる。
「……星宮、まだ休んでるのか」
スマホに届いた陽乃からのメッセージを確認し、何となく呟く。メッセージには続きがあり、もうじき夏休みになることが記されていた。もうそんな時期か。どうりで暑いわけだ。
「……はぁ……飯、あったかな」
冷蔵庫を覗くが空っぽだった。このまま飢え死にしてもいい気分だが、オレは自殺しないと星宮と約束している。どんな状況であれ約束は守りたい。
「……飯、買いに行くか」
床に転がっていた財布を拾い上げ、のそのそと重い足取りで玄関に向かう。
ドアを開けようとした直前、何かを予感したオレは覗き穴から外を窺う。
……陽乃だ。
陽乃が廊下の壁際に座り込んでる。俯いているので表情までは確認できない。……何してんだよ。
スマホで陽乃とのトークルームを確認すると、学校での出来事や星宮がまだ休んでいること、そして陽乃が家の前まで来ていることが書かれている。
あの日から陽乃が毎日来るようになった。……一度も応対してないけどな。どうせ顔を合わせたところでオレを拒絶するのだ。もしくは正論をかましてくる。
「そんなの、求めてねえんだよ」
オレは陽乃に受け入れてもらえたらそれでいいのだ。陽乃だけには拒絶されたくないし、オレの全てを認めて受け入れてほしい。
「夜になってから行くか」
陽乃が帰るまで寝ておこう。
○
「……もういいか」
スマホで午後10時になったことを確認したオレは、適当なジャージに着替えて外に出る。近くのコンビニでカップ麺でも買ってこよう。
「り、リクちゃん!」
「……あ?」
覗き穴の死角に居たらしい。ドアを開けてすぐ、横に立っていた陽乃に話しかけられた。
「リクちゃん! 話だけでも聞いて!」
「嫌だ。帰れ」
「待って!」
「うるさい。もうお前と話すことはない。関わらないでくれ」
どうしても拒絶された事実が胸を圧迫してくる。もはや陽乃を見るだけで泣きそうになっていた。
「リクちゃん! 私だって……本当はリクちゃんと付き合いたいよ!」
「は?」
「好きな人にね、自分だけを見てもらえるって凄く嬉しいもん! リクちゃんの視線を独り占めできる……私にとってはこの上ない幸せだよ!」
「じゃあなんで拒むんだ! 意味分かんねえよ!」
「リクちゃんのためにならないの! 私と付き合っちゃうと、リクちゃんはずっと自分の気持ちに自覚できないんだよ!」
「それが……なんだよ。オレは陽乃が好きで――――」
「それは依存だよ!」
「っ!」
泣きながら叫んでくる陽乃に、オレは少し怯んでしまう。
その涙ながら突きつけられた言葉は、頭のどこかで理解しつつあったものだ。
「本当のこと言っちゃうと、リクちゃんに依存されるのは嬉しいよ! だってずっと好きな人が傍に居てくれるんだもん! 拒みたくないよ!」
「……」
「でもそれだと、リクちゃんは狭い世界に居たままになっちゃう……。本当の幸せがわからなくなっちゃうよ!」
「……」
口を閉ざしたオレを見て自分の言葉が届いていると判断したのか、泣きながらも柔らかい表情を浮かべた陽乃が歩み寄ってくる。
「私はリクちゃんが大好き。だからね、リクちゃんには本当の幸せを――――」
「うるさい」
「え?」
「それでも、構わなかった。依存でも何でも……オレは陽乃に認めてもらえたらそれで良かった。認めてもらって……肯定してもらって……それでよかった」
「り、リクちゃん……。私は、リクちゃんにとって……ただのイエスマンなの?」
「ち、違う! オレは――――」
「今のリクちゃんが凄く辛い状況に居るのは分かってるよ。私が振り回しちゃってることも……私の何気ない発言がリクちゃんを苦しめて、一度は自殺まで追い込んじゃったことも……。本当に、ごめんね」
「陽乃――――」
悲しげに語り始める陽乃を見て、咄嗟に否定しようとしてしまう。
しかし陽乃は首を横に振ってオレの発言を封じた。
「ごめんね、リクちゃんを傷つけて。リクちゃんのお願いを聞いてあげられなくて」
「い、いや……っ!」
「それでも……言うね。きっとリクちゃんは、私から卒業するべきなんだと思う。このまま付き合っても、私たち二人とも殻に閉じこもっちゃうよ」
「それは……」
「私、リクちゃんが本当に好きだから……。一度恋人になっちゃうと、もう歯止めがきかなくなると思うの。だから――――」
「う、うるさい! 何を言おうと、陽乃がオレを拒絶したのは変わらないだろ! それも二度も!」
「――――っ!」
「そんな正論や理屈はどうでもいいんだ! オレは……陽乃に受け入れて欲しかった! 拒んで欲しくなかった!」
足下がグラグラと揺らいでいく。
事実が容易くオレの世界を崩壊させる。
――――あぁ、陽乃は強い。
今、理解した。
陽乃はオレのことが好き。ならばオレの告白を拒む理由はない。
それでも拒んだのは、オレの未来を考えたからだろう。
もしオレが陽乃の立場なら、絶対に同じことはできない。
好きな人から依存される、それは極上の蜜のように甘く感じられるのだから……。
けどオレは――――強くない。
弱いのだ。
現実の全てを忘れて陽乃に甘えたい。
陽乃にオレの全てを肯定してもらいたい。
そっくりそのままのオレを認めてもらいたいのだ。
辛いこと痛いこと苦しいこと……全て、全てを忘れて陽乃に溺れたいだけなんだ。
「オレは……陽乃のようになれない……。もう無理なんだよ……。家族が居なくなった時から……陽乃しか居ないんだよ……」
「そんなことないよ! きっとリクちゃんなら――――」
「黙れ! 陽乃には……オレの気持ちが分からないだろうが!」
「リクちゃん!」
オレは陽乃を振り切って走り出す。飛び降りる勢いで階段を駆け下り、がむしゃらに夜の街中を走り続ける。
「リクちゃん――――きゃっ!」
陽乃の悲鳴が後方から聞こえたので振り返ると、角から曲がってきた自転車と衝突して転んでいた。
「――――っ」
一瞬、足が陽乃の下に向かおうとするが理性で押し留める。
オレは――――陽乃を置いて走り続けた。
○
「はぁ……はぁ……ん、っ」
足を止めて呼吸を整える。気がつけば全く知らない町に来ていた。標識を見てもイメージが湧いてこない。
「……」
適当に歩き続け、人が溢れた通りに出た。いかにもイケイケな制服姿の高校生やサラリーマンとすれ違う。この人混みの中では、より一層孤独が際立つようだった。
「――――ちょ、おい! お前!」
その切羽詰まった声はオレを指しているのだと、少し遅れて気がつく。
足を止めて顔を上げると――オレは横断歩道を歩いていた。それも赤信号。
気ついた直後、ファァァァン、とクラクションが響き渡る。
トラックが、すぐそこまで迫っていた。
まだ逃げられる距離。
今すぐ前に跳べば避けられる。
――――避けて、どうする?
迷いが生じる。
家族と同じ死に方をすれば、また家族に会えるだろうか。
オレは呆然とトラックを見つめ――――。
「黒峰ー!」
――――え?
トラックに引かれる寸前、後ろから誰かに押し倒された。思いっきり顔面を地面に打ち付ける。……めっちゃイテェ。
「あぶなっ! ほんとにあぶなっ! アタシまで死ぬとこだったじゃん!」
オレの背中に乗っている誰かが喚き散らしている。
いや…………この声には聞き覚えがあるぞ。
「学校サボっているかと思いきや、ここで何してんの! ていうか、卵が割れちゃったんだけど! 命を助けたお礼に弁償しろ!」
「……?」
押し倒された状態だが首を捻って背中に乗る存在を確認する。
星宮のギャル友達――――カナだ。
なぜかその右手には卵パックが掴まれており、何個か割れていた。
「ほら見て、ガッツリ割れてるし! まじ最悪!」
「……カナ?」
「あ? 親しくねーのに名前で呼ぶな」
「……」
「てか、卵弁償しろ。絶対に弁償しろ」
あぁん? と不良ばりの睨みを利かせながら弁償を求めてくるカナ。
なんだ、こいつは……?
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